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2006/10/29

シモーヌ・ヴェイユの後押し

フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユが、
無名の人たちの中に第一級のものがあると言っていることを、
吉本隆明や栗本慎一郎の文章で知って、
それ以来、この考え方にとても惹かれてきました。

出典が分からなかった時は、
本屋のシモーヌ・ヴェイユのコーナーの前で、
片っ端からこのことに触れた個所を探して本を漁ったこともありました。

ヴェイユはこう言います。

 人格の表出のさまざまの形式であるにすぎない科学、
 芸術、文学、哲学は、華やかな、輝かしい結果が
 実を結び、それによっていくつかの名前が数千年
 にわたって生きのびる、というある領域を構成している。
 しかし、この領域を越えて、はるかかなたに、
 この領域とはひとつの深淵でもって距てられた、
 もうひとつ別の領域があり、そこには第一級のものが
 おかれている。それらは本質的に名をもたない。

 その領域にわけ入った人びとの名前が記録されているか、
 それとも消失しているかは偶然による。たとえ、
 その名前が記録されているとしても、それらの人びとは
 匿名へ入りこんでしまったのである。

 (ヴェイユ『ロンドン論集とさいごの手紙』
 「人格と聖なるもの」杉山毅訳)

優れた作品を残した人は、名を残す。
けれど、名のあることだけがすべてではなく、
名のある人の領域とは隔てられたところに、
無名の領域があって、そこには第一級のものがある。

人は名のあることを目指したり、
名のある人に憧れたりするけれど、
それだけではなく、
名のない人たちのなかに優れたものが存在している。

名のあることが幸せになることではない。
名もないことのなかの偉大を見つける感じる力を持とう。
そう言っているようにも聞こえます。


ぼくがこの考え方に惹かれるのは、
こう言われて真っ先に与論の人々、
とりわけいにしえを生きた名もない人々のことを
思うからかもしれません。

名もないけれど、偉大な人たちがいる。
そう言われて祖母を思い起こすからかもしれません。

無名の領域のなかの与論。
そこにも珠玉のような人たちがいたしいることを、
後押ししてくれる考えのように読めるのです。

誰もがちょっとした名のある人を目指すようになった時代。
シモーヌ・ヴェイユの言葉は、
慰みや配慮ではなく、
一人ひとりへの勇気づけのように響いてきます。

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コメント

一人ひとりへの勇気づけのような気がします。
オオゴマダラが飛んできました。

投稿: 泡 盛窪 | 2006/10/30 05:56

オオゴマダラ、見かけるのですか?
だとしたらとてもいいですね。
オオゴマダラが舞う島、与論ですから。

投稿: 喜山 | 2006/10/30 16:18

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