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2006/10/23

要望と無関心の向こう側へ

与論情報サイトによると、去る9月5日、与論島にて、
鹿児島県知事と島民との対話の場が持たれている。

14の質問とそれに対する知事の回答がなされたそうで、
サイトにはそのうち10の質問と回答が掲載されている。

質問と回答の詳細な文言は分からないので、
誤解を含んでしまうだろうけれど、
島民と知事のやりとりはすれ違っているように見える。

たとえば島民が、供利ではなく市街地に近い茶花港をメインに
できないかと問えば、知事は船会社との研究が必要と回答している。

一方に島民の質問があり、一方に知事の回答があるわけだが、
このQ&Aは、不親切なウェブサイトのFAQのように、
島民の要望に対する回答が知事個人のそれというより、
役所回答以上でも以下でもないという印象を拭えなかった。

なんというか、要望に対応させれば無関心である。
島民の要望と県の無関心がすれ違いの場を形成しているような
そんな印象なのだ。

これは誤解であるかもしれない。

けれど、10の応答の議事録?からは、
生産的、建設的な読後感は残念ながらやってこない。
この向こう側に突き抜けたい欲求を抱いてしまう。

要望と無関心の向こうに抜けてゆくために、
要望ではなく、提案を置くことが解決のひとつに
なるのではないか。

提案によって、無関心ではなくコミットを呼ぶ可能性を
持つのではないかと思う。

もちろんこれは島外に住む者の無責任な言い草だから、
島民の営為に失礼があってはいけない。

けれど、なんというか、つい書いてしまった。


【追記】

与論情報サイトではこの対話を「知事と語う会」と紹介している。
けれど、掲載されている写真をみると、
「知事と語ろ会」と読める。

実はぼくはこの横断幕にいちばん違和感を持った。

「語ろ会」は、「かたろかい」で、鹿児島弁だと思う。
この言葉が与論の公の場に置かれた。
ぼくには違和感が残る。
この言葉に躓く。

個人として鹿児島弁を話す人が与論に来て鹿児島弁で話す。
それはいくらでもありうることだし、
そんな場面は好ましいし望ましくすらある。

でも、公の場で政治的な言葉として置かれる時、
違和感を持たざるをえない。

理由は単純で、「知事と語ろ会」という表現は、
知事ではなく、市町村民側が話し手となる言葉だけれど、
それなら、与論の島民は「語ろ」とは言わないからである。

それは鹿児島弁だ。
それを与論の公の場に置いたとき、
場は白けるしかないのではないか。

与論は鹿児島ではない。

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コメント

すっきりしました。

投稿: 泡 盛窪 | 2006/10/24 05:51

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