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2005/04/29

祖母、逝く

祖母が今日、二十九日に他界した。
百五歳と四日。
一世紀余を生きた大往生。老衰の死。

何も、なにも言うことはない。
ただ、手を合わせるだけだ。

でも、ひとこと。

与えられることは断念したけれど、
与えることを惜しまなかった
偉大なぱーぱー(祖母)だった。

とぉとぅがなし、ぱーぱー。

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自己表現からコミュニケーションの可能性へ

weblogウェブログの心理学

山下 清美、川浦 康至、川上 善郎、三浦 麻子

NTT出版
2005/03
2,310円

いま、ブログ論の一番の陥穽は、
それが汎ブログ論になってしまうことだ。

インターネットの過去10年の経緯やインターネット以前に
あったものを度外視して、ブログの登場によって初めて可能になった、
という紋切り型になってしまうこと。

トレンドの勢いをかったビジネス上の戦術ならいざ知らず、
ブログに言及するなら、それ以前の道具や人の行動の延長で、
新しく付加したものについて、冷静に見ることが求められている。

「ウェブログの心理学」は、その陥穽を免れた作品だ。
それは、「はじめに」に書かれた用語の説明にも、
陥らない意志が伝わってくる。

 本書では、ワールド・ワイド・ウェブ上のサイトの総称を
 「ウェブサイト」と呼び、そのうち個人によって運営されている
 (レンタルも含め)サイトを 「ホームページ」と呼ぶ。
 そして、ホームページに通常日付けを伴って時系列的に
 蓄積される日記的コンテンツを「ウェブログ」(ブログともいう)
 という用語で総称することにする。

ここでは、「ウェブ日記、テキストサイト、ブログ・ツールで作成される
ウェブログなどをすべてウェブログのなかに含める。それらは、
形式や内容などの点でかなり異なっているものもあるが、
いずれもウェブ上に個人が蓄積していくログであるという点で
共通している」というように、インターネットの初期からあった
ウェブ日記も、最近のブログも「ウェブログ」と呼ぶという
態度を採っている。

この視点のおかげで、ブログをそれ以前とのつながりのなかで
考えることができる。ここから得られる眺望を見ていこう。

まず、インターネットのコミュニケーションを2つの型で整理している。

□ABC(Article-Based Communications)
 型:相互作用
 単位:メッセージ
 機能:意見や情報の交換

□WBC(Web-Based Communications)
 型:呈示
 単位:発信主体
 機能:発信ないし自己表現

ホームページによるコミュニケーションはWBCであり、
電子掲示板などのコミュニケーションは、ABCだ。

この説明はとてもよく分る。
ぼくは、インターネットのコミュニケーションをウェブコミと呼んで、
それがクチコミとマスコミの双方の機能を包含していると考えてきた。

(ABC-クチコミ的、WBC-マスコミ的)

ウェブコミの特徴は、クチコミとマスコミの双方の機能を
包含していること。それが、既存のコミュニケーションにない
新しい属性だ。

先の整理に戻れば、ブログはWBCでありながら、
ABCの要素を取り込んでいる、ということができるだろう。

また、ウェブ日記の動機として、自己開示を挙げている。
これは、ぼくたちもインターネット・マーケティングにおいて、
大事な要素と考えてきたものだ。

企業が消費者とのコミュニケーション・プロトコルを
成立させるには、企業担当者による自己開示が必要である、と。

自己開示の効用を、ここでは次のように整理している。

 1)感情の表出(カタルシス)
 2)自己の明確化
 3)社会的妥当性の確認
 4)二者関係の発展
 5)社会的コントロール

そして、ウェブ日記の効用は、1)2)3)の「自己に向かう効用」と、
4)5)の「関係に向かう効用」があると、考えている。

自己開示全体の効用は、自己効用と関係効用があり、
この両者が、ウェブ日記を書く動機を構成しているのだ。

「ウェブログの心理学」が根本的だと思えるのは、ブログを論じるのに
正当にも日記の考察から始めていることだ。

 日記の内容    作者の指向性
        自分自身    他者・関係
 ──────────────────
 事実    備忘録      日誌  
 心情    (狭義の)日記  公開日記

内容を「事実」と「心情」に、指向性を「自分自身」と「他者・関係」に
分けている。指向性というのは、書き手の意識が、自分自身に
向かっているか、読者あるいは読者の関係に向かっているか、
ということだ。

面白かったのは、この日記のタイプとパーソナリティの関係について、
日誌型と公開日記型といった関係指向タイプの日記を書く人は、
他に比べて「賞賛獲得欲求」が強く、「拒否回避欲求」は、
備忘録型で高く、日記型で低めになるという研究成果だ。

