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2007/01/31

グーグルアースの一撃

 グーグルアースは感動的だ。
 グーグルアースを使うと、あたかも自分が宇宙船を運転している
ように、宇宙のある一点から、地球に接近することができる。
 こんな映像は『2001年宇宙の旅』を始め、『スター・ウォー
ズ』や『プレデター』、『インディペンデンス・デイ』、『アポロ
13』、『宇宙戦艦大和』などの映画でお目にかかってきた。ただ、
それは地球や惑星のこの上ない映像美を見せてくれるけれど、そこ
に向かう視線の行く先は、作られたものを後追いするだけだった。

 グーグルアースで接近するのは、ぼくたちが生活している地球そ
のものだ。東京からロンドン、ロンドンからニューヨーク、ニュー
ヨークから那覇と、クリックを繰り返しながら地球を周っていくと、
世界中の地域はつながっていて、それこそ地球はひとつなんだとい
う実感が、いままで味わったことのあるどんな体験よりも、強く湧
いてくる。
 それと同時に、映画『独裁者』で、独裁者に扮するチャップリン
が、大きな地球の風船を放り投げて手玉のように戯れるシーンがあ
るけれど、あれと似た、地球で遊ぶという感覚もやってくる。地球
征服を狙う異星の侵略者気分にもなろうというものだ。バルタン星
人のように、フォッフォッフォッと不敵な声を挙げたくなってくる。

 グーグルアースは宇宙の遠点から地球を眺めることに始まり、地
球に接近して、自分の住んでいる住宅や故郷の映像まで、画像が用
意されている場所なら、一台の車の様子まで分るくらい接近できる。
地図を眺めるように、地理感覚を掴んだり、旅行気分を味わったり
することができるのだ。

 そうやってグーグルアース遊びを続けていると、尽きないもので
新しい欲求も湧いてくる。

・リアルタイムに見たい。
・時間を遡行/進行してみたい。

 大きくはこの二つだ。ひとつは、たった今の都市映像を見てみた
いということ。
 自分のいる場所を上空から眺めたいと思うのと一緒に、たとえば、
今、実家はどうなってるだろうと思ったときにそれが見られるとい
うこと。昼間の東京を見ているとき同時に、大阪を見たらそこは雨
になっていることが分れば、地球が生き物のように動いている様が
迫ってくるだろう。また、日中、東京からニューヨークに飛んでみ
たら真っ暗で、地球には昼と夜の区別があることも感覚的に納得で
きるだろう。ニューヨークの夜景はきっと輝いていて、そこだけ見
ると、地球が光の惑星にみえてくるだろうし、一方で同時に、シベ
リアの映像が真っ暗だったら、光のエリアがどれだけ莫大なエネル
ギーを消費しているのかも分るに違いない。
 ぼくたちはそこから大きな学びを受け取るのではないだろうか。

 もうひとつの欲求は、グーグルアースに時間軸を入れたいという
ことだ。
 つまり、時間を遡行すれば、都市の風景が農村に戻り自然そのも
のに帰っていく様や、埋立地が海に帰っていく様が見られること。
それは人間が自然に手を加えることの意味をよく考えさせてくれる
に違いない。夢はもっと膨らんで、大気や海流の動き、それから大
陸や島嶼のわずかな動き、そして欲を言えば、そこに人類の移動ま
でシミュレーションできると楽しい。
 そうしたら陸地の変遷とともに人類はどのように世界に分布して
いったのかをイメージで知ることができる。それはぼくたちの関心
から言えば、日本人の来し方を知るということだ。
 また、未来への時間軸を挿入すれば、変化する大陸や移動する島
の様子がわかるだろう。そして緊急的には、刻々と変化する森林や
北極、南極の様子など、環境問題をリアルに実感できるに違いない。

(超自然哲学1 「1.グーグルアースは世界視線」)

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2007/01/30

超自然哲学へ

これから春を目処に「超自然哲学」というテーマで書きます。

超自然哲学は、マルクスの自然哲学をベースに、
現在の高度に発達した都市と通信の社会は、
どのように理解することができるか。

また、人工物の高度化をやめない都市と、
通信の整備で情報格差の無くなった自然豊かな地方の
関係はどのように捉えたらいいか。

それらのことを考察していきます。

言い換えれば、東京と与論島を、
あるいは、那覇と与那国島を、
奄美市と加計呂麻島を、
同時に視野に入れるにはどうしたらいいか
というテーマです。


与論島との関わりが直接的ではなくなることも多いでしょう。
でも、ぼくのモチーフを思い切り私的に引き寄せれば、
与論島から世界を理解するにはどういう方法があるのか
ということに帰着します。

