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2005/04/26

「もしも与論島が沖縄県であったとすれば」

Genhukei_2 与論島―琉球の原風景が残る島

高橋 誠一、竹 盛窪

ナカニシヤ出版
2005/03
1,995円


 もしも与論島が沖縄県であったとすれば

「与論島 琉球の原風景が残る島」は、
この問いで最も切実になっている。
高橋はどのような意味でこの問いを発しているのか。

与論島は「第一級のリゾート観光地という名に恥じない」
美しい自然を持っている。

  ところが実は、与論島の魅力は、これにとどまらない。本書で最も
 強調したいことであるが、与論島には琉球の原風景が残されているの
 である。

この本の最大の主張は、この、与論島には琉球の原風景が残っている、
というものだ。そしてこの最大の主張をした後で、「もしも」の問い
はやってくる。

沖縄の魅力にとらわれてしまった人は、本当だけでなく離島に足を伸ばす
ことになる。石垣島、西表島、はては与那国島などを経験しながら、
「次は、この島」とめぼしをつける時に、奄美以下、与論は、
沖縄県の地図の県外になることで、選択肢から外れてしまう。

奄美も琉球、なかでも与論島は特に、琉球色が強いのに、と。
そこで、冒頭の問いはやってくる。

「もしも与論島が沖縄県であったとすれば」もっと与論島に訪れる人
が増えるのではないか、というように。

高橋はこの問いの無防備さに自覚がないわけではなく、
「もっとも、与論島=沖縄県という高橋の発言は、酔ったうえでの、
しかもあくまで余所者としての無責任な言葉であって、
もちろんのこと慎重に考える必要がある」と、
問いの軽さに注意を向けている。

それを充分に知っても、この問いは、与論島にとって切実でありうる。
それは、1609年に薩摩藩によって琉球から分断されたとき、
戦後の日本復帰のとき、そして最近では、沖永良部との町村合併のとき、
その問いは、少なからず、改めて、与論島の自意識に上ってきたはずだ。

もちろん歴史に仮定はない。この問いは無効な問いだ。
けれど、問いかけが胸に迫ってくるなら、一度、立ち止まってみたい。

「もしも与論島が沖縄県であったとすれば」

ぼくが答えるなら、こうなる。

観光地として集客はいくぶんしやすくなっただろう。
行政区分としても、自分を名乗りやすかっただろう。
そしてその分の歴史的な負荷は、現在あるのとは異なる色彩を
帯びただろう。

それだけは言えると思う。

ただ、仮定の世界の中にまどろむことはできない。
ぼくたちはやはり、この問いの向こう側へ行こう。

高橋は、「琉球の原風景が残る」ことに与論島の価値を見出した。
そしてその根拠を、方格地割の街の構成ではなく、網目状の構成に求めている。

これを立証するために野口才蔵の「南島与論島の文化」
(著者発行、非売品)の労作に力を借りた、シニグ祭で表面化する
サアクラの分析は、とても面白く、啓蒙される。

シニグ祭に、与論島の血縁、地縁集団がどのように居住域を拡張
していったかが、捉えられているからだ。

ぼくはここから、推論の域を出ないにしても、与論島にどのように
人が住み着いていったのかを部分的にイメージできる気がしてきた。

与論島の魅力を引き出そうとする高橋の労には愛情があり、
ぼくたちはそれを素直に受け取ることができる。

この受け取りの後に、どのように、ぼくたちは与論島を語ることが
できるか。ぼくにはそういう問いが残った。

いまはこう思う。与論島を、鹿児島県に依らないのはもちろん、
沖縄県にも依らず、日本にも依らず、語り始めることだ。

その先に、どんな触手をどこに伸ばすかは分らないにしても、
与論島をそれ自体から語り始めること。

いつか、その歩を打ち出したい。

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コメント

仮説は  すきです。
   海熊  パナウルマジック  に  遊びにきませんか。  かめれおん  で  でています。   これからもよろしく。

投稿: 竹 真弓 | 2005/07/27 11:41

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