直面気質-『ドゥダンミン2』
『ドゥダンミン』もそうだったけれど、
『ドゥダンミン2』でも特に面白いのは漁の話です。
追悼文のように書かれた「ハニ兄」もそうです。
外海では、ピン(昼)ナガリやユ(夜)ナガリをした。
いずれも碇を下ろすときと下ろさないで漂って釣るとき
がある。ピンナガリでは、ムリュウ、パナンタ、ネバリ
類、ベラ類など種類が多かった。魚の種類によって住ん
でいる場所(スニ)がだいたい決まっていて、ハニ兄は
それを熟知していた。あそこに行ってムリュウを釣ろう、
パナンタが釣れるのはどのあたりなど。風向き、潮の流
れ、潮時を勘案して場所を決める。それが漁の出来・不
出来に直結する。
海人にとって、与論島は陸地まででなく、
環礁まででもなく、外海の漁に出るポイントまでは、
与論の範囲に身体化されているのが分かります。
そして魚たちの棲家として、
頭の中に地図としてインプットされていることも。
それは漁で本領を発揮するのでした。
カマス釣りに行った。カマスのスニは与論島の周囲に
あるらしいが、ハニ兄にはたいてい品覇沖に連れて行
ってもらった。兼母の先と沖縄のとさか岩を一直線で
結び、与論島を目印に当て、水深は百五十メートルか
ら二百メートルほどの所を定める。碇は二十キロほど
の石で、帰りは引きちぎって捨てられるようにわら縄
でくくってある。しかも一つしか持っていないから、
一発勝負である。はずしたら、漁獲も当てはずれであ
る。ハニ兄は一度もはずしたことはない。
海上から沖縄島と与論島を視野に入れて、漁のポイントを決める。
与論は、人と動植物の住む陸地の外に、
魚の住む海も含めて身体化されています。
またそれは海の自然と対話できるということでもありました。
黒雲が遠くに見えた。魚が釣れておもしろいときだった。
ハニ兄が「碇を上げろ」と言い、私が「ヌガ?」と言っ
たら「黙ってやれ」と叱りつけられた。帰ってから「黒
雲の下は風だからだ」と言った。そして「ピチュヌ 男
の子を預かっていては」とひとりごとを言った。ひとの
子を乗せていて遭難でもしたら、ということである。優
しさ故の厳しさである。
「ハニ兄」からは、与論にもともといた海の人たちが
どのように生活していたのか、
その一端が垣間見れるようで、わくわくしてきます。
♪ ♪ ♪
ハタパギマンジャイ、イシャトゥ、ウグミ、
ウヮームヌ、クビキラモーミャーなどの多彩なムヌ(幽霊)の話も、
与論島の闇の深さを教えてくれます。
それはまた、1607年、島津藩が琉球に侵入したときも、
首里の巫女たちは呪言で迎え撃ったという、
言葉の力にも通じるのでした。
そのことは火事のときに叫ぶ「ホーハイ」という呪文の
エピソードとして載っています。
火事の元になるピダマ(火玉)は擬人化され、
ホーハイという呪文を嫌うのです。
竹下先生の『ドゥダンミン2』は、
与論島において、つい先ごろまで、
自然と交感し対話する世界が広がっていたことを教えてくれます。
ぼくが知りたかった話題もあって、
アフリカマイマイは食用のため入れられたと
推測していたものの、
実のところどうなのか知らなかったのですが、
昭和30年代の後半に入り爆発的に増殖したもので、
わざわざ持ち込んだと噂されたけれど、
誰が持ち込んだかも分からず仕舞いだったそうです。
それから、子ども時分には塩辛くて
美味しいとは思えなかった魚の塩漬けは、
与論ではイューガマと言っていたように思うけれど、
これは「魚ちゃん」とでも言うような愛称で
固有名詞とは言いがたいので、
沖縄のようなスクという名前はないのかなと疑問でしたが、
それは同様に竹下先生にも疑問で、
分からないのだそうです。
さらに、「嶋」では、
島の成り立ちを地質と神話とから考察していて
興味が尽きません。
♪ ♪ ♪
『ドゥダンミン2』は、
昭和から平成を駆け抜ける与論人(ゆんぬんちゅ)の
半生を回顧したものですが、
語られる世界を人類史に置きなおせば、
古代から現在までの振幅を持つ醍醐味があります。
そんなフィクションのようなノンフィクションが
『ドゥダンミン2』の魅力です。
『ドゥダンミン2』の面白さは、
与論島、南島の奥深さを資源にしていますが、
でも、ここにはもうひとつ、
語り手である竹下先生ならではの面白さがあるように思えます。
竹下先生の資質が現れている個所と言ったらいいでしょうか。
それは、なんというか、
直面気質(かたぎ)とでも言いたくなります。
そう言いたいのはこういうことです。
たとえば、チリ地震のことが出てきます。
それは1960年の出来事です。
竹下先生は当時、奄美大島の名瀬にいました。
ふつうは名瀬にいる頃、チリ地震が起きた
というエピソードとして、
つまり同時代体験として語られるはずです。
そうなのですが、
竹下先生の場合、名瀬市の真ん中の公園で、
津波に乗ってやってきた魚を捕まえて、
そのことで、「津波の偉大さを経験した」と書きます。
ただのニュースではない、
このチリ地震への直面の仕方。
鹿児島では鉄道自殺があったと聞いて、
線路まで見に行ったはいいけれど、
人手が足りなくて、遺体を運ぶ手伝いをします。
この直面の仕方。
また、経験者はあまたいらっしゃるでしょうが、
正月に豚をばらすときに大人の手伝いをして、
中学時分に、豚の命の息吹を身体で感じながら、
と殺を経験します。
その他にもありますが、
この、事態への触れ方が、
間接的ではなく直面する方へ傾斜するのが、
竹下先生の資質なのかもしれない、と思えます。
それが『ドゥダンミン2』の迫真的な魅力になっています。
多くのことに直面し、
まっすぐに考え実行し、
孫を持つにいたった半生を語る。
前作『ドゥダンミン』と同じく
今度の『ドゥダンミン2』からも、
与論人(ゆんぬんちゅ)の
格好いい立ち姿が浮かび上がってきます。
※『ドゥダンミン2』(竹下徹 著、平成18年6月)
「ドゥダンミン」は、竹下先生の言葉では「ひとりよがりな考え」。
竹下先生はこの謙遜によって、作品の批評性を獲得しています。
「ドゥダンミン」というキーワードが、
批評の原動力になっているのです。
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コメント
「ドゥダミン」とは固有名詞ですよね
ユンヌにそういう綽名の方がいました
正確には「ひとりよがりな考えの人」のことです。失礼を省みず、渾名をつけることに関しては
ユンヌンチュは天下一品であると妙に感心します
「ドゥダミン」という方が、どこに住んでいらっしゃったかご存知ですか
与論では有名ですが・・・
「どぅどぅ」は「自分が」、「自分こそ」です
「はみん」は、「素晴らしい」、「素敵だ」です
「どぅだみん」は、「自分が最高、一番」と自画自賛している人のことだと思います
自分さえよければいいとか独りよがり、自分勝
手・・・だとどうですかね?
投稿: サッちゃん | 2006/12/02 22:42
さすがにドゥダミンさんは存知あげません。
それにしても一文字違いですが、
近しい意味になるのですね。
投稿: 喜山 | 2006/12/04 22:37