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2005/09/25

島尾敏雄の与論島、その表情

島尾敏雄は、「与論島のモチーフ」を書いてから二年後、
もう一度、与論について触れる。

そこでは、「与論島のモチーフ」で、
「なにかいいあらわすことのできない広さ」と書いたことについて、
深めようとしているように見える。

shimao_17


島尾敏雄全集 第17巻 (17)

これも短文だ。全文引用してみる。
(前回同様、改行は見やすいように引用者が勝手に
つけた個所もある)


「与論島にて」

  私は今まで与論島には二度訪れる機会があったが、どちらも短い滞
 在だったから、与論島の生活について、どれほどのことも知ることは
 できなかった。しかしそのあいだに感じとったことがないわけではな
 い。

  現実の具体的な面について知ることはできなかたかわりに(もっと
 もノートを片手にたずね歩くことを意識的にしなかったのだが)、い
 わば抽象的なイメージを豊富につかむことができた。それは島にあら
 われている現実の貧しさとは別に、とても豊かなものだ。

  島の、海から区別されている陸としての大きさについては、だれで
 もが認めるように、たいへん狭隘だといわなければならない。奄美の
 島々のなかで、与論島は、与路島や請島などとともに小さいなかでも
 小さい島のひとつだ。しかしたとえ与路や請とくらべて与論が少しは
 大きいとしても、島の孤立的な位置からみれば、どうしても与論島の
 ほうが目立つだろう。広い大海のただなかにひとつだけ放置された島
 のかたちは、からだかの底からつきあげてくる寂しさを感じないわけ
 にはゆかない。

  ところで私の浅い与論体験が、その寂しさをかくすことはできない
 としても、島のなかを歩いてある景色の大きさを感じたのはどういう
 わけだったろう。大きさというよりあるいは広がりといったほうがよ
 いがよいかもしれない。どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いてい
 るような、あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の砂丘をと
 ぼとぼ歩いているような錯覚におちいらせるものがあった。これはど
 ういうわけだったろう。

 島のなかほどのある場所ではその周辺より凹んでいて海の見えないこ
 とがあたかもしれないが、与論島自体は海洋のただなかのひとにぎり
 の珊瑚礁にすぎないのに、そのまわりに広がり横たわる海の気も遠く
 なる大きさを反映し吸収して、みずからもふしぎな広がりを内包して
 いることが私には珍しかった。それが夜の月の光の下では、またいっ
 そうその広がりを深めていることに気づかなければなるまい。

 二つの相反する条件が(つまり広がりとすぼまりが)お互いを排除し
 ながらひとつの場所であやもつれしている光景に、私は、調子の微妙
 な酔いにいざなわれたことを告白しよう。そしてそのことは島に住む
 人々の生活にある律動をあたえているのにちがいないが、それをたし
 かめる余裕を私は持たなかった。私はもっとたびたび与論島を訪れる
 ことによってその状況を正確につかみたいと思っている。
 (《詩稿》昭和四十年八月 第九号)


作家の感受性は、与論島を「広がり」として捉えている。

┃ ところで私の浅い与論体験が、その寂しさをかくすことはできない
┃としても、島のなかを歩いてある景色の大きさを感じたのはどういう
┃わけだったろう。大きさというよりあるいは広がりといったほうがよ
┃いがよいかもしれない。どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いてい
┃るような、あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の砂丘をと
┃ぼとぼ歩いているような錯覚におちいらせるものがあった。これはど
┃ういうわけだったろう。

ぼくたちが島を狭いと感じるときがあるとすれば、
それはどういうときだったろう。

そう考えると、それは、島尾の言う、
「広い大海のただなかにひとつだけ放置された島」だからではない。
それはありえない。

それは、奄美やもっと大きい世界の地図を見た視線から言える言葉だ。
島人はそれを身体化しているわけではない。
ぼくたちが、島を狭いと感じるときがあるとしたら、
個人の欲望を自覚して、それが誰もが誰もを知っているという
関係性と衝突したときである。

