那間は泉
南島地名研究センターの『地名を歩く』に導かれるように、
与論島の地名に手がかりが集まってきます。
嬉しいことに、母の実家でぼくの出生地の
那間のことも分りました。
石垣地方には、「ナー」のつく地名が多いそうです。
で、その中でこんな記述に出くわします。
また、市街地の後方には「フナー」と称する真地
(マージィ)と長間(ナーマ)との間に設けられ
た大きな水路がある。
(石垣 繁)
これをみればもう、
「長間」=「那間」であると連想できます。
那間も、標準語読みは「なま」ですが、
もともとは、「ナーマ」と呼びますから。
そしてその語源にも言及があります。
石垣地方の「ナー」は、地下水が自然に地表に
わき出る泉を指しており、小川をなしている。
その周辺には、大浜層と琉球石灰岩とその下部
の不透水層の間隙に水が蓄えられアブ(ドリーネ)
も見られる。
宮良部落を例にみると、村の周辺には「タフナー」
「タナー」等の苗代田があり、「マクシナー」
(別名マニシキナー)は轟川の上流をなし、
「ナカバンナー」は宮良川河口の海の降り口に
あって村人の喉をうるおしていた。
(石垣 繁)
これでますます確信します。
那間には、湿地帯が広がり、
そこには増木名池という池があったからです。
幼い頃、おじに当たる兄(やか)が、
突然、服を脱いで池に入り泳いだのを、
びっくりどきどき見たことがありました。
それにもうひとつ。
増木名は、「マシキナ」ですが、
引用文にある、「マクシナー」と「マキシナ」が
同一であることも疑えません。
那間は、地下水が自然に湧き出る泉のことであり、
増木名は、池から流れ出る川の上流域を指すと
見なせばいいでしょうか?
◎ ◎ ◎
石垣島の考察から与論島のことが分る。
これは与論島を孤島としてみるのではなく、
琉球弧に解き放って得られる知見です。
こうすることで、与論島を孤独から解放して、
琉球弧の連なりの中に位置づけることができます。
与論島がさらに豊かに見えてこないでしょうか。
嬉しい発見です。
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