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2005/05/03

ぱーぱー(祖母)を送る

ぱーぱーのそばにいると、
自分がありのままで許されている肯定感を身体中に感じた。
彼女の振る舞いと言葉の肯定力があまりに無類なものだから、
ぼくたちはぱーぱーを慕い続けてきたのだと思う。

ぱーぱーは長生きしたので、
彼女が受け容れてきただろう土葬と洗骨にはならずに、
時代の変化の洗礼を浴びるように火葬になった。

とぅぶれー(葬儀)では、ぷーくにん(担ぎ係り)を
努めることができた。ぱーぱーの重みを両手に感じながら、
送ることができてありがたかった。

もう、あの無類の肯定感に甘えることはできなくなった。
ぱーぱーが長生きだったから、
ぼくたちはゆったり甘えてきてしまったのだ。
いい加減、肯定感を自分のものとして受け取らなければならない。
ぼくにとっては、それがぱーぱーの死を受け容れることだ。

ぼくに黄金時代があるとしたら、
それは間違いなく、彼女と過ごすことのあった少年期の日々。
とても贅沢な時間。

とーとぅがなし、ぱーぱー。

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