『ウンタマギルー』以後。過剰の交換。
高嶺剛は、映画『ウンタマギルー』で、 ウンタマギルーの世界は、人物が変っても輪廻のように繰り返されてきたが、「日本復帰」によって、「聖なるけだるさ」は完全に絶たれてしまった、と言っているようにみえる。「大状況」によって完全に喪失されたものは、沖縄の主権性ではなく、方言でもなく、民俗の宝庫でもなく、高嶺に言わせれば「聖なるけだるさ」であり、魂のたゆたう世界であり、それが絶たれてのちには日常のどこかで感じるけだるさだけが残り、魂の浮遊する世界は消えてしまったということなのだ。
『ウンタマギルー』のメインタイトルのでる冒頭のシーン
は、珊瑚礁の平原を、額に槍を貫通させたギルーが苦悩の
表情を浮かべながら彷徨い歩くのだが、これは「聖なるけ
だるさ」に触れることもできず、魂を浮遊させる術を無く
した、現在における沖縄・南島人の姿の暗喩になっている
と思える。
<「南島の現在形」(1992年)から引用>
これを書いたのは1992年。いま読むと、高嶺の描いた世界は、
1997年の宮崎駿監督の作品、『もののけ姫』にまっすぐにつ
ながっているのに気づく。
『もののけ姫』のラスト近く、デイダラボッチは人の手によって
死に追いやられる。デイダラボッチが倒れ、疾風が野原を駆け巡
る。その後にも野原は残るのだが、そこにはデイダラボッチが生
きていた頃には、あったものが無くなっている。それは聖なる森
の聖性だ。作品はそれを主張するわけではない。ただ、宮崎の作
品はそれを映像によって伝えていた。
高嶺は宮崎より早く、聖なるものが喪われるということを、喪わ
れる側の世界から描いた。その早さは、高嶺の喪失の落差と生々
しさの強度を教えるが、それなら、ぼくたちはいま、そこからど
のような場所に立っていると言えばいいだろう。
かつてオキナワは日本ではなかった。 とすれば、そのオキナワにあって日本に無いものは何か? それこそ、オキナワンチルダイ。“琉球の聖なる気だるさ” なのである。この映画には、よくまとまったパンフレットがあり、これ
はその中に見つかる文言である。ぼくは、人々が南島に結ぶ信憑像を「南島は、日本とは少
し違う」と書いた。高嶺は、『ウンタマギルー』を日本人
が見ればまるで外国のように描くのだが、だからといって
高嶺は「南島は、異国として日本とは違う」というのでは
ない。「大和」が天皇を戴いているのと同様に、琉球王朝という
国家が存在していたという主張にはなっていない。また、
復帰前にもう一つの支配者をもって「アメリカ」であった
と言いたいわけでももちろんない。つまり、彼の作品表現は、その「日本」ではなかった時代
の“神”をもって「沖縄」とするのではないし、まして南
島人は異民族であえると主張しているのではない。高嶺は
「南島はかつて日本ではなかった」と言うのみなのである。ここでモチーフとなっているのは、国家としての相違や神
の違いや民族のちがいにより、両者を同等な存在として切
り離すことではなく、ある陸離たるイメージで、日本との
差異面を明確にするということ、そこに、ある断層を走ら
せることにある。けれどもそれだけではない。高嶺は明言してないが、ここ
にはもうひとつの重要な差異線が引かれている。かれは、
「いまでこそ沖縄は日本の一地方として位置づけられてい
る」と書いているように、沖縄が日本の一地方に解体して
しまっていることを知っている。現在では、沖縄を日本と異なるものとして定立するのは不
可能だという前提がここにはある。だから高嶺は、「南島
は、日本とは少し違う」という信憑像に、別の像を対峙さ
せたいわけではないのだ。かれは、「かつてオキナワは日
本ではなかった」と言うとおり、本当は現在の沖縄との差
異こそが、意識されているのだ。従って、かれの沖縄・南島像の差異線は、日本(大和)と、
現在の沖縄とに、二重に引かれているのである。そこでぼくたちは、映画『ウンタマギルー』から、あの、
「大和と沖縄・南島」という二項対立的な構図が終わって
いることを確認するのだ。あの劣性、欠如、貧困の象徴を担ってきた「方言」は作品
を構成する言語として選択されていて、そこに羞恥や禁制
の意識はない。そしてそれだけでなく、その構図の外に出
る運動を、「方言」使用を根拠にしたり、それに象徴させ
た「誇り」や「克服」によってなしている響きは全く感じ
られない。さらに、この映画においては、沖縄・南島は貧困、劣性、
欠如を担わされているのでもないければ、その告発がある
