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2005/05/12

うじゃうじゃアマン

彼らは夜なるとカサコソ出没する。
ぱーぱーぬやー(祖母の家)を囲む石垣の間から彼らは出てくる。
夜は彼らのカソコソでにぎやかになるのだ。

彼らは意外に大きい。手のひらサイズだ。
はさみもあなどれない。くれぐれも挟まれないように。
彼らは陽射しが苦手だ。とくに南島の昼間の陽射しをくらえば、
命の保証がない。

だから、夜な夜なカサコソなのだ。

ぼくたちとの接点は、
申し訳ないことに魚の餌だった。亜熱帯魚たちの。
彼らの尾をひねって切って、千切って釣り針にかけるのだ。
子どもの頃、それは割りと平気にできたのに、
いまは抵抗があるありさまだけれど。

_013

アマン(やどかり)はとても身近な存在だった。

一晩で、バケツ一杯、軽々と採れた。

アマンはどこにでもいる。石垣のあるジャングルの暗がりに入れば、真昼間でもカサコソと音がする。足を止めて眺めれば、アマンがここあそこに目に入ってくる。

吉本隆明の『共同幻想論』には、沖永良部島で女の左手にある
ヤドカリをデザインした入墨のことを聞くと、
先祖はアマムから生まれてきたから、
その子孫である自分たちもアマムの模様をいれずみした
という小原一夫の論文を紹介しているけれど、
その話は、むべなるかな、である。

与論島に上陸した先祖たちが、アマンに迎えられたと想像するのは
そう無理のないことだと思えてくる。

そのくらい、アマンは普遍的な存在だ。

アマン、奄美、アマミキヨ、天孫氏、海部などなど。
アマという音は、南島の人は誰なのかについて、
悩ましい題材を提供もしてきたけれど、
まあそれがどうあれ、アマンはいまも元気だ。

アマンはきっと与論島の人口より多い、与論の主なのだ。

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