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2006/09/29

与論の森よ、永遠なれ

与論島にもボーリング場がありました。
70年代から80年代にかけてのことだったと思います。

与論島にボーリング場?
なんとも不似合いな気がしますが、
でも今やゴルフ場もあるくらいだから、
そうでもないのでしょう。

かつて与論観光がピークだった頃です。
そしてブームが過ぎ、
ボーリング場は廃業されました。

90年代の後半、
元ボーリング場を訪れると、
戦争後を思わせるような廃墟と化していました。

屋根は骨組みを残して日が存分に差し込んで、
ボーリングのレーンもピンも残っているわけはなく、
ロッカーやカウンターも荒れ放題でした。
たしか、野犬がうろついていました。

宴の後の静けさというより、
静寂に包まれていました。

    ★ ★ ★

世紀を改めて、再び訪れてみると、
廃墟は無くなり、更地になっていました。

でも、無謀な観光施設が続かなければよいがと眺めて、
ぼくの眼に飛び込んできたのは、更地ではなく、
それを取り巻くガジュマルの群生でした。

Photo_5












それは何と悠々とした佇まいでしょう。
神々しくすらあります。

すごい!と思いました。
近づいてみたくなります。

Photo_3








Photo_8












これは、映画「ジュラシック・パーク」の撮影セットではなく、
TVで観るアマゾンの熱帯雨林でもなく、
わが与論島の姿なのです。

すごい。このすごさをどうやったら写し出せるだろう。
しばし、ガジャン(蚊)が足にまとわりつくのに任せて、
カメラに納めてみました。

Photo_2










Photo_4





Photo_6













Sekkaigan














でも、これは特別な光景じゃない。
ほんの数十年前までは、
与論島で、もっともありふれた光景だったはず。
しかも、古からずっと連綿としてきた。

小さな島の大きな森。
住居を取り囲み聖地につながる。

この森を与論島でもっと見たいと、
そう願わずにいられません。
Photo_7

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コメント

 青年団活動でよく遊びました。このに囲まれた北の付近に従兄弟の家がありました。パーパーの家から海におりてくる途中でした。今はカーラダイが生えています。屋敷林を取り戻すため20年がたちました。あと10年たてば私の住処もこれに近い森になるはずです。ガージャンが多くてこまっています。

投稿: 泡 盛窪 | 2006/10/01 04:27

 青年のころボーリング場にかよいました。

投稿: 泡 盛窪 | 2006/10/01 04:30

森再生は数十年事業なんですね。
でも、与論の深い森を再生することは、
与論の大きな魅力づくりにつながると思います。
広げたいですね。

投稿: 喜山 | 2006/10/02 09:41

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