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2006/10/20

損なわれた時の反芻

失われた時を求めて、ではない。
損なわれた時を求めて、だ。

島尾伸三は、両親とともに引っ越した足跡を辿って、
東京から奄美大島へ向かって旅している。

何のために?

「やさしかったおかあさんを捜し求めて」。
本当は母親のことが大好きだった。
そのことを自分に認めるために。
少年の頃の自己や家族を反芻することで癒されるために。

たぶん、それが切実だった。
それが損なわれた時を快復する術だった。

島尾は旅日記をつづる。
ぼくたちは、その現実と夢の間を彷徨うような文体に誘われながら、
ぼくたちもまた夢とも現とも分らないような感覚に囚われてゆく。
それがこの作品の入り口なのだというように。

この感覚の中に入ってゆくと、
まるで島尾の口調がよく聞こえるような時もあった。
たとえば、「何のために生きてきたのでしょうか。」という一節。

こんな一節にも出会う。学校の禁止映画の映画館。

 そこは、けっして清々しい場所などではなく、
 流れることを忘れた湿った空気が、ずうっと
 澱んだままで、瓦や軒や板壁やあらゆる隙間
 に、埃と黴と苔と体臭と黴菌と、ネズミ、ゴ
 キブリ、アリ、ダニ、すでに過去のものとな
 ったはずのシラミ、ノミ、南京虫が、足下か
 ら這い上がってくる気持ち悪さに満ちていて、
 そこでは良からぬ生業や、表沙汰にならない
 事件が息づいていて、健康と優しさを食い物
 にする理不尽がその社会の主体となっている
 ような悲しみと不幸の巣のようなところなの
 にです。おとなの世界に足を踏み入れた気に
 なっていたのでしょうか。それとも、悪者ぶ
 ってみたかったのでしょうか。

島尾は、脚注でこうした書き方を、
「憂鬱になるような嫌がらせの作文」と自ら評して
「ごめんなさい」としている。

けれど、この文章は嫌なものでは決してない。
むしろ、全てが澱んだ空間に感受性の触手を充分に
張り巡らせているおかげで、島尾の感性の型の必然に
触れることができるように思えた。

つげ義春の作品にも似て、
そこに安息さえ感じられるのだ。

 @ @ @

ただ、それはいつも言い知れない寂寥さと背中合わせだ。

ここには、島尾の写真も収められているのだが、
写真の視点の置き方が、
風景を納めるような場所からというより、
写したい場からもう一歩引いて、
その世界に属さない疎外されたポイントに視点を置いている。

あるいは、目線が合うのを避けたり、
相手が気づかない場所に視点を置いたり。
それはまるで、成仏できない死者の視線のようですらある。

空も、天気はいつもそうと言うように、
決まって曇だ。

そんな視点が切なく迫ってくる。

Photo










 @ @ @

でも、奄美の空のように明るく突き抜けるシーンも無いわけではない。
親戚の女性に、子ども二人、預けられたときがそうだ。
その時は、「若すぎる美少女をおかあさんにした幸せな小学一年生」と言う。
もうひとつは、奄美の自然を紹介するとき、
身を乗り出すように、
「奄美の自然を自慢したいのは、私だけではありません」
と切り出している。

ぼくたちは、こんな風にほんの束の間、ほっとする瞬間を見ながら、
島尾の旅路が奄美につくまで付き合うだろう。旅は道連れ。

 @ @ @

ところで島尾の旅はその目的を果たすことができただろうか。
母が大好きだったことを認める旅は。

 満月が大好きだったのか、満月を見ると触発されるのか、
 いつだって満月に向かって母は歌を唄いだします。それ
 は縁側の柱につかまったり、銭湯の帰り道で夜空を見上
 げ、子どもが側にいることを忘れたかのように、泣いた
 り、ため息を混じえながら、「感無量」と彼女はよく言
 いましたが、そんな感じに彼女はすぐに溺れるのです。
 子どもにしてみれば、毎度ながらも母の喜怒哀楽の激し
 さには驚きやら少し恥かしいやらなのですが。彼女は、
 南の国の海の向こうへ行ってしまった自分の母親の魂が
 よほど懐かしいのだということが、切々と伝わってきて、
 自分までそんな感慨に引きずり込まれることが嫌でした。

自他の区別がつかないほど濃密な関係世界を生きた
母の見せる感応性の高い表情と、
それに共感しながら戸惑い、立ち止る息子と。

旅はおあつらえむきなエンディングを用意するよりは、
島尾の日常の感覚を反復するに留まったようにも見える。
でも、それは旅がなくても同じだったというのではない。

それというのも、島尾の資質に届いた言葉が、
読むぼくたちを癒すように届くからだ。
それは島尾伸三が奄美行きのなかで受け取ったものに違いない。


追記
この本は、『東京~奄美 損なわれた時を求めて』だ。
2004年、河出書房新社から出ている。

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