« ドゥダンミン | トップページ | 島尾敏雄の与論島 »

2005/09/17

『裏庭の混沌と創造』の響き

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ビートルズ相聞歌 No.121
───────────────────────────────────
□ Album :CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD
□ Lennon :
□ McCartney:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
□ Release :2005/09/07
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
            ジョンの内面化            ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
ポール・マッカートニーが2001年、アルバム『DRIVING RAIN』
リリースしたとき、ぼくたちはそれがワールド・ツアーを前提として
いるという表向きの華やかさとは裏腹に、くすんだ色調であるのに気
づきました。

「もう独りぼっちで歩いていきたくないよ」という彼の声に、ジョン
だけでなく、最愛のリンダ・マッカートニー、ビートルズをともに歩
いたジョージ・ハリスンを見送った彼の哀しみが影を落としているの
を理解しました。無理もない、と。

彼は当時、「どしゃぶりの雨」(driving rain)の中にいたのでした。

だから、2002年の彼のワールド・ツアーが、ビートルズを引き受
けることをテーマにしていても、派手さが目立つのではなく、メロウ
な味わいのほうが印象的だったのもよく頷けるのでした。

彼は、寂しさを克服してステージに立ち、ビートルズを引き受ける振
る舞いを見せたのではなく、寂しさをそこに集った聴衆と分かち合い、
そしてビートルズを引き受けるというテーマも、一緒に担ってほしい
と言っているように見えました。

ぼくたちは、ポール・マッカートニーという天才も「枯れる」という
段階へ入ったことを認めつつも、「枯れてもポール・マッカートニー」
としてアルバム『DRIVING RAIN』の、次のレノン-マッカートニーの
物語を楽しみにしてきたはずです。

それから、3年、ポールは次の声を聞かせてくれてました。それが、
2005年リリースのアルバム『CHAOS AND CREATION IN THE BACK-
YARD』です。

Chaos And Creation In The Back Yard (CCCD)

           ♪  ♪  ♪

chaoscreation

「裏庭の混沌と創造」。そう意味を受け取れるタイトルのアルバムから聞こえてくるのはどんな調べでしょう。

それはまず、メランコリックな響きとしてやっています。メランコリックをぼくたちの日常に引き寄せれば、憂鬱と言うのですが、ここでメランコリックを、「ゆううつ」とは書いてしまいたくないと感じます。書きたくはないけれど、沈んだ重たさが曲たちには否
応なくにじみ出ています。ここに、かつての明るく軽いポールはいな
いかのようです。

もう少し正確に言ってみます。音楽機械としてのマッカートニーの快
美なバラードと軽快なロックは、その基本を失っていないけれど、そ
こに沈んだ重さが加わるようになっている、と。ゆううつと言うには
重くて、メランコリックとカタカナで気分のように言うのが妥当だ、
と。

たとえば、「Vanilla Sky」の後継に当たる「Riding to Vanity Fair」
は、メランコリックな色彩が生んだ新領域の作品です。また、「At
The Mercy」は、「A Hard Day's Night」にあった忙しい夜というテー
マを、レノン-マッカートニーという拠点で乗り切るところから、こ
こでは、「Let It Be」とメランコリックにやり過ごすように変化して
います。

このメランコリックなトーンは、自身の老いもさることながら、でも
それ以上に、大切な人々を見送る側に立ってきたポールが否応なく引
き受けざるをえない重さだったと思います。

しかし、それは単に傾向というだけでなく音楽機械としてのマッカー
トニーの新しい表情になっているように思えてきます。どういうこと
か。

ポールはジョンを内面化したのではないでしょうか。

           ♪  ♪  ♪

たとえば、曲「Friends to Go」は、ジョージの、しかも出来のいい
曲に聞こえてきます。ポールが、「この歌を作曲中、まるで自分が
ジョージ・ハリスンになったような気がした。ジョージになった僕が
彼の曲を書いているような気がしたんだよ。だから、この曲はすごく
簡単に作れた」と言うとき、ぼくたちには深く頷くでしょう。

音楽機械としてのマッカートニーの独創性は、単独としてあるのでは
なく、芳醇な過去の蓄積を自分のものにする力であると、ぼくたちは
知っているからです。だから、ジョージになることは可能だろうと。

でも、置き換えてみましょう。

ジョージに少し失礼になるかもしれないけれど、同じことをジョンに
できるだろうか、と。自分がジョン・レノンになったような気がした、
とポールは言うでしょうか。

ぼくはそれはできないと思います。それは、ジョンの没後四半世紀を
経ても、ポールはそう言ったことがないからというだけでなく、ポー
ルとジョンの関係は、ジョージの曲のように対象化できるものではな
く、ほとんどどちらが作ったか分からないほど、不可分に感じてきた
過程を経ているからです。

「ジョンになった気分だった」ということは、自分自身のことと分離
できなからです。

だから、ジョージや他の音楽家にそうするようにはジョンに対しては
できないのです。それが、そもそものレノン-マッカートニーの意味
です。

           ♪  ♪  ♪

それなら、ジョンの内面化というとき、音楽機械としてのレノンをわ
がものとしたことを意味するかといえば、そうでもありません。この
アルバムはそう、響いてくるわけではありません。

「Follow Me」を聞いてみます。

  ♪ You lift my spirits
    You shine on my soul
    Whenever I'm empty
    You make me feel whole
    I can rely on you
    To guide me through
    Any situation
    You hold up a sign that reads, follow me