だから、島尾の言う寂しさをことさらに言う必要はないと思うの
だけれど、「どこか大陸のなかの高原をさまよい歩いているような、
あるいは大陸の果てが海に没する広漠たる海岸の砂丘を
とぼとぼ歩いているような錯覚」は、
思い当たる節のある感覚ではないかと思える。

その身体感覚において、与論島は広い。

島尾は、与論島はひとにぎりの珊瑚礁にすぎないのに、
「ふしぎな広がりを内包している」と言う。
それを、島の人たちはよく知っているのではないだろうか。

島尾は、与論島を訪れることによって正確につかみたいと、
希望を述べてくれている。果たしてそれは適ったのか。
その後の消息からすれば、それは適わなかったように見える。

けれどもこれらの言葉を受け取るぼくたちは、
がっかりする必要はない。

自分たちはの体感を手がかりに、
島尾が明らかにしたかったものに言葉を与えてゆけばいい。

ただ、島尾が作家の感受性で言葉にしてくれたおかげで、
ぼくたちがそれに気づく、という過程において、
やはり、大切なことをしてれているのだ。

愛情ある島外からの視線がどれほど励みになるか。
これはそのいい例だ。


島尾敏雄が与論島に触れた文章は、二つとも全文引用した。
いまは全集のなかに埋もれている小文だから、
この先、どれくらいの人が読んでくれるか分からない。
まして与論の人に。

だから、ここに載せて、ひとりでも多くの与論の人たち、
与論を好きな人たちに読んでもらいたいと思う。

これは、「琉球弧」という言葉によって、
奄美をその孤独から救抜し、
同じく「ヤポネシア」という言葉によって、
日本を優しく島嶼へ解き放った思想家の言葉でもある。

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2005/09/24

島尾敏雄の与論島

島尾敏雄は、二度、与論をテーマにエッセイを書いてくれている。

島尾が奄美や琉球弧に対して注いだ愛情を思うと、
与論をテーマにしてくれたこと自体に感謝したくなる。

短いエッセイだから、全文引用してみよう。
(改行は、見やすいように引用者が勝手につけた個所もある)

shimao_16

島尾敏雄全集 第16巻 (16)

いまから42年ほど前、ぼくが生まれる直前に
書かれた文章だ。

「与論島のモチーフ」と題されている。


  私はこれまで二度与論島に行った。何度も行ってみたいという場所
 があるものだが、私にとって与論島はそのひとつだ。二度ともその折
 の事情でゆっくり島のなかを歩くことができずに終わったが、あるい
 はそのために、またそのつぎにおとずれる予想に強い期待をいだくこ
 とになった。

  では何度も行ってみたいかというと、そこがひとつの孤立したせま
 い区域の人間社会だということと、その島とかたちが私の気持ちをい
 あなうからだ。まわりを海にかこまれ、ほかの土地から隔絶したひと
 にぎりの場所であるため、そこに住む人びとの生活に、圧縮した状態
 があらわれているのにちがいないと思う。

 私は都会に生れそして育ったが、自分を手がかりにして人間を知るた
 めの方法を、その都会のなかでは会得しにくかったように思う。すべ
 ての人間世界の「進歩」(とひとまずいっておくが)のなかで、その
 「進歩」の調子に疑惑の気持をいだきはじめてから、ある意味では、
 あとずさりの方法を考えた。

 戦線を整理しはじめると、自分がたしかにつかみとれるかぎられた世
 界(この場合かぎられたというのは、平面的な広さのことをいいたい
 のだが)が私の目のまえに大きくすがたをあらわしはじめた。そのと
 き私には辺地がたいせつな意味をもちはじめる。都会は魅惑を内にし
 たまま色あせてこわばりはじめ、辺地はやわらかく心象を広げてくる。

 その自分の責任を管理できるだけの広さ(実際にはせまい場所)に自
 分を重ねて投入することによって、私ははっきり自分をたしかめるこ
 とに希望をもつだろう。そのときすでに、現実のせまさは、その境界
 を越えてふくらみはじめるだろう。私の心象のなかでは、与論島は、
 せまい小さな孤島ではなくて、なにかいいあらわすことのできない広
 さとしてとらえられている。
 (初出《与論新報》昭和三十八年十二月一日)
 (『島尾敏雄全集第16巻』)