何をするにも何を考えるにも、
与論との距離が気になってきた身の上からすれば、
どこかで与論島とのつながりを意識したものに
ならざるをえません。

ぼくにとっては、全部、
与論島につながりますから。

ということで、「超自然哲学」が、
与論島への深い理解につながることを願って進めます。

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2007/01/29

『南の島のたったひとりの会計士』

『南の島のたったひとりの会計士』は、
会計士を超えて。

屋宮久光さんの『南の島のたったひとりの会計士』を
楽しく読みました。

そして、奄美大島にこんな人がいると、
嬉しくなりました。

屋宮さんは、奄美大島出身。
高校から鹿児島へ出て大学へ進み、
その後も勉強を続けて公認会計士の資格を得ます。

そして資格を活かして福岡で活躍するのですが、
父の他界と母の心配が契機になり、
奄美大島へ帰ることを考えるようになります。

  奄美群島振興開発特別措置法による補助金
 漬けの経済で弛緩しきった島は、自らの手で
 産業を興す気配すら感じられません。公共事
 業という名の麻薬の切れる前に、次なる奄美
 への道しるべを付けなくてはならない。今こ
 そ公認会計士として出来ることがあるはずだ。
 父が眠る奄美、母の残る奄美、そして私の根
 っこである奄美が苦しんでいる。母なるシマ
 へ戻り、郷土のために死力を尽くさなくては、
 という思いが湧き起こってきたのです。

こう考えた屋宮さんは奄美大島へ、
友人の大反対を押し切って帰島します。

友人が反対するのも無理はありません。
いえ、友人でなくても反対する人は多かったでしょう。
それは公認会計士を必要とする規模の企業のない奄美ゆえに、
資格が意味をなさないということもありますが、

それ以上に、希望と気概が強ければ強いほど、
「失望する」のが目に見えているからです。

 ♪ ♪ ♪

屋宮さんは、帰島します。
その後の展開は物語のように、
この本で楽しむことができます。

奄美大島の現状に驚き、あきれる。
たとえば、一時間遅れるのは当り前のような島時間。
それに苛立ち、愚痴を言うようになります。

あげくに毎晩の酒に、
朝の迎え酒が加わり、屋宮さんは、
いつしかアルコール依存症になってしまいます。

当然の結果として、太るだけでなく身体を壊すのですが、
吐血したのをきっかけにお酒を断つときがやってきます。
そこから、物語は回復へと向かうのです。

台風の夜、
会計のアドバイスをした企業経営者から、
明日までに事業計画書を作らなければならないと言われ、
知人友人に声をかけ、
会計の守備範囲以上のことをみんなでやり遂げる。

そのところで、物語は出口を迎えます。

 ♪ ♪ ♪

こんな空回りからギヤが入るまでの過程で、
面白いのは、アルコール依存症といっても、
どこかで屋宮さんはしらふでいて、
むしろ吐血を待っている心境でいることです。

一度、倒れてから立ち上がる。
一度、倒れないと立ち上がれない。
それが自身の資質だというように、
屋宮さんは、倒れ、また立ち上がります。

そこには余裕すら感じられるのですが、
それは欺瞞というようなものではなく、
奄美の熱い陽射しがもたらす生命力を、
屋宮さんも受け取っているからだと感じます。

そう言いたくなるのは、もうひとつ。
ここにあるにはノン・フィクション、実話なのですが、
それがどことなく物語と感じられることです。

それはきっと、
話の背景に点景される亜熱帯の自然が穏かで優しいことと、
奄美の人の話しぶりが、
のんびりした親密感にあふれているので、
この世のものではないような雰囲気を
まとっているからだと思えます。

「やっぱりこの道でいいちよ」。
この方言というか訛りは、
ぼくにもたまらなく懐かしいものに映ります。

しかし、これはもちろん実話です。

奄美の現実にしっかり立ち向かう屋宮さんの奮闘を応援したい。
そんな気持ちになりました。

そして、与論島出身としてはもうひとつ。

 奄美を自分の力で立ち上がることができる島にする。

この言葉を、ぼくも引き受けたい。
そう思うのです。

『南の島のたったひとりの会計士』

Photo_12







(装丁の下方、きれいな魚たちです)

