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2005/12/27

『「死の棘」日記』は柔らかい (1)

島尾敏雄の『「死の棘」日記』は柔らかい。

実は発行の三月にこの本を買ったのだけれど、
読めずに置いておいた。

『死の棘』も途中までしか読んでいない。
小栗康平監督の映画『死の棘』は観た。

森田芳光監督の『家族ゲーム』のように、
松坂慶子のミホと岸辺一徳の敏雄が並列に座る場面が
強烈に印象に残っている。

要するに、ぼくの視力はこの作品に向き合うまでに強くは
ないだろうと、そう思っていたのだ。

ところが日経新聞が十二月に
『「死の棘」日記』を特集してくれた。

そして意外にも夫婦の修羅場ではなく、
友人との交流をテーマに取り上げられていたのだ。

それなら、ぼくも読めるかもしれないと
紐解いてみたのだけれど、
日経新聞の記事は当っていた。

ことが起こってひと月も経たない二十七日。
日中、くんずほつれつの二人。けれど。

 くらくなってから屋根の瓦替え、二畳のネダが
 折れているのを直して貰い、又玄関の戸の
 戸車を直してもらう。ミホも元気(亡霊を追い
 出せ! という二人の合言葉)夕食はウィス
 キーの小瓶を青木さんとのみ、すき焼、その
 最中、雨の中吉本隆明と奥島健男が訪ねて
 来た。ミホ喜ぶ、生まれ変わったおとうさん、
 それでユウェ(祝)のつもり(青木さんとのすき
 焼きも祝のつもり)だといって買出しに出かける。

不謹慎な連想かもしれないけれど、
この場面はビートルズ末期、仲たがいを嘆いた
ジョージ・ハリスンがビリー・プレストンを招いて、
みんなが行儀よくなったエピソードを思い起こさせる。

外の風が酸素を運んでくれる。そういう状況だ。
こうした友情の場面は、日経新聞の紹介の通り、
作品にほっとひと息、風穴を開けるようにやってくる。

引用した奥野、吉本との友情は特に印象深い。
感銘を受けるのはこういう場面だ。

 奥野が吉本に今一番興味のある作家は? 武田泰淳?
 ときくと吉本、ぼくを指さす。

戦後の作家として吉本は島尾敏雄を高く評価していた。
その彼が島尾を指さす。島尾はこれだけしか記していない。
しかし、これがどれだけ島尾を励ましたか、
想像に難くないと思う。

二人は、いくたびかの対談の機会を経たあと、
『「死の棘」日記』の日々から十数年を経て、
このときのことを話題にした「平和の中の主戦場」という、
これもまた印象的な対談を行なうのだ。

批評家は冷たく作家を評価し、作家は冷たく批評家を見放す。
そういう関係ではないのだということを知る。

それはこういう場面にも伺い知れる。

 二人(奥野と吉本-引用者注)が太宰治、
 中野重治、島尾という風に。吉本、島尾サンハ
 批評等ニ怒ラクチャイケナイ、怒ッテ下サイ。

例によって日記の島尾はそれ以上のことを書いていない。
どうにもこうにもならない一日の終わりに、括弧書きで
注釈のように「吉本隆明より手紙」と書いた日もある。

批評家が作家を支える。
そうした場面のあることを島尾の日記は教えてくれる。

妻ミホの退院を待って奄美大島に帰る十月十七日に、
横浜港にそうそうたる顔ぶれの文学者が揃う場面もある。
けれど、そこにしても島尾は淡々と固有名を記すのみだ。

日経新聞の記事によれば、「島尾さんは謙虚で懐が深かった。
人を思想では色分けしない。だから誰からも愛された」と
吉本のコメントを記している。

闘い終わった後の愛情ある言葉。
こういう評価は、批評を全作家に対し、
ひとしなみに行なっているときには言えない事柄だろう。

『「死の棘」日記』は、こんな思いやりのあるエピソードを
届けてくれるあたたかい作品だ。

shinotogenikki
「死の棘」日記
島尾敏雄

新潮社
2005/04/01
2,310円

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