« 『裏庭の混沌と創造』の響き | トップページ | 島尾敏雄の与論島、その表情 »

2005/09/24

島尾敏雄の与論島

島尾敏雄は、二度、与論をテーマにエッセイを書いてくれている。

島尾が奄美や琉球弧に対して注いだ愛情を思うと、
与論をテーマにしてくれたこと自体に感謝したくなる。

短いエッセイだから、全文引用してみよう。
(改行は、見やすいように引用者が勝手につけた個所もある)

shimao_16

島尾敏雄全集 第16巻 (16)

いまから42年ほど前、ぼくが生まれる直前に
書かれた文章だ。

「与論島のモチーフ」と題されている。


  私はこれまで二度与論島に行った。何度も行ってみたいという場所
 があるものだが、私にとって与論島はそのひとつだ。二度ともその折
 の事情でゆっくり島のなかを歩くことができずに終わったが、あるい
 はそのために、またそのつぎにおとずれる予想に強い期待をいだくこ
 とになった。

  では何度も行ってみたいかというと、そこがひとつの孤立したせま
 い区域の人間社会だということと、その島とかたちが私の気持ちをい
 あなうからだ。まわりを海にかこまれ、ほかの土地から隔絶したひと
 にぎりの場所であるため、そこに住む人びとの生活に、圧縮した状態
 があらわれているのにちがいないと思う。

 私は都会に生れそして育ったが、自分を手がかりにして人間を知るた
 めの方法を、その都会のなかでは会得しにくかったように思う。すべ
 ての人間世界の「進歩」(とひとまずいっておくが)のなかで、その
 「進歩」の調子に疑惑の気持をいだきはじめてから、ある意味では、
 あとずさりの方法を考えた。

 戦線を整理しはじめると、自分がたしかにつかみとれるかぎられた世
 界(この場合かぎられたというのは、平面的な広さのことをいいたい
 のだが)が私の目のまえに大きくすがたをあらわしはじめた。そのと
 き私には辺地がたいせつな意味をもちはじめる。都会は魅惑を内にし
 たまま色あせてこわばりはじめ、辺地はやわらかく心象を広げてくる。

 その自分の責任を管理できるだけの広さ(実際にはせまい場所)に自
 分を重ねて投入することによって、私ははっきり自分をたしかめるこ
 とに希望をもつだろう。そのときすでに、現実のせまさは、その境界
 を越えてふくらみはじめるだろう。私の心象のなかでは、与論島は、
 せまい小さな孤島ではなくて、なにかいいあらわすことのできない広
 さとしてとらえられている。
 (初出《与論新報》昭和三十八年十二月一日)
 (『島尾敏雄全集第16巻』)

島尾は、何を「与論島のモチーフ」と捉えているだろう。
それは、エッセイの最後に記されている。

「せまい小さな孤島ではなくて、
なにかいいあらわすことのできない広さ」

これが、島尾に捉えられた与論島のモチーフだ。

地理的物理的条件である「せまい小さな孤島」ではなく、
「なにかいいあらわすことのできない広さ」。

これはいい表現だ。島尾は少ない機会のうちに、
真っ芯で与論島を感受してくれたのではないだろうか。

「なにかいいあらわすことのできない広さ」は、
四十年前だからありえたものではなく、
いまもありありと感じることができると思える。

島尾の感想と地続きの場所にぼくたちは立っている。

それをぼくは、与論の境界を無化する力と呼んでおこう。
人と人、海と空、海と土地、あらゆる違いを静かにふみならして
違いを無くしていく力だ。

だから、そこに「広さ」を感じることができる。
そうぼくは解いていきたい。

与論島のモチーフを書いた島尾のモチーフをぼくは受け取る。
そして、島尾が「なにかいいあらわすことのできない広さ」について、
言い表してみようと思うのだ。

|

« 『裏庭の混沌と創造』の響き | トップページ | 島尾敏雄の与論島、その表情 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 島尾敏雄の与論島:

« 『裏庭の混沌と創造』の響き | トップページ | 島尾敏雄の与論島、その表情 »