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2007/01/19

漂流木としてのユンヌ

先日、与論の自称、ユンヌの語源について、
ユナヌ、ユルヌ、ユウヌの3つを挙げてひと段落したつもりだったのに、
また気になる言葉が出てきてしまいました。

困ります。(^^;)

アイヌ語で、漂流木、漂流する木を
ヤンニ(yanni)というそうです。

 yan-ni 漂流する・木

ヤンニのうち、「ヤ」と「ニ」について、
同一行の転訛をたどっていけば、
ヤンニは、ユンヌになってもおかしくないはずです。

「漂流木の寄る地」としてのユンヌ、です。

ヤンニ説だと、ユナヌ、ユルヌ、ユウヌのように、
「ン」になる理由を考えなくて済むところがメリットです。

関連すれば、与那国島には、
西側にダンヌという浜があります。

d音とy音が等価であることを踏まえると、
ダンヌは、ヤンヌなので、
ユンヌと同一なのではないかと思ってきましたが、
この西の浜も、
漂流木の寄る地という由来で不思議ではない位置にあります。

与論島も当然、漂流物は多い。
ぼくも台風あけにウドゥヌスーの浜辺で
漂流の果ての大木を見たことがあります。

漂流木としてのユンヌも否定できない可能性として、
語源の仮説に挙げておきます。

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2007/01/15

ユナヌ vs ユリヌ vs ユウヌ

与論島の自称であるユンヌの語源について、
ユナヌ、ユリヌ、ユウヌの三つを仮説します。

■ユナヌ

ユナヌは、ユナ・ヌに分解して考えます。

ユナは、「砂浜」。
与那、与那覇、与根と同系列と見なします。

また「ユナ」は、もともとアイヌ語のウナ(灰)から
転じたものとされています。

「ヌ」も、アイヌ語に語源に求めて、
「~を持つ」の意味を解します。

つまり、ユナヌは、「砂浜を持つ地」となります。

ユナヌは、音韻の変化を経て、ユンヌへ転化したと考えます。

■ユリヌ

ユリヌは、ユリ・ヌに分解して考えます。

ユリは、本土にある土地のユラ系と同様で、
「水の動揺で平らにされた岸の平地」(柳田国男)のことです。

「ヌ」は、ユナヌと同様に解すれば、

ユリヌは、
「水の動揺で平らにされた岸の平地を持つ地」となります。

■ユウヌ

ユウヌも、ユウ・ヌに分解して考えます。

ユウは、本土にあるユイと同様で、
共同で漁を行う「ゆいが浜形態」(谷川健一)のことです。

「ヌ」は、これもユナヌと同様に解すれば、

ユウヌは、
「共同の漁を行う場(礁湖)を持つ地」となります。

 ♪ ♪ ♪

ユナヌ説の場合、
「砂浜」との関連がつけられる安定感があります。

ただし、ユナヌは直接ヨロンにつながる言葉ではないので、
ユナヌ説の場合、ヨロンは、ユンヌとは別に、
ユンヌの五感とのゆるいつながりを保ちながら、
別の言葉をかぶせたものと解します。

これは現在の地名の変遷の例を考えれば
不思議なことではありません。

ユリヌ説の場合、
語源は与論島自体より、百合が浜の語源の方がふさわしく
みえるのにひっかかりが残ります。

ただ、ユリヌ説の場合は、ユンヌとヨロンを
同一の語源からの派生形態として
捉えられる可能性があります。

ユンヌは、「リ」がn音に縮退したもので、
ヨロンは、「ヌ」がn音に縮退して生まれたと想定できるからです。

ユウヌ説の場合、
与論島の初期居住者にとって礁湖での漁が
重要な意味を持ったことを言い当てられる魅力があります。

他にも、近世中国の書物に与論島のことが、
「夜奴(ユウヌ)」の名で登場することに
関連がつけやすくなります。

ただ、労働形態を地名に当てるのが、
地名の由来としては古形にならないのが弱点です。

この場合、ユンヌはユウヌの「ウ」が、
n音に縮退したと見なします。

 ♪ ♪ ♪

三つの仮説は、どれも欠かしたくないと思うほど、
三者三様に魅力的ですが、
この中から強いてあげるとしたら、ぼくの考えは、
「砂浜」に由来を持つ「ユナヌ」に説得力を感じています。

