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2005/09/15

ドゥダンミン

去年の夏、竹下先生の本『ドゥダンミン』をいただきました。
これは、非売品だからふつうは手に入りません。
ぼくが、一冊手元に持っている光栄に浴することができたのは、
父が竹下先生と親しく、お願いを聞いていただけたからです。

実際、竹下先生と父は、囲碁友達なのでした。
小学生の頃は二人の対局をよく眺めました。
といってもぼくに囲碁は分かりません。
白と黒が陣地を取り合っているのは分かりますが、
碁盤の目はどこにも置ける可能性があり、
どうしてそこに置くのかが皆目、見当つかずにいました。

ただ、相手が碁石を置いて、対戦相手が置くまでのあの間合いや、
碁石を置く時、人差し指と中指に挟んで、
パチンと置く、あの音の潔い響きには、惹かれました。

だから、竹下先生も、失礼ながら顔より指を覚えていると
いうくらいなのです。

勝負が決まったところで、碁石を片づけ始めるのですが、
先生と父は、そこでやっと会話をしていました。
そしてしばらく経てば、まて、パチン、が始まります。

そういえば、ぼくは小さい頃、
竹下先生を「パッチン先生」と呼んでいました。

      ♪    ♪    ♪ 

dodanmin

その竹下先生の『ドゥダンミン』。
「ドゥダンミン」というリズム感のいい音の言葉を竹下先生は、「ひとりよがりの考え」と解説しています。

でも、これは謙遜が入っているから、
「私の考え」という本だとぼくは受け止めます。

竹下先生の「私の考え」から浮かび上がってくるのは、昭和期のをぅいがのゆんぬんちゅ(男性の与論人)像です。

たとえば一編の冒険譚のように読める漁の話。

  3~4個入りの水中電灯で夜の魚をするのをデントウア
 イキという。
  男は海が好きだった。中学生の頃親の目を盗んで海に行
 った。髪の毛が茶色になるまで日がな一日海に浮いていて
 も飽きなかった。モリで魚を突く漁が主だった。1・2級
 上の先輩や同級生と連れ立って海にいくのは何より楽しみ
 だった。中でも西田秀吉兄は達人でいつもずば抜けて大漁
 をしていた。秀吉兄は、息も長く続くし、珊瑚の穴を丹念
 に見回り、感もするどかった。
              「デントーアイキ(電灯漁)」

どうすれば大人の男性になれるのか。
ここには、その明快な解答があって、デントーアイキの漁が
できることなのです。

漁を終えて帰る男性の顔はいつも誇らし気なはずです。
真っ黒に日焼けしてしまった身体に、
亜熱帯魚を束にして帰る姿。

そこには、男のゆんぬんちゅ像がありますが、
『ドゥダンミン』は、その姿を活き活きと伝えてくれます。

      ♪    ♪    ♪ 

与論に関する大事な議論もあります。

 砂が寄り集まってできる浜。あっちよりこっちよりする
 浜ということで、寄りの浜、すなわち与論語で「ユリ浜」、
 または「ユリヌ浜」と呼ばれた。近年「百合が浜」と表示
 してある。「ユリ」に植物の「百合」をあてて「百合が浜」
 としたと思う。私がそう話したら、五十歳代のある識者が、
 「海の中に百合の花がぱっと咲いたような浜だから「百合
 が浜」と命名されたという説があると、得意げに反論して
 きた。それはまた珍説、突拍子もない話だ、そこまで毒さ
 れたのか、とドゥダンミン男は思った。
  砂が寄る、波が寄る 魚が寄る、人が寄る、観光客が寄
 る、だから「より浜」なのだと宣伝しないのか。それがオ
 リジナルで観光客受けもするとドゥダンミンする。
               (「ユリヌ浜か 百合が浜か」)

百合が浜は、「ユリヌ浜」。
砂が寄り集まってできる浜という理解はとても的確だと思う。

不定に浮きがある砂の浜は、それだけロマンティックな存在感
を持っています。

「ユリヌ浜」は、与論島のシンボル的な存在でしょう。

ぼくは、もう少し言ってみたくなります。
「ユリヌ浜」は、その存在の仕方や名称が、
与論島のシンボルだと思いますが、

それだけでなく、与論島そのものでもないかなと。

与論島の「ユンヌ」も、「ユリヌ」に気脈を通じています。
それは、同じ、砂が寄せてできた島なのです。

そう捉えれば、「ユリヌ浜」は、シンボルというだけでなく、
アイデンティティなのかもしれません。

      ♪    ♪    ♪ 

この他にも、日本復帰や方言札、風葬、土葬、火葬など、
歴史に立ち会ってきた証言も含まれています。

近年でいえば、沖永良部との合併問題について、
合併に対する心配と否決の喜びとが語られます。

 沖永良部との合併について、賛成か反対かの住民投票が
 平成十五年十一月三十日にあった。投票資格者は、高校
 一年生以上で三ヵ月以上在住する全住民。投票総数は
 4084票。投票率は83.47%。賛成535票
 (13%)、反対3549票(86%)、無効51票。

こうした事実の列記だけでも力強く迫ってくるものがありますが、
竹下先生はこう続けています。

 男は、与論の良識万歳、与論魂万歳、独立自決の気概万歳
 を心の中で叫び、興奮し、えも言われぬ「ほこらしゃ」を
 おぼえた。これぞ与論魂、不屈の気概、たぎる与論の血潮
 である。

先生の興奮が伝わってきます。

この結果は、自然だと思う。島はそのひとつひとつが
小さな宇宙なのだと理解しなければ、
地図で近いから括るという発想は通用しない。

      ♪    ♪    ♪ 

けれど竹下先生は、現状に満足しているわけではなく、
憂いも心配も抱えてます。

それを悩みの深さで言うのではなく、こうあってほしい
という望みとして取り出すなら、先生は与論島はまだ
描ききれてないと思っているのではないでしょうか。

こんな一節があります。

 田中一村は、魚や伊勢海老をまるで生きているように描
 いているが、あの絵筆で海中の光景を描いてもらえたらど
 んなにすばらしいことだっただろう。海は陸の何倍も広く
 て深い。海の中の風景を描く画家が出てきてほしいもので
 ある。
               (「タラソテラピー」)

ぼくはここまで来てやっと、竹下先生を引き継げるものが
あると感じてきます。

それはいまだ語り尽くされていない与論島の魅力を
言葉にすること、です。ぼくは、未来へ向けて、
「ゆんぬ・与論・ヨロン・よろん」の表情を豊かに書いていきたいのです。

『ドゥダンミン』を引き継ぐようにありたい、と。


『ドゥダンミン』からは、原始を豊かに保ちながらも近代化の
途路にあった与論を中心に、
時に那覇に住み、時に名瀬の海を泳ぎ、
言うなら、沖縄から奄美までの琉球弧の振幅を生きた
ゆんぬんちゅの男の生き様が見えてきます。

その姿はなんとも格好いい。

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