島尾は、何を「与論島のモチーフ」と捉えているだろう。
それは、エッセイの最後に記されている。

「せまい小さな孤島ではなくて、
なにかいいあらわすことのできない広さ」

これが、島尾に捉えられた与論島のモチーフだ。

地理的物理的条件である「せまい小さな孤島」ではなく、
「なにかいいあらわすことのできない広さ」。

これはいい表現だ。島尾は少ない機会のうちに、
真っ芯で与論島を感受してくれたのではないだろうか。

「なにかいいあらわすことのできない広さ」は、
四十年前だからありえたものではなく、
いまもありありと感じることができると思える。

島尾の感想と地続きの場所にぼくたちは立っている。

それをぼくは、与論の境界を無化する力と呼んでおこう。
人と人、海と空、海と土地、あらゆる違いを静かにふみならして
違いを無くしていく力だ。

だから、そこに「広さ」を感じることができる。
そうぼくは解いていきたい。

与論島のモチーフを書いた島尾のモチーフをぼくは受け取る。
そして、島尾が「なにかいいあらわすことのできない広さ」について、
言い表してみようと思うのだ。

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2005/09/17

『裏庭の混沌と創造』の響き

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ビートルズ相聞歌 No.121
───────────────────────────────────
□ Album :CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD
□ Lennon :
□ McCartney:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
□ Release :2005/09/07
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
            ジョンの内面化            ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
ポール・マッカートニーが2001年、アルバム『DRIVING RAIN』
リリースしたとき、ぼくたちはそれがワールド・ツアーを前提として
いるという表向きの華やかさとは裏腹に、くすんだ色調であるのに気
づきました。

「もう独りぼっちで歩いていきたくないよ」という彼の声に、ジョン
だけでなく、最愛のリンダ・マッカートニー、ビートルズをともに歩
いたジョージ・ハリスンを見送った彼の哀しみが影を落としているの
を理解しました。無理もない、と。

彼は当時、「どしゃぶりの雨」(driving rain)の中にいたのでした。

だから、2002年の彼のワールド・ツアーが、ビートルズを引き受
けることをテーマにしていても、派手さが目立つのではなく、メロウ
な味わいのほうが印象的だったのもよく頷けるのでした。

彼は、寂しさを克服してステージに立ち、ビートルズを引き受ける振
る舞いを見せたのではなく、寂しさをそこに集った聴衆と分かち合い、
そしてビートルズを引き受けるというテーマも、一緒に担ってほしい
と言っているように見えました。

ぼくたちは、ポール・マッカートニーという天才も「枯れる」という
段階へ入ったことを認めつつも、「枯れてもポール・マッカートニー」
としてアルバム『DRIVING RAIN』の、次のレノン-マッカートニーの
物語を楽しみにしてきたはずです。

それから、3年、ポールは次の声を聞かせてくれてました。それが、
2005年リリースのアルバム『CHAOS AND CREATION IN THE BACK-
YARD』です。

Chaos And Creation In The Back Yard (CCCD)

           ♪  ♪  ♪

chaoscreation

「裏庭の混沌と創造」。そう意味を受け取れるタイトルのアルバムから聞こえてくるのはどんな調べでしょう。

それはまず、メランコリックな響きとしてやっています。メランコリックをぼくたちの日常に引き寄せれば、憂鬱と言うのですが、ここでメランコリックを、「ゆううつ」とは書いてしまいたくないと感じます。書きたくはないけれど、沈んだ重たさが曲たちには否
応なくにじみ出ています。ここに、かつての明るく軽いポールはいな
いかのようです。

もう少し正確に言ってみます。音楽機械としてのマッカートニーの快
美なバラードと軽快なロックは、その基本を失っていないけれど、そ
こに沈んだ重さが加わるようになっている、と。ゆううつと言うには
重くて、メランコリックとカタカナで気分のように言うのが妥当だ、
と。

