ドリームタイム
(引用文)
日本国憲法というのは、日本人のドリームタイムなんです。
ドリームタイムというのは、オーストラリアのアボリジニが、
自分たちの根源の場所として確保している場所のことです。
そこへはめったなことではたどり着けないし、現実には
踏み込めないことだってある。その場所には、恐ろしい
虹の蛇が棲んでいるともいわれているんですが、
そういう場所があることを知って、
そこに心を向けることで、
世界は正しい方向に向かっていける。
現実にはそんなものは存在しない。
かつても存在しなかったろうし、
これから先も存在しない。
しかし、そういうものについて考えたり、
それをことばにしたり、
地上にそういうものが宿ることのできる
場所をつくっておくことは、
人間という生き物の生き方にとっては、
とても重大なことです。
それを人類は捨ててきました。
ところが、日本国憲法は、
ことばでできた日本人のドリームタイムなんですね。
ことばでできたドリームタイムによって、
日本人は今まで精神の方向づけを行ってこられたんです。
(『憲法九条を世界遺産に』太田光・中沢新一)
ドリームタイム。
この、アボリジニの言葉をぼくは知りませんでした。
けれど、ドリームタイムは何かに似ているなぁと思い巡らすと、
それは与論島なのでした。
ぼくにとってのドリームタイムは、
与論島かもしれない、と。
与論島にもドリームタイムがあると、
あるいは言えばいいでしょうか。
たとえば、まぶい(魂)が彷徨い出る感覚として、
それはあると言ったら、引き寄せすぎでしょうか。
与論島にはまだドリームタイムがある気がします。
与論島の、与論島ならではのドリームタイムが。
それを言葉にしていきたいです。
P.S.
本について言えば、
与論島を世界遺産にと思うように、
「憲法九条を世界遺産に」というメッセージに共感しました。
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コメント
アボリジニの言う「ドリーム」は「夢見る」ことではなく、
「旅をする」という意味だそうです。
旅をすれば足跡が残る。その足跡には生物の魂が宿っている。
それを「ドリーミング」と呼び、そのドリーミングが行われた時代を
「ドリームタイム」と呼ぶそうです。私も知りませんでした。
これは紛れもないアニミズム……理想の境地ですね。
喜山さんの「ぱーぱー」も、ドリームタイムを知っている方だったのですね。
投稿: GORICO | 2006/12/22 10:32
GORICOさん、コメントありがとうございます。
ぱーぱー(祖母)だけでなく、ある年代までの
与論や琉球弧の人々にとっては自明な世界だったんだと思います。
投稿: 喜山 | 2006/12/22 21:49