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2005/05/27

ゆんぬ・与論・ヨロン

与論島のことを島人は、ゆんぬと呼んできた。
今もそうだ。
与論の人のことを、島人はゆんぬんちゅと呼ぶ。

ゆんぬは、島人の世界、方言や民俗が生きてきた世界だ。
それは減衰の一途を辿った世界でもあり、
ゆんぬはやっと生き延びている。

与論は、与論島が島の外の世界に向けた公共の顔
として名づけられたものだ。

それは、琉球王朝の一部としての与論であり、
薩摩藩の支配以降、薩摩藩の一部たることを強いられた。
そして近代以降、鹿児島県の一部を構成することを強いられた。
それが与論だ。

与論島は与論になって、少しこわばり、弱小感を味わった。

けれど、それだけではなかった。
宮崎についで新婚旅行のメッカとなった与論は、
観光を勢いづかせようとヨロンと自らを称した。

それを機に、いつしか与論島は南の島のヨロンになる。
沖縄とカップリングで呼ばれたヨロンは、
単独で、ヨロンと称されるようになると、
行政区域を離れて、南の島として浮かび始める。

それはプーケットやハワイなどと変らない、
どこかにある南の島という響きを持ち始めた。
ただの南の島としてのヨロンだ。

与論島はヨロンになって、軽く明るくなった。

与論島は、こうして、ゆんぬ、与論、ヨロンの
三重の層を生きてきた。

ところでここへきて、島人もゆんぬを見つめだしている。

三層の与論島をほぐして、それぞれがのびのび生きるといい。

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