たとえば、「Vanilla Sky」の後継に当たる「Riding to Vanity Fair」
は、メランコリックな色彩が生んだ新領域の作品です。また、「At
The Mercy」は、「A Hard Day's Night」にあった忙しい夜というテー
マを、レノン-マッカートニーという拠点で乗り切るところから、こ
こでは、「Let It Be」とメランコリックにやり過ごすように変化して
います。

このメランコリックなトーンは、自身の老いもさることながら、でも
それ以上に、大切な人々を見送る側に立ってきたポールが否応なく引
き受けざるをえない重さだったと思います。

しかし、それは単に傾向というだけでなく音楽機械としてのマッカー
トニーの新しい表情になっているように思えてきます。どういうこと
か。

ポールはジョンを内面化したのではないでしょうか。

           ♪  ♪  ♪

たとえば、曲「Friends to Go」は、ジョージの、しかも出来のいい
曲に聞こえてきます。ポールが、「この歌を作曲中、まるで自分が
ジョージ・ハリスンになったような気がした。ジョージになった僕が
彼の曲を書いているような気がしたんだよ。だから、この曲はすごく
簡単に作れた」と言うとき、ぼくたちには深く頷くでしょう。

音楽機械としてのマッカートニーの独創性は、単独としてあるのでは
なく、芳醇な過去の蓄積を自分のものにする力であると、ぼくたちは
知っているからです。だから、ジョージになることは可能だろうと。

でも、置き換えてみましょう。

ジョージに少し失礼になるかもしれないけれど、同じことをジョンに
できるだろうか、と。自分がジョン・レノンになったような気がした、
とポールは言うでしょうか。

ぼくはそれはできないと思います。それは、ジョンの没後四半世紀を
経ても、ポールはそう言ったことがないからというだけでなく、ポー
ルとジョンの関係は、ジョージの曲のように対象化できるものではな
く、ほとんどどちらが作ったか分からないほど、不可分に感じてきた
過程を経ているからです。

「ジョンになった気分だった」ということは、自分自身のことと分離
できなからです。

だから、ジョージや他の音楽家にそうするようにはジョンに対しては
できないのです。それが、そもそものレノン-マッカートニーの意味
です。

           ♪  ♪  ♪

それなら、ジョンの内面化というとき、音楽機械としてのレノンをわ
がものとしたことを意味するかといえば、そうでもありません。この
アルバムはそう、響いてくるわけではありません。

「Follow Me」を聞いてみます。

  ♪ You lift my spirits
    You shine on my soul
    Whenever I'm empty
    You make me feel whole
    I can rely on you
    To guide me through
    Any situation
    You hold up a sign that reads, follow me

    You give me direction
    You show me the way
    You gave me a reason
    To face every day
    I can depend on you
    To send me to
    Any destination
    You hold up a sign that reads,follow me,follow

  ♪ 僕を元気づけてくれる君 
    僕の魂を輝かせてくれるんだ
    虚しい気持ちでいる時はいつだって
    君が僕の欠けた部分を満たしてくれる
    どんな状況にあっても
    君が出口まで導いてくれるはずだと
    僕は君をあてにすることができるよ
    「私についてきて」と書いてある標識を掲げてくれる君さ

    僕に方向を示してくれる君
    僕に道を教えてくれるんだ
    日々立ち向かうための理由を
    君は僕に与えてくれる
    どんな行き先だろうと
    君が送り届けてくれるはずだと
    僕は君に頼ることができるよ
    「私についてきて」「ついてきて」と
    書いてある標識を掲げてくれる君さ

ビートルズ相聞歌を追ってきて真っ先に感じるのは、「Follow Me」と、
ポールが言っているかと思いきや、そうではなく、彼は「私について
きて」と、それを言われる側に身を置いているということです。

ぼくたちはここで、「The Long And Winding Road」で、「きみのドア
に導いておくれ」と切なく訴えていたポールを思い起こすでしょう。
音楽機械としてのマッカートニーは、受動的な起動マシーンであるこ
とを、35年後の作品でも確認するのです。この立ち位置は彼の資質
に基づくのでしょう。

