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2005/05/29

元ちとせの南の風

先週の木曜に新橋で飲んだ帰り、
JRの駅前で、懐かしい曲が聞こえてきた。

安里屋ユンタだ。

若い男性が三線を手にマイク越しに歌っていた。
ぼくが気づいたのは、歌だけでなく、その横で、
歌に合わせて琉球舞踊を舞うおじさんいたからだった。

11時過ぎていたけれど、思わず足を止めて聞いてみた。
思いがけない時間に思いがけない場所だったせいか、
懐かしい気持ちになった。

女が、マッサージいかがですか?と声をかけてきた。
ふいに見ると、おじさんは投げ銭をしてタクシーに乗り込んでいる。
乗り込んだというより、運転手さんだった。
ぼくはこれも何かの縁と、投げ銭をして、そのタクシーに乗り込んだ。

「あの青年はまだ素人だよ」と言ったおじさんは奄美大島の出身だった。
ぼくが与論出身と告げると、
「そうねぇ」と言ってあれこれ話してくれた。

宇検村出身であること、練馬区の区長は奄美出身だったこと、
それから、親戚の美人の娘さんの自慢話などなど。

父親ほどの年齢のおじさんの話が
奄美の歌のことが多かったせいか、ぼくは元ちとせの歌を思い出した。

元ちとせは、その歌唱によって奄美の歌をポップにしたと思う。
それは、いままでできなかったことだ。

琉球歌をポップにしたのは、80年代のりんけんバンドだ。
それまでにも、たとえば喜納昌吉の、
「ハイサイおじさん」があったけれど、
それは琉球歌謡の地方色豊かな曲という
以上の意味を持ちにくかった。

りんけんバンドが、三線と太鼓を基本に、琉球の言葉と音階を
ベースにしながら、「ありがとう」や「なんくる」を歌ったとき、
地方色のアピールではなく、都市に響くポップになっていた。
それは、はじめての達成だったと思う。

その達成の上に、ぼくたちはいまや百花繚乱の沖縄からの
都市音楽を耳にしている。

そんなポップの水準へ、奄美から道をつけたのが元ちとせだった。
奄美の民謡の裏声を使いながら、
それが常の、あの哀切な響きとならずに、癒す響きを持ったことで、
元ちとせのアルバム『ハイヌミカゼ』はポップになった。

hainumikaze


ハイヌミカゼ


元ちとせ

2002年


 あなたに見えますか?私の姿
 あなたに聞こえますか?私の声

 地図に隠された 道をたどり
 ここまで来てよ そこにいるから

 どんなに離れても
 遠くにいても
 きっとわかるから
 きっと会えるから
      (「ハイヌミカゼ」上田 現)

彼女の歌詞ではないけれど、「ハイヌミカゼ」は、
第二次世界大戦に遡り、加計呂麻島に陣を張った隊長の
島尾敏雄が、特攻に出撃する時間が近づいた晩に、
海沿いの道を伝って、島の娘ミホに逢いに向かった道すがらを思わせる。

アルバム全体に流れるメロディや詞は、
奄美に固有のものとは言えないけれど、
元ちとせの歌唱に載せると、寂しさと優しさの交じった
奄美らしい情感を湛えているように聞こえてくる。

元ちとせの「南の風(ハイヌミカゼ)」は、
日本に暖かな風を運んだのだけれど、
それだけではなく、ひょっとしたらそれ以上に、
奄美自身の孤独と孤立にあたたかな風を運んだのではないだろうか。

少なくとも、ぼくにはそんな風に聞こえた。
それは歌唱としてはいままで奄美に吹いたことのない風だった。

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