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2005/05/14

悪口にとどまる

communicationプロカウンセラーのコミュニケーション術

東山 紘久

創元社
2005/03
1,470円

「伝わらないと腹が立つ。受け入れられないとさびしくなる。
合わせすぎるとみなしくなる。とかく人間関係はむずかしい」

夏目漱石の「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」という
小説の一説を現在版に変奏して東山は言う。

そしてこの現在の人間関係の悩みに応えようとしたのが、
『プロカウンセラーのコミュニケーション術』だ。

この本は、耳が痛い。

 清濁併せ呑んでも、それで自分が汚れてしまっては、
 汚濁にまみれることになります。

 まず、自分の話から「が」を抜いて話すくせをつけてください。
 「あなたのご意見はごもっとだと思いますが・・・・」の「が」
 です。「が」を含んだ文章は、婉曲表現の一種なので、一見
 相手の考えを尊重しているようですが、じつは自分の主張のみを
 伝えているのです。

 欠点の欠点たる特徴の第一は、他人なら容易に気づくのに、
 自分はそれに気づかないことです。自分の欠点というのは、
 気づいてもなかなか直せません。ですから他人の欠点を指摘
 することで、自分の欠点が軽くなるような錯覚を覚えるのです。

 どうして不登校になったのかを原因を考えるのではなく、今、
 子どもが不登校になっていることがもたらす、今日的意味を
 考えるのです。不登校が、子ども自身、クライエント、配偶者
 や家にもたらしている意味です。このとき重要なことは、
 否定的な意味だけでなく、肯定的な意味も考えるということです。

自分が恥かしくなる記述がいたるところにあるのだけれど、
この本では「人格の陶冶」がキーワードのひとつになっている。

人格の陶冶、人格を鍛えて磨くという意味だと思う。
久しぶりに見た言葉に、はっとさせられることしばしだった。

また、洞察を深めてくれる言葉もある。

 たとえば、「この人はひどい人です」と言った場合です。
 女性が男性に対してこの表現を使うときは、具体的な内容
 「ひどい言動」が相手に見られる場合が多いのですが、
 男性が言った場合はトータルで感じているのです。

男女にまつわるこの違いにはうなってしまう。たしかに、
女性は具体的なことを修正すると、それですっきり済むのに、
男性は、いやぼくは、「そういうことじゃない」などと内心
うそぶいたりしてきたからだ。

 家庭で欠点を指摘される度合いと、長所を称賛される度合いとでは、
 比較にならないほど前者が多いはずです。家族間においては、
 欠点指摘度数と長所称賛度数の比率がその家族の否定指数と
 肯定指数になります。欠点指摘が長所称賛の一〇倍あれば、
 あなたの家族の否定指数は一〇倍となります。あなたの家庭では、
 家族がお互いを肯定するより、一〇倍も否定的に見ていることに
 なります。お互いがお互いを否定的にしか見ないとすると、
 家族の雰囲気はどこか否定的になっています。

これはポジティブとネガティブをめぐるあらゆる場面に適応できる。

ポジティブ度数とネガティブ度数。人でも商品でも「評価」を
当てはめると、ふつう、

(ポジティブ):(ネガティブ)=2:8 ~ 3:7

だから、2<(ネガティブ指数)≦4 が、通常の値になる。

ある組織に対してその組織自体の評価を成員に行ったとき、
ネガティブ指数が、3や4であれば、ふつうの組織。
5以上になれば課題とすべきことを多く抱えた組織。
1や2であれば優れた組織。

そういうリトマス紙にもなりうる。

こんな気づきを経ながら、ぼくにはやはり「人格の陶冶」という
言葉がずっと刺さってくるのをどうしようもなかった。
陶冶が必要な人格であるのは火を見るより明らかだから。

けれども、ぼくは次の一節には躓かざるをえない。

 個人から世界まで、人間の問題を解決するには、
 人格の器を大きくする以外にはない。

ぼくにこの言葉は正し過ぎるものと映ってしまう。
これでは、社会全体が孕む矛盾の問題に触手を伸ばすことが
できないと思うからだ。

「信用のある人の三条件は、口が固いこと、
他人の悪口を言わないこと、約束を守ること、です」
というのも耳が痛い一節だ。

ぼくは人格を陶冶していかなければならない。
でも、いやそうではなく、そうするためにも、
ぼくはぼくの身を去らない毒舌を認めて、
それを抱えていくことが要るのだと思う。

変な言い方だし自慢できることでもないけれど、
悪口を言うことにとどまるしかない。

あるいは、社会の構造が掴みにくくなった裏返しに
「人格の陶冶」は目指すべきテーマ性を
強化しているのかもしれない。

ただ、この点に躓くものの、一読終えた後には、
心落ち着く気分を味わえた。

「コミュニケーション術」というからには、
対人的な対話の技術があるのだろうと想像していた。
もちろんそうした記述なのだけれど、
どちらかと言えば、内面の対話に軸足を置いていた。

このところ、ビジネスは対人関係のなかに真を見出す営みで、
文学は内面に真を見出す営みではないかと仮説してきた。

それはビジネス書を読むと、成功した人々の元気な英知に
共通してそれを感じるからなのだけれど、
関係に億劫が先立つぼくには、
立派さを見上げるより他ない感慨がやってくるのだ。

今回、耳が痛いに違いはないけれど、
気後れではなく、向かうべきものの姿を自分の内に見据えることが
できるという点で、落ち着いていられた。

それはありがたいことだった。

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