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2006/11/23

笑う沖縄-「唄の島」の恩人・小那覇舞天伝

笑う沖縄。

この言葉は全くその通りと思うけれど、
どういうわけかとても新鮮に響きます。

そして、「笑う」が沖縄の形容にぴったなのに
新鮮に響くとしたら、
それがどうしてなのかを、
ひとりの人物を通じて、
明らかにしようとしているのが、
『笑う沖縄-「唄の島」の恩人・小那覇 舞天伝』です。

帯には「歯科医師であるとともにボードビリアン」とあります。
ボードビリアンはぼくには耳慣れなかったので、
調べてみたら、喜劇役者のことでした。

歯科医にして喜劇役者、なのです。

その人は、小那覇舞天。「おなはぶーてん」と読む。
本名、小那覇全孝(ぜんこう)。

小那覇全孝は、1897年、明治30年沖縄県今帰仁に生まれ。
東京の歯科学校で学び、浅草の喜劇を観劇。
帰沖後、歯科医院を開業。
結婚し二児をもうける。
しかし妻は結核のため子供の幼少時に他界。
3年後に再婚。
歯科医を続ける傍ら、演劇、民俗舞踏の創作に没頭。
1945年、収容所にて沖縄民謡やオリジナル漫談を演じる。
1947年から石川舞踏団を設立など、芸能活動を活発化。
1954年のラジオ開局とともにひっぱりだこの出演。
1960年、フォーシスターズをプロデュース。
1969年、昭和44年に永眠。

本の記述にしたがって、小那覇舞天の略歴を書いてみると、
歯科医でありながら喜劇役者としての道も追求し、
戦争と戦後の沖縄の困難な状況下で沖縄芸能を構築し、
ラジオで普及させるとともに次世代の育成にも努めた、
そんな求道者の姿が浮かび上がってきます。

この本はそれを詳細に紹介しようとしているのですが、
そうするのは、小那覇舞天の実像が意外に知られておらず、
そればかりかその功績も正当に評価されていないという不思議さに
端を発したものです。

どうしてそうなるのか。

まず、小那覇舞天、当の本人がその功績はもとより、
自分自身をあまり語っていないということ。
名を残す振る舞いをしていないということ。

そして、戦争期という最も「笑い」が困難な時代に
笑いを提供するという難事をなしたのだけれど、
沖縄の戦争のことを沖縄の人自身が忘れたいと思い、
また思い起こす時には「悲しみ」として語るので、
そこに「笑い」が存在したことは、
あまり認めたくないし忌避されてすらいるのではないかということ。

その結果、小那覇舞天が語られることが少なくなる。
そしてそれだけでなく、
実像とかけ離れたところで舞天がキャラクター化されたり、
後継と称する芸人の都合のいい引用を招いている。

それが、この本が主張していることのように思えます。

ぼくは照屋林助が、自身の経歴を語る際に、
小那覇舞天との関わりについて、
脚色を加えているのかどうか、
この本だけからはにわかに判断できません。

しかし、戦後の沖縄芸能の始発点が、
照屋林助ではなく、その前に、
小那覇舞天を持っていたことを
知ってよかったと思います。
照屋林助以上の深さがあったことにほっとします。

著者の曽我部司さんがこの本を書かなければ、
ぼくは小那覇舞天の存在や実像を知るきっかけを
得ることがあったかどうか覚束ない感じです。

舞天自身はそんなこと望んでいなかったかもしれませんが、
少なくともぼくは知ることができてよかった。

そう感じて思うのは、
沖縄の人自身による小那覇舞天伝(論)を読みたい
ということです。

 観光資源に寄り添っているだけの脆弱な経済資源。
 本州から大勢の観光客を呼び込むために創り出された
 北海道のキャッチフレーズの果敢のなさのように、
 沖縄であることが一つの切なさに直結してしまうような
 幻想の数々に辟易していた。
 「同質化しながら差別していく」ということに対する
 反発がわずかながらある限り、私の中には沖縄ブームは
 生まれない。たぶん、本土と呼ぶにふさわしい北海道と
 沖縄以外の土地に住んでいる日本人には理解しがたい
 感覚なのだろう。

著者の曽我部さんは、
小那覇舞天に向けられた視点のありかを、
本の冒頭近くにこう置いています。

この問題視点を持てばこそ、
曽我部さんは小那覇舞天の実像抽出の
作業に挑んだのでした。

小那覇舞天は、差別化の砦を築いた人だから、
「同質化しながら差別していく」現在の沖縄によって
敬して遠ざけられているのではないか、と。

おかげでぼくは、
「笑う沖縄」という沖縄・南島にぴったりの
コンセプト表現に出会うことができました。

あの戦争のさなか、
「笑い」の核が沖縄の中で、
生まれ育まれていたことは、
たとえようもなく貴重なことです。

しかし、そうであるなら、
ぼくはこの作業は、
沖縄の人の手でなされてほしかった。

それだけ重要なものの抽出だから、
地上戦を経験しアメリカ占領の期間を長く持った
沖縄の胎内から生まれてほしかったと、
そういう気持ちが生まれます。

これからのこととしても思います。

小那覇舞天が何を言っているか
分からない立場ではなく、
その芸能が喚起する笑いを体感的に分かる立場からの
小那覇舞天伝(論)を、
曽我部さんの作品の向こうに遠望したいのです。

