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2005/10/04

喪失よりも深い再生で

I lost my Yoron twice
ぼくは与論を二度、失っている。

一度目は、幼少の頃、父の転勤で。
二度目は、小学5年の時、父の転勤で。

一度目のことは覚えていない。
二度目のことは、先日、出し抜けに記憶が蘇ってきた。

江ヶ島桟橋から天馬船に揺られて与論島を離れた。
飛行機であっという間に去るのではなく、
接岸された船からスムーズに離れていくのではなく、
小さな天馬船はゆっくりと、
岸壁の親戚や友達を小さくしていった。
鈍感なぼくが、哀しいという感情を知った時だった。

でもぼくの哀しみはありふれている。
誰もが引越しをし、誰もが故郷を離れてきた。
故郷を去ることが経済的な豊かさを得ることでありえた。
だから、特別なことではない。

それなら、三十年の喪失感はどこからやってくるのだろう。
諦めの悪さ?
与論から離れるようにしか生きてこれなかったから?
それとも、ゆんぬんちゅ自身が
ゆんぬを忘れようとした時期があったから?

そのどれでなくても、どれであっても、
与論が切なさの源泉であることに変りはなかった。
いつでも。どこにいても。


だから、これは後生変わらぬ想いと肝に据えて、
ぼくはぼくの与論島を描こう。
与論を取り戻すというのではなく、
与論を活かし更新することによって。

喪失よりも深い再生で。

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