ぼくはここで、だからと、

  ♪ 君が出口まで導いてくれるはずだと
    僕は君をあてにすることができるよ
    「私についてきて」と書いてある標識を掲げてくれる君さ

ここにいう僕があてにしている「君」は、ジョンのことを言っている
とそのまま強弁するのではありません。これはまず、ヘザーという新
しいパートナーがポールを励ます日常に根拠を置いていることは間違
いなく思えます。

ぼくはただ、この詩のリアリティのなかに、ポールが、もうジョンは
自分を置いてきぼりしていないという実感を潜ませていると見做せる
気がするのです。ジョンは、ポールを置いてきぼりしない。場合によ
っては、「follw me」と言ってくれているのです。

それが、ジョンの内面化です。

           ♪  ♪  ♪

繰り返せば、ジョンの内面化というとき、音楽機械としてのマッカー
トニーが、音楽機械としてのレノンを内包したことを言うのではない。
そうではない。

『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』というアルバム・タイトル
は、常のポールにはない内省を感じますが、だからといって、ジョン
ならこのタイトルは決してつけないだろうことは、想像に難くありま
せん。ジョンにしてみれば、それはあまりに自明なことだからです。

そうではないけれど、ポールはジョンと対話しているのではないでし
ょうか。ジョンとの対話が作品づくりをどこかで後押ししているので
はないでしょうか。

対話ということを、ポールの幻聴、思い過ごし、記憶の再現のどれを
言っても、ぼくは反論する術を持ちません。どれも当っていると感じ
られます。

ポールはジョンと対話している。それがジョンを内面化していること
の意味です。それが、ヘザーと並んで、ポールに「You hold up a
sign that reads,follow me,follow me」と言わせる根拠になってい
ると思えます。

           ♪  ♪  ♪

そう感じられるもうひとつの理由は、作品の緊張感に、ぼくたちはレ
ノン-マッカートニーを感じるのです。かつてビートルズの頃は、た
とえソロでレコーデングしようともそうではなかったのに、解散後、
ポールの作品は、食傷感に突き当たることがたびたびありました。

彼の音楽機械である快美なバラードと軽快なロックに堕してしまう傾
向が。しかしこの度の作品は堕していない。作品は抑制が効いていて、
音楽機械としてのマッカートニーにメランコリックな要素を加え、全
体としてはメロウな要素を湛えるのに成功しています。

ここに、音楽機械としてのレノンが直接コミットした作品があるとは
思えない。けれど、ジョンという存在を身近に置いた緊張感はある。
そのことが、レノン-マッカートニーの物語の延長を思わせるのです。

たとえば、冒頭の「Fine Line」は、ポールらしい心地よい韻を踏んだ
曲で、タイトルだけで誰の作品か分かるくらい明快です。ポールは、
向こう見ずと勇気、混沌と創造の間に、紙一重の違いを指摘するので
すが、それは、レノンとマッカートニーの間に引かれるものでもあり
ます。レノン-マッカートニーは、同じようであるけれど、そこには
紙一重の違いがある。彼はそれを踏まえればこそ、ジョンとの対話を
可能にし、彼によってしか担われないレノン-マッカートニーを更新
したのです。

ともかく、作品はメロウな芳醇さを湛えています。ポールのこの新し
い達成は、祝福されてしかるべきでしょう。

________________________________

『CHAOS AND CREATION IN THE BACKYARD』

1.Fine Line
2.How Kind of You
3.Jenny Wren
4.At the Mercy
5.Friends to Go
6.English Tea
7.Too Much Rain
8.A Certain Softness
9.Riding to Vanity Fair
10.Follow Me
11.Promise to You Girl
12.This Never Happened Before
13.Anyway
14.She Is So Beautiful

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2005/09/15

ドゥダンミン

去年の夏、竹下先生の本『ドゥダンミン』をいただきました。
これは、非売品だからふつうは手に入りません。
ぼくが、一冊手元に持っている光栄に浴することができたのは、
父が竹下先生と親しく、お願いを聞いていただけたからです。

実際、竹下先生と父は、囲碁友達なのでした。
小学生の頃は二人の対局をよく眺めました。
といってもぼくに囲碁は分かりません。
白と黒が陣地を取り合っているのは分かりますが、
碁盤の目はどこにも置ける可能性があり、
どうしてそこに置くのかが皆目、見当つかずにいました。

