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2005/11/28

無音のコミュニケーション

夜の9時半。地下鉄のホームに降りてびっくり。
ぼくが乗り込む位置はエスカレーターの脇で、
ホームの幅が短いので、
壁越しに待ち人は立つのだけれど、
そこにいた仕事帰りの女性たちが
こぞって携帯を見つめていました。

じっと眺めて文字を読んでいたり、
親指を動かして文字を打ったり。

今では珍しくないホームの風景ではあったでしょう。

やれやれと思いながら、間に入れてもらいました。
やれやれ、と思うのは、彼女たちに対してではなく、
自分もその風景の一部になったからでした。
ぼくもauで覚えたてのCmailを使ってみたのです。

ある人はこれから帰るメールを打っているのかもしれない。
ある人は、待ち合わせ場所に着く時間を知らせているのかもしれない。
仕事のメールを見ていることもあるでしょう。
恋人からのメッセージを読みふけっていることもあるでしょう。
ぼくもそのなかに混じって、メールを打ちました。

隣同士、誰も言葉を交わすことはありません。
それなら、ここには言葉はないのでしょうか?
いいえ、ないどころか、ここには無音のコミュニケーションが
あふれています。

その場にいない人と話をしたいとき、
以前なら、公衆電話という場所に立ち寄りました。
携帯電話の登場で、道すがら、話すことができるようになりました。
そして、道すがらも話せなかった人はホームで携帯メールを打ちます。

昔の社交場を井戸端会議と呼んだのにならえば、
場所はホーム、やりとりは会議ではなくせいぜい連絡だから、
「ホーム端連絡」です。

ホーム端連絡は、時間に追い詰められて辛うじて見出した
コミュニケーションの瞬間でもあれば、
手持ち無沙汰の間に、誰かとつながる意味ある瞬間
でもあるような気がしました。

ぼくもつながっている安心感のなかにあったからです。


与論のことは、いつも想ってきました。
つながっていたい、与論のためになることをしたい。
それはずっと去らない願いであり続けています。

もし、与論島が人で与論さんに連絡を取ることができるなら、
喜んでホーム端連絡をするでしょう。
今日も仕事に明け暮れた。与論のため、はまたお預け。
ごめん、と。

与論さんはメッセージを受け取ってくれるでしょうか。
受け取ったとしてどんな返事をくれるでしょう。


こんな連想を許してくれるなら、携帯メールも悪くない。

これまで不可思議に眺めてきた携帯メール族が
少し微笑ましい人たちに見えてくるようです。

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