地名の由来として、最も自然な無理のない印象を受けるからです。

もっと根拠を深めなければならない素人考えですが、
現時点で、与論島の語源として提出する仮説です。

「ユンヌ」の語源は、「砂浜を持つ地」と考えます。

※(この記事は、「『ゆんぬ』語源考2」の考察
を少し進めたものです)

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2007/01/14

ユナ系としてのユンヌ

『地名を歩く』の考察に見られるように
ユナ系の地名としてよく挙げられているのは、
「与那(ユナ)」「与根(ユニ)」、
「与那覇(ユナファ)」「与那原(ユナバル)」です。

 ユナ系の地名には、国頭村のユナ(与那)、
 豊見城市の字ユニ(与根)、南風原町の字
 ユナファ(与那覇)などがある。ユナ系地名
 で、地名の持つ拡大する性格を、最も顕著に
 したのがユナバルで、一つの地相地名が今日
 の自治体地名にまで広がったのは、ユナ系で
 はユナバル(与那原町)だけである。

 (中略)

 ユナ(共通語ヨナ)とは、砂を指す基層地名
 で、国頭村の与那はまさに”砂の寄りつく所”
 であり、ユナバル(与那原)も、美しい白砂
 の果てしなく続く”砂原”の義であった。
 (久手堅 憲夫)

ぼくが思うのは、与論もユナ系の地名ではないかということ。
そしてことによると、
与那国もその可能性があるのではないかということです。

国頭の与那だけでなく、
与論も”砂の寄りつく所”であり、
そのシンボルのように百合が浜があります。

また、与那原だけでなく、与論も、
美しい白砂が果てしなく続く砂原に違いありません。

与論がユナ系の地名に挙がってこないのは、
ひとえに、与論(ヨロン)という町名のためだと思います。
けれど、島では与論をユンヌと自称することを踏まえれば、
ユナ系の視野に入ってくるのではないでしょうか。

地名は、地形や地勢を名づけるのが、
いちばんはじめに来ます。

そうだとしたら、与論島の地形や地勢を言うのに、
「砂」は、白の輝きとともに真っ先に目に入ってくるのです。


また、与那国島は、
与論島ほど白砂が多く広がっていないようにみえます。
でも、ここもユナ系の可能性を持つのではないかと思うのです。

 しかしユナグシク(与那城)は、海浜に立地
 した地名ではなく、丘陵上にあるところから、
 揺り上げ地をいうユラからユナへの変遷地名
 であろうとみられる。またユナグニ(与那国)
 も砂とは関係なく、土地の方言で”四つのく
 に”を指す、”ドゥナン”を共通語読みにし
 てヨナグニとし、与那国を当てたものであろ
 うとみる。
 (久手堅 憲夫)

「四つのくに」はかなり抽象的な概念で、
こうした高度な概念が地名になるのは、
歴史の時間としてかなり新しいはずです。

「ドゥナン」という言葉が土地に伝わってきた言葉だとしたら、
それは、「四つのくに」ではなく、
地形や地勢にその由来を求めなければならないはずです。

また、「ドゥナン」は共通語読みにしなくても、
d音=y音となることを踏まえれば、
「ユナン」となることは可能です。

それは、与那国の他称が、
「ユノーン」となることかも傍証しているように思えます。

ところで、「ユノーン」を3母音変換すれば、
「ユヌーン」となりますが、
ここから「ユンヌ」との類縁すらうっすら感じられてきます。

『地名を歩く』の資料を見ていると、
西表島に、ウルチ浜へ通じる「ユノーンフチ」
という澪があります。

ユノーンの口。このユノーンは、
与那国の他称のユノーンと同一の意味なのではないでしょうか。

ユナ系を追うここでの文脈からいえば、
ユノーンフチは、砂浜への澪、を意味するのかもしれません。

というわけで、
与論島と与那国島もユナ系地名に入ると仮説します。


また、新しい知見を探しましょう。

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2007/01/13

山と喜は、緑と地

ぼくの姓は、与論島発祥のものですが、
その由来はとなると、知らずにきました。

喜山。だいたい任意性が高いようにも見えます。

ふつうにみれば、

・地名を付けるのに、感情を示す「喜」が名前に
 なっているのが特徴的にみえる。

・与論島には山が無いのに、「山」とつけるのが、
 不自然に見える。

こんな印象です。


ここでも、『地名を歩く』は手がかりをくれました。

幸いなことに、「喜」は、「喜界島」があります。

これによれば、喜界は、島の言葉で、「ききや」。
「き」は、「土台とか基礎をいう地形語」。
「や」は、「岩を指す地形語」。

そこで「ききや」は、「岩の土台土台」となって、
「サンゴ礁の段の島」の意味であるとしています。

これは、喜界島では、自分たちの島を「段の島」と
呼んでいることからも分ります。

喜山の「喜」もこれでいいと思えます。


ついで、「山」。
これについて、面白い考察があります。

 沖縄方言で「ヤマ」は山地を表わす内容もあるが、
 たとえ平地であっても草木が生い茂っている所にも
 ヤマ(山)という。(中略)昔、フェーレー(おい
 はぎ)、今は観光で名の知れた多幸山は高い山地で
 はなく、樹木の深く茂ったところであるし、守礼門
 から円覚寺の方へ下りて行く左側は、ハンタン山と
 言ったが、赤木のうっそうと茂った所で、むしろ低
 い斜面である。宮古島の現在熱帯植物公園になって
 いる所は平地ではあるが、樹木が多かったので大野
 山林といった。
 (宮城 幸吉)

こう言われてみれば、与論島でもそうでした。
「山にしちゃって」と、
荒れ放題になった畑のことを言っていたように思います。

「山」は、「草木が生い茂っている所」。


そこで、「喜山」は、
「草木が生い茂っている所の土台」。

こなしていけば、「原っぱ」でもあり、
「緑の土地」でもあります。

ぼくは「喜ぶ山」と読み下してきましたが、
語義に添えば、その意味は、
植物多く緑豊かなことだということかもしれません。

こうみると、やっぱり与論島ぽい名づけに思えてきます。

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2007/01/12

那間は泉

南島地名研究センターの『地名を歩く』に導かれるように、
与論島の地名に手がかりが集まってきます。

嬉しいことに、母の実家でぼくの出生地の
那間のことも分りました。


石垣地方には、「ナー」のつく地名が多いそうです。
で、その中でこんな記述に出くわします。

 また、市街地の後方には「フナー」と称する真地
 (マージィ)と長間(ナーマ)との間に設けられ
 た大きな水路がある。
 (石垣 繁)

これをみればもう、
「長間」=「那間」であると連想できます。

那間も、標準語読みは「なま」ですが、
もともとは、「ナーマ」と呼びますから。

そしてその語源にも言及があります。

 石垣地方の「ナー」は、地下水が自然に地表に
 わき出る泉を指しており、小川をなしている。
 その周辺には、大浜層と琉球石灰岩とその下部
 の不透水層の間隙に水が蓄えられアブ(ドリーネ)
 も見られる。

 宮良部落を例にみると、村の周辺には「タフナー」
 「タナー」等の苗代田があり、「マクシナー」
 (別名マニシキナー)は轟川の上流をなし、
 「ナカバンナー」は宮良川河口の海の降り口に
 あって村人の喉をうるおしていた。
 (石垣 繁)

これでますます確信します。

那間には、湿地帯が広がり、
そこには増木名池という池があったからです。

幼い頃、おじに当たる兄(やか)が、
突然、服を脱いで池に入り泳いだのを、
びっくりどきどき見たことがありました。

それにもうひとつ。
増木名は、「マシキナ」ですが、
引用文にある、「マクシナー」と「マキシナ」が
同一であることも疑えません。


那間は、地下水が自然に湧き出る泉のことであり、
増木名は、池から流れ出る川の上流域を指すと
見なせばいいでしょうか?

 ◎ ◎ ◎

石垣島の考察から与論島のことが分る。
これは与論島を孤島としてみるのではなく、
琉球弧に解き放って得られる知見です。

こうすることで、与論島を孤独から解放して、
琉球弧の連なりの中に位置づけることができます。
与論島がさらに豊かに見えてこないでしょうか。

嬉しい発見です。

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2007/01/11

宇和寺は「岸の洞穴」!?