ただ、相手が碁石を置いて、対戦相手が置くまでのあの間合いや、
碁石を置く時、人差し指と中指に挟んで、
パチンと置く、あの音の潔い響きには、惹かれました。

だから、竹下先生も、失礼ながら顔より指を覚えていると
いうくらいなのです。

勝負が決まったところで、碁石を片づけ始めるのですが、
先生と父は、そこでやっと会話をしていました。
そしてしばらく経てば、まて、パチン、が始まります。

そういえば、ぼくは小さい頃、
竹下先生を「パッチン先生」と呼んでいました。

      ♪    ♪    ♪ 

dodanmin

その竹下先生の『ドゥダンミン』。
「ドゥダンミン」というリズム感のいい音の言葉を竹下先生は、「ひとりよがりの考え」と解説しています。

でも、これは謙遜が入っているから、
「私の考え」という本だとぼくは受け止めます。

竹下先生の「私の考え」から浮かび上がってくるのは、昭和期のをぅいがのゆんぬんちゅ(男性の与論人)像です。

たとえば一編の冒険譚のように読める漁の話。

  3~4個入りの水中電灯で夜の魚をするのをデントウア
 イキという。
  男は海が好きだった。中学生の頃親の目を盗んで海に行
 った。髪の毛が茶色になるまで日がな一日海に浮いていて
 も飽きなかった。モリで魚を突く漁が主だった。1・2級
 上の先輩や同級生と連れ立って海にいくのは何より楽しみ
 だった。中でも西田秀吉兄は達人でいつもずば抜けて大漁
 をしていた。秀吉兄は、息も長く続くし、珊瑚の穴を丹念
 に見回り、感もするどかった。
              「デントーアイキ(電灯漁)」

どうすれば大人の男性になれるのか。
ここには、その明快な解答があって、デントーアイキの漁が
できることなのです。

漁を終えて帰る男性の顔はいつも誇らし気なはずです。
真っ黒に日焼けしてしまった身体に、
亜熱帯魚を束にして帰る姿。

そこには、男のゆんぬんちゅ像がありますが、
『ドゥダンミン』は、その姿を活き活きと伝えてくれます。

      ♪    ♪    ♪ 

与論に関する大事な議論もあります。

 砂が寄り集まってできる浜。あっちよりこっちよりする
 浜ということで、寄りの浜、すなわち与論語で「ユリ浜」、
 または「ユリヌ浜」と呼ばれた。近年「百合が浜」と表示
 してある。「ユリ」に植物の「百合」をあてて「百合が浜」
 としたと思う。私がそう話したら、五十歳代のある識者が、
 「海の中に百合の花がぱっと咲いたような浜だから「百合
 が浜」と命名されたという説があると、得意げに反論して
 きた。それはまた珍説、突拍子もない話だ、そこまで毒さ
 れたのか、とドゥダンミン男は思った。
  砂が寄る、波が寄る 魚が寄る、人が寄る、観光客が寄
 る、だから「より浜」なのだと宣伝しないのか。それがオ
 リジナルで観光客受けもするとドゥダンミンする。
               (「ユリヌ浜か 百合が浜か」)

百合が浜は、「ユリヌ浜」。
砂が寄り集まってできる浜という理解はとても的確だと思う。

不定に浮きがある砂の浜は、それだけロマンティックな存在感
を持っています。

「ユリヌ浜」は、与論島のシンボル的な存在でしょう。

ぼくは、もう少し言ってみたくなります。
「ユリヌ浜」は、その存在の仕方や名称が、
与論島のシンボルだと思いますが、

それだけでなく、与論島そのものでもないかなと。

与論島の「ユンヌ」も、「ユリヌ」に気脈を通じています。
それは、同じ、砂が寄せてできた島なのです。

そう捉えれば、「ユリヌ浜」は、シンボルというだけでなく、
アイデンティティなのかもしれません。

      ♪    ♪    ♪ 

この他にも、日本復帰や方言札、風葬、土葬、火葬など、
歴史に立ち会ってきた証言も含まれています。

近年でいえば、沖永良部との合併問題について、
合併に対する心配と否決の喜びとが語られます。

 沖永良部との合併について、賛成か反対かの住民投票が
 平成十五年十一月三十日にあった。投票資格者は、高校
 一年生以上で三ヵ月以上在住する全住民。投票総数は
 4084票。投票率は83.47%。賛成535票
 (13%)、反対3549票(86%)、無効51票。