のでもない。「大和と沖縄・南島」の構図のなかにある南
島像から遠く離れることはこの映画の前提として大切にさ
れていることなのだ。近代期南島の島人たちを煩わせてきた構造を、この作品は
終わらせているのである。それなら、高嶺の表現する概念、文化としての沖縄は、ど
のようなものかといえば、それは“過剰なる沖縄・南島”
像というべきものだ。しかし繰り返すが、かれはその「過剰さ」を作品表現を構
成する「方言」に託しているのではない。これまで見てき
たように高嶺は、現存する方言や音楽や舞踏の様式に自ら
の沖縄像についての信を置いていない。あるいは、これまで欠如、貧困、劣性の象徴であったもの
が、それを支える根拠を崩壊してみると、ふと過剰なるも
のとして見出されたというのでもない。高嶺の表現はそう
なっていない。彼が提示するのは、実体的なものでも実像
的なものでもなく、「聖なるけだるさ」という感覚であり、
イメージであり、関係の構造なのだ。その「聖なるけだるさ」こそは、南方的な過剰さを湛える
ものとして沖縄・南島のなかに見出した「沖縄そのもの」
なのだ。けれどその「けだるさ」とももにあった魂の彷徨
う世界は、現在では消滅してしまったものであり、作品表
現として実現するしかない。高嶺が「沖縄そのものを、映
画そのものに重ね合わせるようにして、映画でしか味わう
ことのできないパラダイスへの到達を願うのである」と言
うのは、そのようなことだ。この“過剰さ”は不思議なあり方をしている。この「過剰
さ」によって、ぼくたちは圧倒され、その圏外に弾き出さ
れることはない。どうしてだろう。それは、もはやその
「過剰さ」が沖縄・南島に完全な姿ではないからではない。ぼくたちはその「過剰さ」を、『ウンタマギルー』という
南方的な夢物語の「パラダイス」世界で享受することがで
きるし、それだけでなく、その像、イメージを共有するこ
とができるからだ。その像、イメージを実感できないのは、ぼくたちが沖縄人
でないからではなく、「聖なるけだるさ」が充満し、魂の
浮遊する世界の関係の構造を失っているからだ。しかし、
人は誰もが望めば、その地で、「聖なるけだるさ」を思い
起こさせるような、けだるい感じを味わうことができる。ここにおいて、大和の人間であろうと、沖縄・南島の人間
であろうと、その実感を得ることと、得られないこととは
同様の条件で手元にあるのだ。
<「南島の現在形」(1992年)から引用>
この文章から13年後の世界にいるぼくたちは、ここに何を付け足すことができるだろうか。
80年代の後半に沖縄から届けられたいくつかの作品は、異質な方言世界や南方リゾートのような既成概念に依拠せずに作品そのものの力量によって市場に通用しうる水準を見せてくれた。
その背景には、人工的自然という条件によって共通化される
都市感性の獲得が必要条件としてあった。当時、那覇の市場を
「せんえんなー」(千円均一)と言って洋服や雑貨を売る老人がいたが、
彼はその「せんえんなー」という声によって、
均質な世界の到来を告げているかのようだった。
そして今、ビル群の間を縫うように那覇と首里を走る
モノレールが、「せんえんなー」の後を引き継ぐように
都市を横断する感性を表現している。
ぼくたちは、ここでもまた、「過剰なる沖縄・南島」
という根拠が生きているのを感じるだろう。
過剰なるものの提示によって、
それは他者と共有可能なものになる。
しかしもうひとつ、喪われた聖性によっても、
他者と共有可能な条件が開かれた。
「聖なるけだるさ」は、それが「聖なる」ままでは、
共有可能なものにはならない。沖縄・南島の民俗の内側でのみ、
聖性は保たれるからだ。
いま、沖縄・南島では本土からの移住が進展している。
そして移住者の存在が経済を活性化させていると、
時事は伝えている。
移住が可能であること。それには、まず、沖縄・南島に過剰なもの
を見いだしそれに惹かれるということ。
そしてそれが共有可能なものとして提示されることが必要だった。
そこで沖縄・南島の過剰と移住者の過剰が交換可能なものとなる。
こうして移住と受容は実現している。
これは、「聖なるけだるさ」のあと「けだるさ」の残る世界に現れる
新しい沖縄・南島の表情なのだ。
これが、映画『ウンタマギルー』のから得られる、
今日の沖縄・南島の姿への理解だ。
(画像は、映画『ウンタンマギルー』のパンフレットから)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント