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2006/11/29

「与論献俸」分解酵素

柳田國男が、明治になって酒の用途が増えてきた
ことについて、面白い考察をしています。

 手短にいうならば知らぬ人に逢う機会、
 それも晴れがましい心構えをもって、
 近付きになるべき場合が急に増加して、
 得たり賢しとこの古くからの方式を利用
 し始めたのである。

 明治の社交は気の置ける異郷人と、明日
 からすぐにもともに働かなければならぬ
 ような社交であった。

 常は無口で思うことも言えぬ者、わずか
 な外部からの衝動にも堪えぬ者が、抑え
 られた自己を表現する手段として、酒徳
 を礼賛する例さえあったのである。

 酒は飲むとも飲まるるなということを、
 今でも秀句のごとく心得て言う人がある
 が、実際は人を飲むのがすなわち酒の力
 であった。客を酔い倒れにしえなかった
 宴会は、決して成功とは言わなかったの
 である。
  (『明治大正史世相篇』柳田國男、1930年執筆)

「明治の社交は気の置ける異郷人と、
明日からすぐにもともに働かなければならぬうな社交」で、

「常は無口で思うことも言えぬ者、
わずかな外部からの衝動にも堪えぬ者が、
抑えられた自己を表現する手段として」
酒が用いられたというのです。

 ♪ ♪ ♪ 

これは多くの示唆を与えてくれます。

与論は、内部の人同士では、
触れることがそのまま優しさであるような
親密感あふれる人間関係を持ってきました。

それは、来島する人への激しい人見知りと同居するし、
排他性となって表れることもあったでしょう。

ところで日本の明治以降とはつまり、
廃藩置県で共同体が藩の内部だけではなく、
全国区になったことを指しています。

与論において、
共同体が全国区となるような事態は、
近年でいえば観光ブームにおいて
顕在化したと言えるでしょう。

こう考えてくれば、
あの「与論献俸」のモチーフを
理解することができそうです。

与論献俸とは、
極度の人見知りと極度の親密感を
一挙にまたぎ越すための一計である、
と。

してみると、与論献俸を必要としているのは、
旅の人(たびんちゅ)よりは、
より、島の人(しまんちゅ)であると思えます。

こうやって理解していけば、
より自由な酒の楽しみ方、
「有泉」の味わい方、吟味についても、
配慮する視点を持つことができるのではないでしょうか。

一気呑みの大学生は、
いかにして一気呑みしない社会人になるのか。
部下と呑む機会の決定権を持ちたがる上司は、
いかにしてそのミニ権力を解くのか。

にもかかわらず、
酒を飲み酒に飲まれる酒宴の楽しみを、
どのように保つことができるのか、

という、しらふで議論するには、
いささか気恥ずかしいテーマで、
与論献俸を考えてみる手がかりが
得られるのではありますまいか。

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