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2005/11/11

与論島クオリア

遅ればせながら、「与論島クオリア」の志を記します。

与論島に住んだり、行ったりすると、
きっとある感覚に襲われます。

切なくとろけるような、えもいわれぬ感覚です。
ぼくは、与論島以外の場所でこんな感じに
囚われたことはありません。

いつも持て余してしまうほどのこの感じは何だろう。
それを言葉にしたくて、始めています。


ぼくが言葉にしたい与論島クオリアは、
いくつかの系列で整理できるでしょう。

与論島・琉球弧の来し方、今、行く末、自然、作品、人。

「来し方」はよく知られているわけではない。
与論の歴史は、日本にとってだけでなく
与論の人たちにとっても明らかではないから。

「今」、与論島がどうであり、
そして「行く末」に何を構想するのかということ。
それはとても切実なテーマです。

そしてなんといっても人を魅了してやまず、
ぼくも与論島クオリアの核にあると思う「自然」。
与論の豊かな自然を、ぼくたちは取り戻し、
さらに豊かに成長させていけるのかということ。

与論島・琉球弧はどのように描かれてきたのか。
どのように描かれているのか。
そしてどう描かれたがっているのか。
「作品」は、与論島・琉球弧をどう更新してくれているのか。

「人」。最後に残るのは人。
人間関係の理想を垣間見せてくれた与論島の人。

これらのテーマです。


出身者の贔屓目もあるでしょう。
ただ、それを言葉にしたいという衝迫は、
歳を重ねても去っていきません。

それどころか、それが何なのかを言葉にしなければ
うまく前へ進めないと思うほどです。

願わくば、小さな与論島の大きな自然のように、
ゆったりとした構えで進められますように。

初心として、記しておきます。

kasouba

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コメント

「美しいよろんをいつまでも」ということをいつも事あるごとにアピールしてきました。
しかし、ヨロンの施政関係者の大半は美しさのすばらしさを真に感じていないようです。
この時に至っても美の破壊が続いています。
このすばらしいヨロンの自然の「美」の大切さを認識出来ないでいるようです。

投稿: seino | 2006/01/17 19:52

seinoさん、コメントありがとうございます。

与論の自然が破壊されるのは心が痛みます。
ガジュマルなどの森の再生をはかっていきたいです。

投稿: 喜山 | 2006/01/17 22:53

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