テラは洞穴
与論島の寺崎の語源につながる解説に出会いました。
徳之島の亀徳に菅原神社がある。
この神社の建てられている場所は、
もともとテラといわれていた神山であった。
同島の亀津に金毘羅様を祀る洞穴がある。
そこもテラといわれていた。
同島の検福に八幡社の洞穴がある。
ここもテラといわれてたところである。
奄美大島にもテラと俗称されている神社がある。
これ要するに奄美諸島でいわれているテラとは、
神祀る所といってよい。
(『地名を歩く』仲松弥秀)
テラは「寺」ではなく、「神祀る所」。
さて、この解釈は妥当に思えますが、
それは寺崎もまさに拝所として、
寺崎ウガンのある場所だからです。
そこで寺崎は、「崎」をひとまずそのまま受け取ると、
「神祀る岬」を意味すると言えます。
地名は場の由来を物語るんですね。
本当に面白いです。
○ ○ ○
ただ、テラに「神祀る所」という意味があることは
理解できますが、それが「テラ」の語源かといえば、
そうではない気がします。
仲松の考察に助けを借りると、
ぼくは、「テラ」は「洞穴」が語源ではないかと思うのです。
まず単純に、地名の語源は、
地形を言い当てることから始まるはずだからです。
次に、「洞穴」を起点に置けば、
「神」につながる理解も得やすくなります。
ひもときます。
「洞穴」は、人の精神史にとって、
魂が別の世界へつながる接点となっていたはずです。
中沢新一が『芸術人類学』で、
ラスコー洞窟の壁画を描いた旧石器時代の人類が、
洞窟で心の内部にある「超越的なもの」を
発見したのではないかと考察していますが、
別の世界とは、この「超越的なもの」のひとつの形だと思えます。
「超越的なもの」は、
「神」の概念まで成長していったり、
別の世界として「他界」になったりしたのです。
だから、「テラ」は最初、「洞穴」のことを指し、
ついでテラ自体が概念化されて、
神を祀る場所のことも指すようになったのではないでしょうか。
同じ考察の中で仲松は、
池間島や喜界島では、
墓のことをテラと呼んでいると指摘していますが、
それもこうした文脈で理解することができます。
○ ○ ○
もとに戻れば、
寺崎は、そこに洞穴があるなら、
「洞穴」から来た地名でありうるし、
洞穴がない場合は、
テラが、神とつながる概念にまで成長した段階で、
聖なる場所として名づけられた地名だと考えられます。
寺崎。洞穴はないですよね?(^^;)
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コメント
クオリアさん
ご無沙汰していました
お久しぶりです
早速ですが、寺崎には洞穴があります
シルカアブです
ヤゴウのように崖横のほらあなではありません
地元の方の命が救われた場所です
神は髪、紙、守、上…でも「敬い」だと思います
喜山さんのふるさと探検を楽しみにしています
たまにでも、お邪魔させていただきます
投稿: サッちゃん | 2007/01/10 22:14
教えていただいてありがとうございます。シルカアブですね。
寺崎の名づけの背景に、
シルカアブの存在があるのかもしれないですね。
投稿: 喜山 | 2007/01/11 09:13
クオリアさん
ヤゴウではなく、ハミゴウです
間違えてすみません
ハミゴウにあるのが、崖の横穴です
よね
ヤゴウは、城地域にある水場でした
シルカアブは、最奥の水場までは
50~60m余りの大きな壕です
洞穴といえるのかどうかは・・・?
名づけの背景と云えるかは貴兄の
研究に期待します
投稿: サッちゃん | 2007/01/11 17:27
再び、教えていただいてありがとうございます。
アブはよく聞きますが、
洞穴をテラと呼ぶ場所は与論にあるんでしょうか?
シルカアブとテラサキの関係有無、
いずれ考察したいと思います。
投稿: 喜山 | 2007/01/12 09:15
アカサキ、テラサキにあるウガンは沖縄の
それの原形であり、アカ・テラという言葉の
名づけ方、響き合いは日本全国にみられる
もので、洞窟との係わり合いについても…
与論に来た外間守善先生が話されている
ようですね
与論から世界がみえるのだとも仰っている
ようです
投稿: サッちゃん | 2007/01/12 12:22