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2005/09/25

島尾敏雄の与論島、その表情

島尾敏雄は、「与論島のモチーフ」を書いてから二年後、
もう一度、与論について触れる。

そこでは、「与論島のモチーフ」で、
「なにかいいあらわすことのできない広さ」と書いたことについて、
深めようとしているように見える。

shimao_17


島尾敏雄全集 第17巻 (17)

これも短文だ。全文引用してみる。
(前回同様、改行は見やすいように引用者が勝手に
つけた個所もある)


「与論島にて」

  私は今まで与論島には二度訪れる機会があったが、どちらも短い滞
 在だったから、与論島の生活について、どれほどのことも知ることは
 できなかった。しかしそのあいだに感じとったことがないわけではな
 い。

  現実の具体的な面について知ることはできなかたかわりに(もっと
 もノートを片手にたずね歩くことを意識的にしなかったのだが)、い
 わば抽象的なイメージを豊富につかむことができた。それは島にあら
 われている現実の貧しさとは別に、とても豊かなものだ。

  島の、海から区別されている陸としての大きさについては、だれで
 もが認めるように、たいへん狭隘だといわなければならない。奄美の
 島々のなかで、与論島は、与路島や請島などとともに小さいなかでも
 小さい島のひとつだ。しかしたとえ与路や請とくらべて与論が少しは
 大きいとしても、島の孤立的な位置からみれば、どうしても与論島の
 ほうが目立つだろう。広い大海のただなかにひとつだけ放置された島
 のかたちは、からだかの底からつきあげてくる寂しさを感じないわけ
 にはゆかない。

  ところで私の浅い与論体験が、その寂しさをかくすことはできない
 としても、島のなかを歩いてある景色の大きさを感じたのはどういう
 わけだったろう。大きさというよりあるいは広がりといったほうがよ
 いがよいかもしれない。どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いてい
 るような、あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の砂丘をと
 ぼとぼ歩いているような錯覚におちいらせるものがあった。これはど
 ういうわけだったろう。

 島のなかほどのある場所ではその周辺より凹んでいて海の見えないこ
 とがあたかもしれないが、与論島自体は海洋のただなかのひとにぎり
 の珊瑚礁にすぎないのに、そのまわりに広がり横たわる海の気も遠く
 なる大きさを反映し吸収して、みずからもふしぎな広がりを内包して
 いることが私には珍しかった。それが夜の月の光の下では、またいっ
 そうその広がりを深めていることに気づかなければなるまい。

 二つの相反する条件が(つまり広がりとすぼまりが)お互いを排除し
 ながらひとつの場所であやもつれしている光景に、私は、調子の微妙
 な酔いにいざなわれたことを告白しよう。そしてそのことは島に住む
 人々の生活にある律動をあたえているのにちがいないが、それをたし
 かめる余裕を私は持たなかった。私はもっとたびたび与論島を訪れる
 ことによってその状況を正確につかみたいと思っている。
 (《詩稿》昭和四十年八月 第九号)


作家の感受性は、与論島を「広がり」として捉えている。

┃ ところで私の浅い与論体験が、その寂しさをかくすことはできない
┃としても、島のなかを歩いてある景色の大きさを感じたのはどういう
┃わけだったろう。大きさというよりあるいは広がりといったほうがよ
┃いがよいかもしれない。どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いてい
┃るような、あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の砂丘をと
┃ぼとぼ歩いているような錯覚におちいらせるものがあった。これはど
┃ういうわけだったろう。

ぼくたちが島を狭いと感じるときがあるとすれば、
それはどういうときだったろう。

そう考えると、それは、島尾の言う、
「広い大海のただなかにひとつだけ放置された島」だからではない。
それはありえない。

それは、奄美やもっと大きい世界の地図を見た視線から言える言葉だ。
島人はそれを身体化しているわけではない。
ぼくたちが、島を狭いと感じるときがあるとしたら、
個人の欲望を自覚して、それが誰もが誰もを知っているという
関係性と衝突したときである。

だから、島尾の言う寂しさをことさらに言う必要はないと思うの
だけれど、「どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いているような、
あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の砂丘を
とぼとぼ歩いているような錯覚」は、
思い当たる節のある感覚ではないかと思える。

その身体感覚において、与論島は広い。

島尾は、与論島はひとにぎりの珊瑚礁にすぎないのに、
「ふしぎな広がりを内包している」と言う。
それを、島の人たちはよく知っているのではないだろうか。

島尾は、与論島を訪れることによって正確につかみたいと、
希望を述べてくれている。果たしてそれは適ったのか。
その後の消息からすれば、それは適わなかったように見える。

けれどもこれらの言葉を受け取るぼくたちは、
がっかりする必要はない。

自分たちはの体感を手がかりに、
島尾が明らかにしたかったものに言葉を与えてゆけばいい。

ただ、島尾が作家の感受性で言葉にしてくれたおかげで、
ぼくたちがそれに気づく、という過程において、
やはり、大切なことをしてれているのだ。

愛情ある島外からの視線がどれほど励みになるか。
これはそのいい例だ。


島尾敏雄が与論島に触れた文章は、二つとも全文引用した。
いまは全集のなかに埋もれている小文だから、
この先、どれくらいの人が読んでくれるか分からない。
まして与論の人に。

だから、ここに載せて、ひとりでも多くの与論の人たち、
与論を好きな人たちに読んでもらいたいと思う。

これは、「琉球弧」という言葉によって、
奄美をその孤独から救抜し、
同じく「ヤポネシア」という言葉によって、
日本を優しく島嶼へ解き放った思想家の言葉でもある。

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コメント

島尾氏の全集の中からこの与論への思い、感傷にさえちかい文章を公開してくださって有難うございました。大変貴重な機会をみつけました

投稿: hana | 2005/09/26 19:12

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