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2005/05/08

南島のない日本地図

_005

この立体地図は小学5年のときにつくった。

5年のときの先生は、鹿児島の大学を卒業したての新任の方だった。島人ばかりだった先生の中で新風を吹き込むように、先生には元気があった。

その先生が、クラブ活動で与論島の立体地図の作り方を教えてくれた。

その面白さを味を占めて、夏休みに日本地図に挑んでみた。
建材店から大きめの板を買って、
9万分の1くらいだろうか、日本地図をもとにした。

たしか彫刻刀を使って、等高線に沿って厚紙を切った。
切った厚紙を、等高線の低い方から重ねて、
そしてその上から色を塗った。
低地は緑、高地にいくにしたがって茶色。

母に、「どうせできないんだから止めなさい」とはじめに
言われたのをよく覚えている(苦笑)。


ぼくは夢中だったと思う。
庭の蜜柑の木の木陰や、縁側に陣取って黙々と切った貼ったをした。
海を青に塗り、最後はニスを塗って完了。
できあがったときは嬉しかった。


夏休みが明けて、友達に手伝ってもらって、学校に持っていった。
なにしろ、横1メートル、縦1メートル強のものだったから。

学校では、くだんの先生にほめられた。
でも、宿題をしてこなかった同級生と比較されたのが
とても嫌だったのを思い出す。

以来、31年間、ぱーぱーのやー(祖母の家)の玄関には、
この日本地図が誇らしげに飾られてあった。ぼくも誇らしかった。


暇長者が学生の特権。
得体の知れない憎悪と過敏神経のぼくの眼に、
この地図は島にいたときとは違ったものに見えた。

それは、日本地図とあるのに、
そこには奄美以下、沖縄の琉球弧がすっぽりと抜けていた。


本当なら、広々とした太平洋のスペースに
別枠で描かれているはずのものだ。

ぼくは愕然とした。
別に野郎事大な意味づけをしようとは思わない。

でも、そこに南島が描かれておらず、
作っている本人はそこに矛盾を感じず、
周囲もほめることはしても、
そのことに何かを言う者はいなかった。

そのことにぼくは引きつけられた。

日本地図を描くのに、自分のことを勘定に入れない。
あるいは、与論も奄美も沖縄も、日本地図には関係がない。

でも、ことは地図だけのことに限らない。
歴史においても同様だ。

歴史を語るのに自らのことは勘定に入れない。

それは、与論島の地図と歴史に前提となってきた心性ではないのか。
繰り返せば、そのことに格段の意味づけをしようとは思わない。

ただ、ぼくの南島論は、この事実が起点になることだけは
はっきりしている。南島のない日本地図、だ。

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コメント

はじめましてユンヌ出身の茶魔と言います。
覗いてはいたのですが中々書き込みチャンス逸してました。
荘一さんの弟はTかず君ですよね?
その同級生です。地図は私も拝見した事がありますよ。

投稿: 茶魔 | 2005/06/26 02:45

はじめまして。遅くなりました。
弟は、同じ書き方をすれば、Tおです(苦笑)。
でも、あの地図をみてくれたことがあるんですね。ありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2005/07/03 17:02

失礼しました。Tおですよね。(^_^;)
うっわ~恥ずかしい。ご近所のご親戚Tかず母さんが私をTかずによく似てると会う度に言われるもので頭にTかずの名前が浮かんでしまいました。
Tお君本人は覚えてないかも知れませんが、私は小学校1年で沖縄に転校してTお君には飛び出す絵本を餞別に貰いました。3年程で沖縄から戻る事になりましたが、帰ってきたら逆にTお君は転校していなくなってました。
もう30年になりますね。Tお君は元気ですか?

投稿: 茶魔 | 2005/07/09 00:44

メッセージありがとうございます。
弟は元気です。こんど茶魔さんのことを話してみますね。
Tかずの名前も懐かしいです。超ローカルですね。(^^)

投稿: 喜山 | 2005/07/11 19:21

だれだかよくわかりません。これからも  たのしみにしています。

投稿: 竹 真弓 | 2005/08/11 14:30

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