宇和寺は「岸の洞穴」!?
宇和寺という地名が大好きです。
自分が育った場所へのひいきもありますが、
うわでら、の語感に落ち着きます。
当てた漢字も、「宇宙の平和の寺」と連想できて、
なんとも穏かな連なりなのです。
今回は、この大好きな宇和寺の語源を仮説します。
宇和寺 = 岸の洞穴
です。
まず、「宇和寺」は「うわでら」ですが、
与論島でのもともとの呼び方は、
『ドゥダンミン2』を見ると、
「わーでぃら」とあります。
「宇和寺」は「わーでぃら」なのです。
で、「わーでぃら」は、「わー・でぃら」と分解できます。
「でぃら」は、「てぃら」が濁音化したもので、
これを五母音にすれば「テラ」となります。
「テラ」といえば前回の考察で、
「洞穴」と捉えたので、それを使えば、
「わー・でぃら」の「でぃら」は「洞穴」と考えられます。
次に、「わー」が問題になるわけですが、
『地名を歩く』では、沖縄の宜野湾の「わ」を、
アイヌ語の(wa=ふち・岸)と解釈していました。
これは宇和寺にも適用したい理解で、
「わー・でぃら」の「わ」を「岸」と解してみます。
こうして、「わーでぃら」は「岸の洞穴」
という解釈が生まれます。
○ ○ ○
こんな導き方をしてみたのは、実は宇和寺には洞穴がありました。
現在は、「B&G」という施設ができ、
その建設によって破壊されてしまっています。
つまり、今はないのですが、
この洞穴が地名の由来になっていても
不思議ではないと思うのです。
野口才蔵先生の『南島与論島の文化』によれば、
ぼくの祖先は、薩摩統治の時代に、
代官の言うことをきかず、
島内で遠島にあったとされています。
それを指して、「宇和寺半田遠島」と呼ばれています。
当時、宇和寺半田は、
陸の孤島で地上からは接近できず、
海から接近できる場所だったと。
祖先は宇和寺のふばまに湧泉みつけ、
未開の地への移住を決意したというのです。
もしそうなら、
「宇和寺」の地名も陸地から見てつけたものではなく、
海上からの接近でつけたことになります。
ところで、「B&G」の場所にあった洞穴は、
まさに小さな入り江のすぐ奥にありました。
学生時分のぼくも、そこからすんなり入れたので、
古代ならなおさら海人はそこを発見し、
知っていたでしょう。
遠島の場所はだから、
「宇和寺」ではなく、
わざわざ「宇和寺半田」と、
宇和寺の陸の方を指し示したのだと思います。
宇和寺半田(わーでぃら・ぱんた)です。
こんないきさつを想像して、あの洞穴を、
宇和寺の地名の由来の場所と考えてみました。
この説に則れば、「岸の洞穴」が時を経て、
「宇和寺」と字を当てられたということです。
「岸の洞穴」と「宇和寺」。
これが同一の意味を表すと解することができるんですから、
地名の語源は本当に面白いですね。
○ ○ ○
もちろん、これは仮説ですから、
間違っている可能性も充分にあります。
ただ、約20年前に撮ったその洞穴の写真を見ながら、
実はこれが宇和寺の地名の由来だという
考えに浸ってみるのは、
自己満足ですが、楽しいですね。
それにしても、
破壊しちゃいけないでしょう!
洞穴。
誰かがが祈った跡だってちゃんとあったんです。
残念。
せめて画像を保存しましょう。
ここが入口
P.S.
これを書いた後、父に聞いたら、
B&Gの浜をアイギと呼び、
洞穴は、アイギのアブと呼んでいたそうです。
戦時中の空襲の時、使ったこともあったとか。
こうなると、すでにぼくの仮説は怪しいですが、(^^;)
まぁいいか?と、ひとまず出しておきます。
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コメント
おもしろいですね。
アイギの浜には幽霊がでるとのうわさですが・・・。
別荘などの家が建ちましたね。
夕日がながめられて今後開発が予想されます。
残しておきたい景観のひとつでしょうか。
貴重な映像ありがとうございました。
投稿: 泡 盛窪 | 2007/01/11 20:29
盛窪さん、コメントありがとうございます。
ム、ムヌ(物の怪)が出るんですか。知らなかったです。(^^;)
たとえば、船から見た時、
与論島の外観が緑に溢れていたらいいなと思います。
海岸沿いの建築物は、島を白くしていますね。
少し残念です。
投稿: 喜山 | 2007/01/12 09:13