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2006/11/18

とうとぅがなしは、《尊・様》

生まれ島のことながら、
とうとぅがなしは、
最も美しい言葉のひとつではないかと思っています。

とうとぅがなしは、
「ありがとうございます」の意味。

「とうとぅがなし」は、
「とうとぅ」と「かなし」。

「とうとぅ」は、「尊い」。
「かなし」は、悲し・哀し・愛し。

これは惹きつけれられてでもどうしようもない、
切なさを湛えた情念のことです。
それが、「悲しい」や「哀しい」や「愛しい」に
分化していくのでしょう。

 ♪ ♪ ♪

ところで、琉球弧ではこの情念にまつわる言葉が、
尊称、敬称に用いられました。


 きこゑきみかなし

 聞ゑ君加那志
 鳴響む君加那志(とよむきみがなし)

 聞ゑ君加那志がよ

 神加那志がよ(かみがなしがよ)

 (『おもろそうし』)

神や琉球の最高神女である聞得大君を呼ぶときに、
「かなし」は、尊称の接尾語になっています。

もともと情念を表す言葉が、
尊称、敬称として使われているのです。

それが、「とうとぅがなし」にも生きています。


『おもろ』のように、与論島の祭りの場でも、
「とうとぅがなし」は登場します。

 トオトゥ、トオトゥ、トオトゥガナシ、
 シヌグの神ガナシ。

 トオトゥ、トオトゥガナシ、
 此ヌ屋敷ヌ 神ガナシ

 (『与論島の生活と伝承』山田実、1984年)


「シヌグの神ガナシ」、
「此ヌ屋敷ヌ 神ガナシ」がそうです。
シヌグの神様、この屋敷の神様、の意です。

そしてその前に添えられている言葉が、
「トオトゥガナシ」。

ぼくたちはこれを、今の言葉から、
「ありがとうございます」と理解したくなりますが、
もともとは違ったのかもしれません。

つまり、神に対する尊称として、
「神ガナシ」が使われているとしたら、
その前段に位置する「トオトゥガナシ」も、
尊称として用いられていると解釈するのが自然です。

トオトゥ、トオトゥ、トオトゥガナシ、
シヌグの神ガナシ。

これは、

尊い、尊い、尊いことです。
シヌグの神様。

宣り言のときは、
こんな情感が流れていたのではないでしょうか。


そして「尊いことです」という尊敬の念が、
日常の言葉として使われていく中で、
「ありがとうございます」に転化していったわけです。

「とうとぅがなし」は、
その意味を漢字で書けば、
「尊」、「様」なのです。

そういえば、「とうとぅ」は、
与論では、祭儀そのものの意味でも使われます。
「とうとぅびー」といえば、
お祈りするときの座りかた、正座なのでした。


 ♪ ♪ ♪

近年、「とうとぅがなし」は、
「尊々我無」の字を当てられて用いられるようです。
これは当て字です。

この当て字は、当たらずと言えども遠からずというか、
遠からずと言えども当たらず、と感じます。

「尊々我無」は、「とうとぅがなし」が、
「ありがとうございます」の意味であることを踏まえた上で、
それに該当するように意訳したようなものです。

文字面としては悪くないにしても、
出自として古来から伝わる言葉に、
近年、当て字をしたものだということは
忘れたくありません。

まして、「尊々我無」と当て字をした途端、
「とうとぅがなし」の語源を、
「我を無くして相手を尊ぶこと」と解釈したら、
漢字を介したそれこそ意訳であり、
語源としては誤解になってしまうことは、
踏まえなければならないと思います。

「とうとぅがなし」は尊い島言葉ですから。

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コメント

 数年前のことでしょうか、「尊々我無」を日経新聞の
ルポルタージュ紙面で見たとき、愕然としました

 クオリアさんに、同感です
与論の人は、我を失くしてしまったのかと思いした

 軽く、語呂遊びでもしているのでしょうか
観光ボケしているのではないかと哀しくなりました

 加那志(伽那志)も愛しい、哀しむほどの思いであり
そのとおりだと思います

 ユンヌ言葉で、「とうとぅびー」は正座のことです
神棚の前だから「とうとぅびー(正座)」だと思います

 今先祖のもとへ旅立った人の行く末をお願いするために、正座して「よろしく」と云うのです
 
 折に触れての神頼みは殆んどが自分の都合です
嬉しい報告も悲しい頼みも、まず親先祖にします

 冠婚葬祭すべてが親先祖への正座です
「座りなさい」は「びり、びりば」がユンヌの言葉です

 便利な場所は、省略して「便所」といいます(?)
和式便所の座り方が、健康にはよろしいと聞きました

 「び」は「尾」に通じるかと思います
「ビリ」は、「どんじり」つまり「最後」のことです

 「びり」は、「尾(尻)を下におきなさい」で「座りなさい」を意味し、与論言葉は日本祖語なのです(?)

