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2006/10/08

与論はひとつの<クニ>

1970年、ビートルズの解散とほぼ同じ頃に
発表された吉本隆明の詩「島はみんな幻」です。

(前略)

おれはいま
故郷であるようなないような
家系の代理でもあるようなないような
よそものでもあるようなないような
あいまいな表情で 昔を抱きしめた老女やかなしい亜熱帯と
必死になってわたりあつている
おれの所有はわずかなはにかみと ふるまわれた酒の酔い
と 父や父の父が施した余韻しかない
ここでひけらかせるのは
けつして口にできない妄想と
妄想が島連中にわかるはずがないという確信と 不安の
海上を通ってやつてくるこの世界の みんな
にたいする拒絶だけだ

<きみ>はしるまい
<きみ>が<クニ>と称して恨んだりよろこんだりしているもの
が じつは幻の島にすぎないこと
<きみ>はしるまい
<きみ>が島と称して辺境にうかがうもの
が じつはさびしいひとつひとつの<クニ>であること

与論島の独立独歩を思うとき、
この詩をよく思い出します。

特に、3年前の沖永良部島との合併問題の時、
「島はみんな幻」は、この問題に向けられた言葉のようにさえ感じました。

近いしどちらも小さな島だから、
合併するというのは、
生活する人を考慮に入れない地図発想です。

地図発想だから、近ければ一緒にすればいい、
小さければ括ってしまえばいい、
そんなことで整理できると思えてしまいます。

ここまでは薩摩にしてしまえばいい。

与論も、この地図発想にその命運を左右されてきました。

でも、与論島もひとつの<クニ>です。
あるいは、宇宙とさえ思えてきます。

36年前の詩を受けて、ぼくが思うのは、
妄想をよく分ると受け止め、
さびしさを明るさの方へ解き放つことです。

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