「笑う沖縄」というコンセプトは、
沖縄自身のものに他ならないからです。

Warauokinawa







  笑う沖縄

□追記

本書から構成した小那覇舞天の生涯です。

1897年、明治30年。沖縄県今帰仁村に生まれる。
母、ツルが家計をきりもり。
1912年、明治45年。
首里二中の移転とともに嘉手納に転居。
1915年、大正4年。
全孝は、トップの成績だったが経済的理由から
本土へ行くこと叶わず、県立師範二部へ。
1917年、大正六年。
屋良小学校の訓導(教員)。
1919年、大正8年。
伊波孫兵衛の援助で東京の日本歯科医学専門学校へ。
全孝、学生時代に21回の引越し。
浅草の喜劇を観劇。
1920年、大正九年。父均、永眠。
全孝、父の臨終に間に合わず。
1922年、大正11年。
日本歯科医学専門学校を卒業し、嘉手納に戻る。
今帰仁村で数ヶ月間、独立開業に向けて準備。
その後、嘉手納で小那覇歯科医院を開業。
同年、結婚。
大正12年、長女、14年、長男誕生。
1926年、大正15年。結核により妻和子、他界。
大正末期頃から、「舞天」名を使うようになる。
1929年、昭和4年。再婚。
1930年、昭和5年。嘉手納通りの真ん中に移転。
芸能活動、ボランティア活動に積極的に参加。
演劇、民俗舞踏の創作に没頭。
1938年、昭和13年。消防団団長。
1939年、昭和14年。母ツル他界。
1945年、昭和20年。嘉手納に避難命令。
この時、長男長女は学校で本土。
同年4月までには石川の難民収容所へ。
収容所にて沖縄民謡やオリジナル漫談を演じる。
9月、沖縄諮詢委員会の文化部芸術課長に。
収容所内の歯科医師と沖縄諮詢委員会の文化部芸術課長
の二足のわらじ。
12月、城前初等学校で芸能大会をプロデュース。
1946年、昭和21年。
4月、沖縄諮詢委員会の解消によって文化部芸術課長
の職を解かれる。
同年暮れ。本土の子供たちを呼び寄せ、
妻と次女と一家全員が揃う。
1947年、昭和22年。
1月から芸能活動を再び活発化。
石川舞踏団の設立、運営。
愛楽園への慰問や乙姫劇団への支援。
1951年、昭和26年。
小那覇歯科医院、開業。
1954年、昭和29年。
RBC開局とともに舞天ラジオ出演。
同年、東京の文化放送に出演。
有楽町生命ホールで番組収録。
同年、コカ・コーラCMの制作、コメント吹き込み。
1960年、昭和35年。
ラジオ沖縄の開局。司会や漫談で出演。
同年。フォーシスターズをプロデュース。
1969年、昭和44年。永眠。

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コメント

 ブーテンさんまで舞い降りてくるとは、お難そうな著作のイメージはまったく見当違いみたいですね

 ユンヌの島を飛び立った大きな「ユムドゥイ」(?)が、旅島で羽ばたいているという表現は「アタラジ」でしょうか?

 かなりの分野で活躍されているシマンチュにお会いしたことはありますが、ユンヌンチュの視点をはずすことなく臆せず挑戦する姿勢が頼もしく思えます

 与論のコンセプトは“謙譲”つまり「まこと」で、それはある意味で「排他性のある内弁慶」は云い過ぎにしても、「インクーサシュル」島からのいわゆる保守、保身なのでしょうか

 沖縄ではない、大和ではない「うみあい(海間)の島」のもっと逞しい基本コンセプトをもって生まれ変わればいいように思われます

 問題発言のつもりはございません。
賑やかなコメントになったようでごめんなさい 

投稿: サッちゃん | 2006/11/23 22:51

サッちゃんさん、コメントありがとうございます。


「排他性のある内弁慶」。読んで赤面しました。
自分のことを指摘されたように。

沖縄でもない大和でもない、
というのは奄美の自己規定だと思っています。
そこにどんな言葉を置くのか、
大切なポイントだと。

「うみあい(海間)の島」は、
すごくいい言葉ですね。
与論のことだと思えます。


そういえば、ユムドゥイはいなくなったとか?
彼らの姿をまた見る日がくるといいです。

投稿: 喜山 | 2006/11/24 18:09

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