宇和寺という地名が大好きです。
自分が育った場所へのひいきもありますが、
うわでら、の語感に落ち着きます。

当てた漢字も、「宇宙の平和の寺」と連想できて、
なんとも穏かな連なりなのです。

今回は、この大好きな宇和寺の語源を仮説します。

 宇和寺 = 岸の洞穴

です。

まず、「宇和寺」は「うわでら」ですが、
与論島でのもともとの呼び方は、
『ドゥダンミン2』を見ると、
「わーでぃら」とあります。

「宇和寺」は「わーでぃら」なのです。

で、「わーでぃら」は、「わー・でぃら」と分解できます。
「でぃら」は、「てぃら」が濁音化したもので、
これを五母音にすれば「テラ」となります。

「テラ」といえば前回の考察で、
「洞穴」と捉えたので、それを使えば、
「わー・でぃら」の「でぃら」は「洞穴」と考えられます。

次に、「わー」が問題になるわけですが、
『地名を歩く』では、沖縄の宜野湾の「わ」を、
アイヌ語の(wa=ふち・岸)と解釈していました。

これは宇和寺にも適用したい理解で、
「わー・でぃら」の「わ」を「岸」と解してみます。

こうして、「わーでぃら」は「岸の洞穴」
という解釈が生まれます。

 ○ ○ ○

こんな導き方をしてみたのは、実は宇和寺には洞穴がありました。
現在は、「B&G」という施設ができ、
その建設によって破壊されてしまっています。

つまり、今はないのですが、
この洞穴が地名の由来になっていても
不思議ではないと思うのです。

野口才蔵先生の『南島与論島の文化』によれば、
ぼくの祖先は、薩摩統治の時代に、
代官の言うことをきかず、
島内で遠島にあったとされています。

それを指して、「宇和寺半田遠島」と呼ばれています。
当時、宇和寺半田は、
陸の孤島で地上からは接近できず、
海から接近できる場所だったと。

祖先は宇和寺のふばまに湧泉みつけ、
未開の地への移住を決意したというのです。

もしそうなら、
「宇和寺」の地名も陸地から見てつけたものではなく、
海上からの接近でつけたことになります。

ところで、「B&G」の場所にあった洞穴は、
まさに小さな入り江のすぐ奥にありました。
学生時分のぼくも、そこからすんなり入れたので、
古代ならなおさら海人はそこを発見し、
知っていたでしょう。

遠島の場所はだから、
「宇和寺」ではなく、
わざわざ「宇和寺半田」と、
宇和寺の陸の方を指し示したのだと思います。
宇和寺半田(わーでぃら・ぱんた)です。

こんないきさつを想像して、あの洞穴を、
宇和寺の地名の由来の場所と考えてみました。

この説に則れば、「岸の洞穴」が時を経て、
「宇和寺」と字を当てられたということです。

「岸の洞穴」と「宇和寺」。
これが同一の意味を表すと解することができるんですから、
地名の語源は本当に面白いですね。

 ○ ○ ○

もちろん、これは仮説ですから、
間違っている可能性も充分にあります。

ただ、約20年前に撮ったその洞穴の写真を見ながら、
実はこれが宇和寺の地名の由来だという
考えに浸ってみるのは、
自己満足ですが、楽しいですね。

それにしても、
破壊しちゃいけないでしょう!
洞穴。

誰かがが祈った跡だってちゃんとあったんです。
残念。

せめて画像を保存しましょう。

Wadyla_iriguchi











ここが入口

Wadyla_syounyu











Wadyla_kannon_1














人型に見える鍾乳石
Wadyla_oku



Wadyla_kame





Wadyla_hebi











(1986年頃、撮影)

P.S.
これを書いた後、父に聞いたら、
B&Gの浜をアイギと呼び、
洞穴は、アイギのアブと呼んでいたそうです。
戦時中の空襲の時、使ったこともあったとか。

こうなると、すでにぼくの仮説は怪しいですが、(^^;)
まぁいいか?と、ひとまず出しておきます。

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2007/01/10

テラは洞穴

与論島の寺崎の語源につながる解説に出会いました。

 徳之島の亀徳に菅原神社がある。
 この神社の建てられている場所は、
 もともとテラといわれていた神山であった。
 同島の亀津に金毘羅様を祀る洞穴がある。
 そこもテラといわれていた。
 同島の検福に八幡社の洞穴がある。
 ここもテラといわれてたところである。

 奄美大島にもテラと俗称されている神社がある。
 これ要するに奄美諸島でいわれているテラとは、
 神祀る所といってよい。
 (『地名を歩く』仲松弥秀)