    You give me direction
    You show me the way
    You gave me a reason
    To face every day
    I can depend on you
    To send me to
    Any destination
    You hold up a sign that reads,follow me,follow

  ♪ 僕を元気づけてくれる君 
    僕の魂を輝かせてくれるんだ
    虚しい気持ちでいる時はいつだって
    君が僕の欠けた部分を満たしてくれる
    どんな状況にあっても
    君が出口まで導いてくれるはずだと
    僕は君をあてにすることができるよ
    「私についてきて」と書いてある標識を掲げてくれる君さ

    僕に方向を示してくれる君
    僕に道を教えてくれるんだ
    日々立ち向かうための理由を
    君は僕に与えてくれる
    どんな行き先だろうと
    君が送り届けてくれるはずだと
    僕は君に頼ることができるよ
    「私についてきて」「ついてきて」と
    書いてある標識を掲げてくれる君さ

ビートルズ相聞歌を追ってきて真っ先に感じるのは、「Follow Me」と、
ポールが言っているかと思いきや、そうではなく、彼は「私について
きて」と、それを言われる側に身を置いているということです。

ぼくたちはここで、「The Long And Winding Road」で、「きみのドア
に導いておくれ」と切なく訴えていたポールを思い起こすでしょう。
音楽機械としてのマッカートニーは、受動的な起動マシーンであるこ
とを、35年後の作品でも確認するのです。この立ち位置は彼の資質
に基づくのでしょう。

ぼくはここで、だからと、

  ♪ 君が出口まで導いてくれるはずだと
    僕は君をあてにすることができるよ
    「私についてきて」と書いてある標識を掲げてくれる君さ

ここにいう僕があてにしている「君」は、ジョンのことを言っている
とそのまま強弁するのではありません。これはまず、ヘザーという新
しいパートナーがポールを励ます日常に根拠を置いていることは間違
いなく思えます。

ぼくはただ、この詩のリアリティのなかに、ポールが、もうジョンは
自分を置いてきぼりしていないという実感を潜ませていると見做せる
気がするのです。ジョンは、ポールを置いてきぼりしない。場合によ
っては、「follw me」と言ってくれているのです。

それが、ジョンの内面化です。

           ♪  ♪  ♪

繰り返せば、ジョンの内面化というとき、音楽機械としてのマッカー
トニーが、音楽機械としてのレノンを内包したことを言うのではない。
そうではない。

『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』というアルバム・タイトル
は、常のポールにはない内省を感じますが、だからといって、ジョン
ならこのタイトルは決してつけないだろうことは、想像に難くありま
せん。ジョンにしてみれば、それはあまりに自明なことだからです。

そうではないけれど、ポールはジョンと対話しているのではないでし
ょうか。ジョンとの対話が作品づくりをどこかで後押ししているので
はないでしょうか。

対話ということを、ポールの幻聴、思い過ごし、記憶の再現のどれを
言っても、ぼくは反論する術を持ちません。どれも当っていると感じ
られます。

ポールはジョンと対話している。それがジョンを内面化していること
の意味です。それが、ヘザーと並んで、ポールに「You hold up a
sign that reads,follow me,follow me」と言わせる根拠になってい
ると思えます。

           ♪  ♪  ♪

そう感じられるもうひとつの理由は、作品の緊張感に、ぼくたちはレ
ノン-マッカートニーを感じるのです。かつてビートルズの頃は、た
とえソロでレコーデングしようともそうではなかったのに、解散後、
ポールの作品は、食傷感に突き当たることがたびたびありました。

彼の音楽機械である快美なバラードと軽快なロックに堕してしまう傾
向が。しかしこの度の作品は堕していない。作品は抑制が効いていて、
音楽機械としてのマッカートニーにメランコリックな要素を加え、全
体としてはメロウな要素を湛えるのに成功しています。

ここに、音楽機械としてのレノンが直接コミットした作品があるとは
思えない。けれど、ジョンという存在を身近に置いた緊張感はある。
そのことが、レノン-マッカートニーの物語の延長を思わせるのです。

たとえば、冒頭の「Fine Line」は、ポールらしい心地よい韻を踏んだ
曲で、タイトルだけで誰の作品か分かるくらい明快です。ポールは、
向こう見ずと勇気、混沌と創造の間に、紙一重の違いを指摘するので
すが、それは、レノンとマッカートニーの間に引かれるものでもあり
ます。レノン-マッカートニーは、同じようであるけれど、そこには
紙一重の違いがある。彼はそれを踏まえればこそ、ジョンとの対話を
可能にし、彼によってしか担われないレノン-マッカートニーを更新
したのです。

ともかく、作品はメロウな芳醇さを湛えています。ポールのこの新し
い達成は、祝福されてしかるべきでしょう。

________________________________

『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』

1.Fine Line
2.How Kind of You
3.Jenny Wren
4.At the Mercy
5.Friends to Go
6.English Tea
7.Too Much Rain
8.A Certain Softness
9.Riding to Vanity Fair
10.Follow Me
11.Promise to You Girl
12.This Never Happened Before
13.Anyway
14.She Is So Beautiful

|

« ドゥダンミン | トップページ | 島尾敏雄の与論島 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『裏庭の混沌と創造』の響き:

« ドゥダンミン | トップページ | 島尾敏雄の与論島 »