こうした事実の列記だけでも力強く迫ってくるものがありますが、
竹下先生はこう続けています。

 男は、与論の良識万歳、与論魂万歳、独立自決の気概万歳
 を心の中で叫び、興奮し、えも言われぬ「ほこらしゃ」を
 おぼえた。これぞ与論魂、不屈の気概、たぎる与論の血潮
 である。

先生の興奮が伝わってきます。

この結果は、自然だと思う。島はそのひとつひとつが
小さな宇宙なのだと理解しなければ、
地図で近いから括るという発想は通用しない。

      ♪    ♪    ♪ 

けれど竹下先生は、現状に満足しているわけではなく、
憂いも心配も抱えてます。

それを悩みの深さで言うのではなく、こうあってほしい
という望みとして取り出すなら、先生は与論島はまだ
描ききれてないと思っているのではないでしょうか。

こんな一節があります。

 田中一村は、魚や伊勢海老をまるで生きているように描
 いているが、あの絵筆で海中の光景を描いてもらえたらど
 んなにすばらしいことだっただろう。海は陸の何倍も広く
 て深い。海の中の風景を描く画家が出てきてほしいもので
 ある。
               (「タラソテラピー」)

ぼくはここまで来てやっと、竹下先生を引き継げるものが
あると感じてきます。

それはいまだ語り尽くされていない与論島の魅力を
言葉にすること、です。ぼくは、未来へ向けて、
「ゆんぬ・与論・ヨロン・よろん」の表情を豊かに書いていきたいのです。

『ドゥダンミン』を引き継ぐようにありたい、と。


『ドゥダンミン』からは、原始を豊かに保ちながらも近代化の
途路にあった与論を中心に、
時に那覇に住み、時に名瀬の海を泳ぎ、
言うなら、沖縄から奄美までの琉球弧の振幅を生きた
ゆんぬんちゅの男の生き様が見えてきます。

その姿はなんとも格好いい。

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2005/09/10

むんちかりゅいたいやー

たび(本土)からぱーぱー(祖母)に
電話をすることがありました。

ぱーぱーは標準語を使って娘さんのような
元気な声で出るのでした。

「はい、もしもしぃ」
「ぱーぱー」
「わい。たるげーら」(あれ、誰かしら)
「ソウイチどー」
「ソウイチいー。むんちかりゅいたいやー」

決まってそんな出だしでした。


「むんちかりゅいたいやー」。

なんと言えばいいでしょう。
「思い出すことができたんだねぇ」という意味でしょうか。

そう言われる度に、ぱーぱーを忘れる時間のあることを
後ろめたく思いながら、「おー」(はい)と答えます。


別に用事があるわけでもなく、
なんとなく声を聞こうとする電話です。

ぱーぱーも、

「しゅうやうぁーちきぬゆたしゃぬなゆいだー」
(今日は天気が良いからいいよー)

