« 『「死の棘」日記』は柔らかい (1) | トップページ | 『「死の棘」日記』は柔らかい (3) »

2005/12/29

『「死の棘」日記』は柔らかい (2)

人を救うとはその人と徹底的に付き合うことだ、
というのは、詩人鮎川信夫の言葉だったろうか。

島尾敏雄の『「死の棘」日記』は、
その言葉を思い出させる。

人を救うとはどういうことなのか。
神ではないぼくたちにできるのは、徹底的に付き合うことだ。
でも、そこにこそ人の力がある、というような。

『「死の棘」日記』は、
精神を病んだ妻を看病する敏雄の日記なのだけれど、
病者の妻と健常者の敏雄の物語かといえば、
必ずしもそうではない。

徹底的に付き合うということはそうではないことを
この日記は教えてくれる。

妻が発作を起こし、献身的にその病態に敏雄が付き合う
というのは、この本のメインの表情だ。

けれど、それだけではなく、もうひとつ、
もう自分のような者は生きていけないとばかりに、
敏雄が自殺を企てようとする。

すると、妻ははっと正気になり、敏雄の暴走を止め、
気持ちを鎮めようと躍起になるのだ。

この瞬間を捉えれば、病態を演じるのは敏雄で、
健常者を演じるのが妻ミホなのである。

 四月三日 雨
  昨夜、今朝方ミホ頗ル調子ヨカッタガ(コノママ
 奄美大島ニ行ケソウ)朝食の直前印鑑証明ノ件デ反
 応起リ、怒リハジメ、ボクハ鉄路ノ方ニ逃ゲ、ミホ
 追イカケテ来テ、一サワギスル。終日メランコリー、
 躁状態。夕方誓文書イテオサマル。夕食ミホつくる。
 カツ丼鈴木君ニモッテ行ク不在。夜小林君来ル。奥
 サンノ出産ハマダ、十一時過ぎ帰ル。ミホやさしい
 声で島謡などうたう。ミホ腕の中で眠りにつく。

まだ、回復の兆しも見当たらない状況のときの日記だけれど、
ここにも、二人の関係の密接さを感じることができる。
ミホの発作(ここでは、「反応」と呼ばれている)と、
呼応するような敏雄のリアクション。

どちらが病態でどちらが健常者なのか、
明瞭な線が引けるわけではない。
それは相互変換している。
それだけ徹底的に付き合っているのだ。

この日の日記は、島尾がほっとしている個所で、
表記はカタカナからひらがなに変わっていると思う。

「ミホ腕の中で眠りにつく」。

島尾はこのとき、ミホがいとおしかったに違いない。

なぜミホが病態に陥ったのか、解説している日もある。

 ミホは周囲の人々から大切にされ、成長期に競争、
 嫉妬ということを知らずに育ち、憎悪の訓練がな
 かった、珍しい性格で、今それを知り、許すか
 (?愛するか)憎むかどちらかに決めねばならぬ
 ジレンマと混乱に陥っている。

ここに無垢なミホ像が浮かび上がるのだが、
現在のミホ夫人も、「発病するまでストレスを
感じたことはなく、幼子のようでした」と、
島尾の解説に呼応している。

無垢な生い立ちが病態を生んだ。
けれど、この無垢な魂であるがゆえ、
島尾は付き合い切ることができたのかもしれない。

こうした繰り返しを経た後、
発作が小康を得て、妻の故郷の奄美大島への移住が
実現するのだけれど、ここに治癒があるとしたら、
それはどのように訪れるものかが伝わってくる。

それは、互いが互いの鏡となること。
言い換えれば、徹底的に付き合うこと、
ではないだろうか。

少なくとも、敏雄が徹底して妻ミホの発作に付き合った結果、
小康が訪れていることは間違いないと思える。

真剣に向き合った者同士の関係の凄さを知らされる。
というより、関係とは本来、このようなものかもしれないと、
思わせてくれる。

ミホ夫人は日経新聞の記事中でこう語る。

 お互いに死ぬことを覚悟して以来、私と島尾の愛は
 強く深い。島尾は自分がそばにいないとミホはダメ
 になると思っていたのでしょう。

羨ましい言葉だと思う。

これも、『「死の棘」日記』から届けられるやわらかさの感触だ。

|

« 『「死の棘」日記』は柔らかい (1) | トップページ | 『「死の棘」日記』は柔らかい (3) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『「死の棘」日記』は柔らかい (2):

« 『「死の棘」日記』は柔らかい (1) | トップページ | 『「死の棘」日記』は柔らかい (3) »