 「しんがり」とは、「殿」と書きます
名前の書いた後につける文字なので、最後を意味します

 「しゅうや ○○の『とうとぅ』でーくとぅ」と云う
「今日は、○○の法事(通夜、葬式など)」を意味しています
 
 「とう」は「悼(人の死をいたむこと)」です
親先祖への思慕の念は「かなしみ」だと思います

 親先祖への、もう一つの思いは「感謝」です
「とうとぅがなし」には、二つの意味があります

 まじめな話は、与論の方に迷惑がられそうです
私は、自分のため、親先祖のために喋り続けます

 今日は、これで退散させていただきます
ご迷惑顧みずの饒舌、ご勘弁のほどお願いします

 

投稿: サッちゃん | 2006/11/18 22:43

 日が変わりましたので、続いてお邪魔します
ユンヌのこの頃に慣習化した「与論献捧」があります

 杯に注がれて「もういい時には、「とお!」と云って下さい」と前講釈があっているようです
 
 「与論献捧」の功罪は相半ばのようです
お仕着せの島の産業の為が、功なのでしょうか

 アヘンが、大国の支那を滅ぼした元凶でした
「サイヌセイデークトゥ」と酒に飲まれて、いたいけな生命が奪われているのも痛ましい現実です

 「とお!」は、「十(じゅう)」ですよね
「とお」は、「十分です=もういいです」です
 
 「とおとぅどう」には、有難みがまします
「トウトゥドウ マニュ(ハニ、ウシ)」には「とおとぅ」より心がこもります

 「とおとぅどう うじゃんか(やか)」は、拝むばかり(ウガンパイ)です
 
 「ユンヌフトゥバ」に「10」以上の言葉はありません。
私は存じてはいませんが、あるのでしょうか?

 「にゃー とおー」は、「もうこれ以上はいいよ」です
「にゃー」や「にゃま」は・・・どんな意味?

 「にゃま」は「今」のことです
「今は、『ニャマ』と云います」と教えられた人
は、「どうして「にゃま」と云うの?」と云うでしょう 

 私は思います。「”一”はよろしいんですが、”二”は結構です」となるはずです

「二は・・・」は「もう・・・」となるのです
「にゃま」は「1から2の間(2になる前に)」だと、ユンヌ言葉の凄さに酔い痴れます
 
 全ての人に「とおとぅ かなし(伽那志)」
かなりの云い過ぎです。ごめんなさい。

投稿: サッちゃん | 2006/11/19 01:33

サッちゃんさん、コメントありがとうございます。

私の「とうとぅがなし」理解で足りないところを
教えてもらった気がします。とうとぅがなし。

ビリは、尻(しり)が転化したものというのが語源の
説明のようです。

でもこれが逆だと楽しいですね。
もともとが、「びり」で、それが「しり」へ転化
したものであるとしたら。


「とお」と「にゃま」の理解は、
愛情あふれていて、
与論の人もすごく喜んでてくれると思いました。

投稿: 喜山 | 2006/11/19 10:27

 「ミッシューク トウトゥ ガナシ」
「みなさん、心からありがとうございます」
と云うのが、公式挨拶になっているようです

 「みっしゅーく」「がなし」で感謝の思い
は、最高の言葉として表現されています

 普段は、「トウートゥー」とゆっくり深く
頭を下げるのが心からの感謝の言葉です

 「みっしゅーく」、「がなし」などと声高
に不特定の者に向かって聞こえよがしに云わ
なくても、心は通じているのがユンヌです

 時代は移ります。何事も変わります。
いみじくも、20数年前に東京から与論の島
に移住した方が「廃れるのも、なくなるのも
文化ですよね。」と云われていました
もっともなことです
 
 変わらないものもあるはずです
人類社会が続く限り変わってはいけないもの
があると思います

 守るべきものがあるとしんじています
与論にとって、守らなければならない大切な
ものとは、一体、何なのでしょうか
議論するつもりはありません

 与論のことを思い続けながら、クオリアの
楽しい散策の旅を応援いたします

 

投稿: サッちゃん | 2006/11/20 00:05

サッちゃんさん、コメントありがとうございます。

物腰柔らかく「とうとぅー」と言われると、
気持ちがとても素直になります。
マジカルな言葉です。


私は、「与論の方言は忘れましょう」
という教育下で育った世代です。

その悔しさもありますが、
言葉の奥行きに与論の底深さを
見つけていきたいですね。

投稿: 喜山 | 2006/11/20 09:57

とうとぅがなし。

与論ずきの一変人です。沖縄での「カナシ」は「加那志」と当られていました。敬称であり、琉球の姫君にも何人かこの称号で呼ばれる方がいます。
でも、我無しに当てはめた人は、滅私奉公の人と想起したのかも知れませんが、やはり、違和感と覚えます。しかし、Tシャツになったり、島の至るところで見掛けます。
漢字ではなく、かなで標記しませんか。さもなくば、「加那志」を用いて書いていただきたいと願います。
「我無し」は元の言葉の魂を抜いています。
もっと、方言を大切にしてほしいと願うばかりです。

投稿: 岸本 | 2010/09/10 03:41

岸本さん

お返事遅れました。ごめんなさい。

> 「我無し」は元の言葉の魂を抜いています。

その通りですね。ぼくも違和感一杯です。
島のことを想ってくださり、ありがとうございます。
とうとぅがなし。

投稿: 喜山 | 2010/09/20 17:56

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