とかなんとか話していました。


思えば、でも、ぼくが聞きたかったのは、
「むんちかりゅいたいやー」に続く言葉だったかもしれません。

ぱーぱーは、決まって、「みーがどー」(おりこうさんだね)
と言ったものです。

いい年をして、「みーがどー」を言われたくて、
なんとはなしに番号を廻していました。

百歳を越しても、受話器の前で待っていると、
しばらくすれば、娘さんのような声で「はい、もしもしぃ」と、
ぱーぱーは、声を聞かせてくれました。


それはもう思い出です。
思い出なのだけれど、それはぼくのなかで生きる言葉になりました。

こんどはぼくが「むんちかりゅいたいやー、みーがどー」
と言ってあげる番なのですね、きっと。がんばるべし。

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2005/09/07

星空と夜景

都市の夜景は、憧れと祈りだけでこと足りずに、
人が地上にひきずりおろした星空です。

人は、ストイックな輝きでは満足しないから、
星に欲望の幅で色づけをしてビルの光にしました。

人は、瞬く間では願望を語れないからと、
いつでもなんでも叶うと思えるように、
流れ星をカーライトのゆるやかな連なりに変えました。

人は、かすかな輝きは目を凝らさなくてはいけないから、
いいえ、そうではなく、星空を地上におきたかったので、
星が見えないように、夜景の光量をあげるのです。

星空はこうして地上に落ちました。


東京都与論町。

70年代に与論島が観光のメッカになった時、
こんな風に言われました。

小学生のぼくは事態を呑み込めず、
あんなに離れているのに一緒になるんだろうかと驚きました。

でも、いつの頃からか、「東京都与論町」という言葉は
あるリアリティを帯びるようになりました。

東京の夜景は、与論の星を地上に落としたものだよ、と。

与論の星空を通ると、東京の夜景に出る。
東京の夜景の向こうには、与論の星空がある。
そんな夢想をするようになりました。

それは夢想のなかでしか成り立たないけれど、
ぼくはずいぶんと慰みにも似た気持ちになるのでした。


人よ、願わくば、幼き夢想を笑いたもうな。

そのおかげで、都市の夜景に与論島を幻視することができるのだから。

tokyotower

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2005/09/03

風よ、雨よ、速やかに行き過ぎたまえ

雨は恵みをもたらし、
風も漂流物の恵みをもたらす。

それは知っているけれど、
かつてのように、
ガジュマルと石垣が絶対守護神のように
島を覆うわけではなくなっています。

島の自然はもともとそうだという以上に、
繊細になっているのです。

でも、そこには大切なものが、
守らなければならないものがあります。


だから、風よ、雨よ、速やかに行き過ぎてください。

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2005/09/01

『ビートルズ 二重の主旋律』を出しました

beatlesビートルズ:二重の主旋律―ジョンとポールの相聞歌

喜山 荘一

メタ・ブレーン
2005/09/01
1,890円

2005年9月1日の今日、
『ビートルズ 二重の主旋律』という本を出しました。

この本は、2000年6月1日から2003年12月16日
までの3年半の間に、めろんぱんなどの発行スタンドを使って
「ビートルズ相聞歌」と題して出したメールマガジンを
元にしています。

実は、途中1年間もさぼったために、最初に出していた
まぐまぐの読者とは一回、切れる形になってしまいました。

さぼりながらも何とか、ビートルズの結成から解散、
ソロ活動、そして現在までを辿れたのは、時折、
いただいていた濃厚な感想文のおかげでした。

本の「あとがき」にも書いていますが、
あのとき感想文をくださった方にはお礼を言いたい気持ちです。
ありがとうございました。

今となっては、お礼を伝える術がない方もいるので、
この場を借りて、メッセージする次第です。

さて、本の中身は、ジョンとポールの「恋」がビートルズを
作ったと仮説して、彼らの作品を辿ったエッセイです。

レノン-マッカートニー・ナンバーを二人の交換日記としてみて、
二人の恋の告白から喧嘩から仲直りまでの色んな表情を眺めて
みたものです。

ボリュームの都合と読者の数がありますから、
本は、ビートルズ時代とアンソロジー時代を中心に扱っています。
でも、実際は、ソロ活動時期の方が、二人の交換日記は
切なかったり正直だったりします。

離れてしまったからですよね。

その間のことはバックナンバーを掲載しているので、
関心のある方はご覧になってください。

書名の「二重の主旋律」というのは、
もちろんレノン-マッカートニーのことです。

ジョンとヨーコが、「ダブル・ファンタジー」なら、
ジョンとポールは、「ダブル・メロディ」だと思って、
おおそうかと一人合点してつけました。

この本、楽しんでもらえたら嬉しいです。
色んな方の感想を聞いてみたいものだと思っています。
読んだ方がいたらぜひ、教えてくださいね。

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