テラは「寺」ではなく、「神祀る所」。

さて、この解釈は妥当に思えますが、
それは寺崎もまさに拝所として、
寺崎ウガンのある場所だからです。

そこで寺崎は、「崎」をひとまずそのまま受け取ると、
「神祀る岬」を意味すると言えます。

地名は場の由来を物語るんですね。
本当に面白いです。

 ○ ○ ○

ただ、テラに「神祀る所」という意味があることは
理解できますが、それが「テラ」の語源かといえば、
そうではない気がします。

仲松の考察に助けを借りると、
ぼくは、「テラ」は「洞穴」が語源ではないかと思うのです。

まず単純に、地名の語源は、
地形を言い当てることから始まるはずだからです。

次に、「洞穴」を起点に置けば、
「神」につながる理解も得やすくなります。

ひもときます。

「洞穴」は、人の精神史にとって、
魂が別の世界へつながる接点となっていたはずです。

中沢新一が『芸術人類学』で、
ラスコー洞窟の壁画を描いた旧石器時代の人類が、
洞窟で心の内部にある「超越的なもの」を
発見したのではないかと考察していますが、
別の世界とは、この「超越的なもの」のひとつの形だと思えます。

「超越的なもの」は、
「神」の概念まで成長していったり、
別の世界として「他界」になったりしたのです。

だから、「テラ」は最初、「洞穴」のことを指し、
ついでテラ自体が概念化されて、
神を祀る場所のことも指すようになったのではないでしょうか。

同じ考察の中で仲松は、
池間島や喜界島では、
墓のことをテラと呼んでいると指摘していますが、
それもこうした文脈で理解することができます。

 ○ ○ ○

もとに戻れば、
寺崎は、そこに洞穴があるなら、
「洞穴」から来た地名でありうるし、
洞穴がない場合は、
テラが、神とつながる概念にまで成長した段階で、
聖なる場所として名づけられた地名だと考えられます。


寺崎。洞穴はないですよね?(^^;)

Tyladaki

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2007/01/09

一期一会の親子対決

卒業する六年生と父兄で対戦するお別れ試合に
参加させてもらいました。

驚いたのは、父兄は、コーチ、監督を兼ねている方も多いから、
子ども達相手とはいえ、みんなユニフォーム姿と本格的。
ジーンズはぼくだけという恥かしい状況でしたが、
せっかくの機会と、加えてもらったのです。

ファーストをおおせつかりました。
キャッチボールならいざ知らず、
実戦はソフトボールでしかしたことがないので、
初の軟式野球にドキドキ。

蓋を開ければ、
すべったころんだちょんぼもいくつかありましたが、
なんとか務め果たせました。ほっ。

でもそんなことより、
お別れ試合のメインイベントは親子対決。
打順がまわってきたとき、
打席に立つ子(親)の親(子)がピッチャーをやるのです。

張り合う親子、察しあう親子。
微笑ましい光景です。

ぼくたちはといえば、
次男の子がバッターの時、
彼はワンストライクワンボールから、
サード寄りにピッチャーゴロ。
ぼくがすべりながら捕ってアウト。

で、ぼくがバッターの時、
改めてドキドキ。

ぼくは親子対決をあっという間に終わらせたくなくて、
一球目は最初から見逃すつもりでしたが、
素直なことにど真ん中のストライク。

二球目は空振りのストライク。
三球目はボール。
少し外角に入った四球目は見逃しました。

しまったと思いましたが判定はボール。
その時、審判を担当した監督さんから、
「おまけですよ」と声があり。

ありがたしと思いつつ、
外側に入った五球目を打ったら
あえなくセカンドフライでした。

親子ともども、互いを打ち取ったのでした。(^^)

いずれ何かの分野でオリジナルな力を花咲かせるだろうと、
親馬鹿ながら未来のイチローと思っている子との、
一期一会の対決を、楽しむことができました。

 ◎ ! □ ◎ ! □

一夜明けて、
ふととも、肩、手首が早速痛くなってます。

でも、それが心地いい。
しばし、心地よい筋肉痛に身を委ねて過ごせそうです。


観戦以外、何も協力らしいことはしなかった、
いけずな父でしたが、
あたたかく参加させてくれた
監督、コーチ、父兄のみなさんにとても感謝しています。

少年野球は、
子どもの成長にとってかけがえのない場でした。
ありがとうございます。

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2007/01/07

砂浜への澪

たぶん南島地名研究センターの『地名を歩く』からの
引用だと思うのだけど、
外海と礁湖をつなぐ底深い海路を「ヌー」と呼ぶ
という解説に出会いました。

「河・海の中で、船の通行に適する底深い水路」である
澪(みお)を「ヌー」と呼ぶというのです。

 「くだかのみお」も「こまかのみお」も中城湾の
 入り口から港川まで連なる知念ウフビシの沖から
 イノーへ入る水路で、方言で「クダカヌー」「コ
 マカヌー」と言っている。

 玉城村百名海岸の「ヤマラヂカサ」の前面には
 「アチヌー」「ジマイヌー」が開けている。
 沖縄の古代文明は各地の干瀬(裾礁)に開かれた
 ヌーグチから入ってきたと考えられる。

 陸の地名にもヌーの語源をもつものが多い。
 豊見城村の饒波は国場川の支流が豊見城城跡の下で
 分かれ溝原まで深く入りこんだところにある。

 (中略)饒波は方言で「ヌーファ」と言う。

これは面白い考察です。

個人的な関心からいえば、「ヌー」の音が、
ゆんぬの「ヌ」の語源の連想に誘うからです。

菊千代さんがまとめてくださった
『与論方言集』によれば、
「礁原の裂け目」を「クチ」というとあります。
出入り口の「口」のことでしょう。

だから、与論には「ヌー」という音は
残っていないのかもしれません。

けれど、クチとヌーと比べれば、
ヌーがより古層の言葉だろうと推測できるから、
ヌーの音を与論に結びつけて考えるのは
そう無理のないことでしょう。

こんな連想です。

ゆんぬを「ゆん」と「ぬ」に分けて、
「ゆん」を「ユナ」のバリエーションとみなし、
「ヌ」を「ヌー」のバリエーションとみなせば、
「ユナ」=砂浜、「ヌー」=澪となって、
ゆんぬを「砂浜への澪」と解することもできます。

「砂浜への澪」としての与論島。

ちょっとロマンティックです。

ただ、この解釈はロマンティックな分だけ、
リアルではない気がします。

むしろ、語源とは別に、
与論島を多義性の方へ解き放つときに、
採用したらいいアイデアなのかもしれません。

波照間島の語源を「沖ノ島」と解し、
果てのうるま(琉球)や果ての珊瑚を、
リゾート地としてのアピールに用いればいいのではと
提案した考えと同様です。

「砂浜への澪」としての与論島。
与論島の魅力を捉える一視点です。

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2007/01/06

ゆんぬの語源、アイヌとのつながり

アイヌ語に「ウナ」という言葉があって、
もともと「灰」を意味するけれど、
これが「砂」の意味にも使われているという考察がありました。

 アイヌ語に una (ウナ)という言葉があります。
 これは、[ 灰、火山灰 ] という意味です。この
 una (ウナ)という言葉が、日本語の yuna (ユナ)、
 yona (ヨナ)、ina (イナ)、uni (ユニ)、
 ino (イノ)となり現在も残っています。本来、
 una (ウナ)は「灰」という意味ですが、「砂」
 という意味にも使われるようになったようです。

 与那
 沖縄では「与那」を yuna (ユナ)と読みます。
 もちろんこれれも una → yuna (ユナ)で、
 「砂」という意味です。沖縄には、与那(ユナ)、
 与那原(ユナバル)や、与那国、与那嶺などの
 姓や地名にたくさん残っており、また、砂浜に
 生える木を「ユナの木」という言い方も残っています。

これはとても面白い考えではないでしょうか。

ユキという言葉が雪のない南島に移った時、
「あられ」の意味になるという変移と同じことだと思えます。

そこで、アイヌの「ウナ」(灰)を源に、
それが「ユナ」(砂)へと転化し、
そのバリエーションの中に、
「ユンヌ」もあると推察することも可能です。

砂浜としての与論島という理解は、
地名の付け方としてもとても自然な気がします。

そうすると、やっぱり仮説1なんでしょうか。(^^;)

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2007/01/05

あたたかな年明け

明けましておめでとうございます。

とある予定をキャンセルされてしまったのですが、
チケットをとっていたこともあり、
他でもない場所であり、
与論島で年明けを過ごしました。

ぱーぱー(祖母)、うふ(祖父)の
お墓参りはできたものの、
私事に奔走して、
すべき方々へのご挨拶を欠いてしまいました。
ごめんなさい。


ただ、与論島での時間。
得がたい充実したひとときに違いありません。

なかでも、
罪深く至らぬ身の上なのに、
あたたかく支えてもらっていることに胸が痛みました。

いつも与論には与えてもらってばかり。
この返礼を力を尽くして行うことが今年の抱負です。

寺崎の海は今年もきれいでした。

Terasaki

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