日誌型と公開日記型は、注目を浴びたい、
備忘録型は嫌われたくない、
逆に日記型は、嫌われても構わない、というウォンツが強い。
思い当たる節が多いところだ。

そしてさらに面白いのは、さまざまなタイプがあるにしても、
ウェブ日記を書き続ける意思を支えるのは、
読者からのポジティブ・フィードバックであるという指摘だ。

この点も、インターネット・マーケティングでも大事なエッセンスだ。
コミュニテはどうやったら活性化できるか。
煎じ詰めれば、ポイントは、発言に返信をつけること。
しかもポジティブな返信をつけること。それに尽きるのだ。

さて、こうした基本的な整理を踏まえて、「ウェブログの心理学」は、
日記からウェブ日記へ、ウェブ日記からウェブログへと辿ってゆく。

近代日記は、「書く」主体としての自己。この自己の確認行為。
ウェブ日記は、「読む」主体としての自己。
読まれることが前提とされるようになった。

そこで、「近代日記は、読まれることが明白で同期性の高いウェブ日記
に至って、自己表現を前面に押し出した日記へと変身しつつある」。
そして、ウェブ日記の本質に至る。

 日記そのものは自己表現であり、それを契機としたコミュニケーション
 の可能性にかける、これがウェブ日記の本質なのではないだろうか。

ここまでくれば、ウェブログとは、コミュニケーション志向が強化された
ウェブ日記だと考えることができる。

 自己開示はコミュニケーションの原点であり、
 日記はその自己開示の身近な手段である。

ぼくはこの一節に一番はっとした。
こう書かれると、プライベートの極みのように思えてきた日記は、
そもそもコミュニケーションへと投企される可能性を持っていたと
考えることもできる。それがウェブログに至って、さらに可能性を
広げてきたと言えるだろう。

すると、本来のコミュニケーションがインターネットによって
開通したと、そう言えるのかもしれない。

インターネットに歴史ができ、それは論じられる対象になった。
そんな実感とともに、いい読み応えを味わった。

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2005/04/28

格さん、助さん、漕ぎなさい

boat


このボートにはタイヤが付いている。タイヤ付きボートだ。親戚のやか(兄上)に借りた。

弧を描くような入り江と堡礁の内側は、遠浅で、おだやかな湖のようだから、ローボートをのんびり漕ぐには持ってこいなのだ。

最近は見かけなくなってしまったので、「どこかにローボートはない?」と聞いたら、
「ぼくのを貸してあげる」と言ってくれたのだ。

このタイヤのおかげで、浜にボートを上げたり、ボートを移動させるのは
すこぶる楽にできる。

問題は乗り込むときと引き上げるときだ。
なにしろ、浅瀬で水圧に抗しながら、タイヤを下に引き抜いたり、
水圧に抗しながらタイヤを海に埋めつつ、
差し込んだりしなければならない。
これは慣れるまでは、難儀だった。


「これ、どうやって漕ぐの?」と聞くと、
やか(兄上)は、ボートの設置所のそこらから、板切れを拾ってきて
「これで」と渡される。

「はあ?」と思ったが、冗談ではなかった。

当然ながら、タイヤ付きボートはローボートを改造したものなので、
ローはないし、ローを置く取っ手もない。
仕方ない、やってみよう、とばかりに、海へ出てみた。

子ども二人を前に座らせて、ぼくは後ろに陣取り、
ご一行様とばかりに、「格さん、助さん、漕ぎなさい」と
声かけして、前に進んでみた。

いつもパソコンのキーボードを打つことの多い、やわな手のひらは
すぐに豆ができるありさまだったが、
これが慣れると面白いように進んだ。

「ローボートよりも進むよ」というやか(兄上)の言葉は
信じていなかったがまんざらでもないと思えてきた。

入り江と堡礁の内側は1キロ四方はある大きさなので、
沖合いへ出て、石灰岩に紐を巻きつけた錨を降ろして、
ボートのまわりを泳いで遊んだ。

「格さん、助さん、出発です」と、場所を変えようと進んでいると、
グラスボートが近くを通過していく。そして、不思議そうな顔で、
「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。

堡礁から来てみれば、ボートに板切れ三枚でボートを漕いでいる
親子に出くわして、漂流の体に見えたのかもしれない。

「大丈夫です」とニッコリ笑って見せて、手を休めたりした。
このボートのおかげで、去年の夏は、ふばまの海を満喫できた。
今年は借りられるかなぁ?


祖母は、百五歳の誕生日から三日を生きている。

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2005/04/27

オープンなサンクチュアリ

hubama

この写真は去年、2004年の8月4日に携帯で撮った。

ふばま、とぼくたちは呼んできた。「小さな浜」という意味になると思う。

少年の頃は、学校から帰るとよく遊びに来た場所で、島を離れてからは、帰ったら、「ただいま」と、島を離れるときは、「また来る」と、つぶやくのが常になった。いつも、ふばまに立つと言葉を失う。帰ってきた実感があふれるのはもちろんだけれど、こんなにきれいだったのかと言葉を無くすのだ。

ふばまはサンクチュアリだ。

でも、小さな頃から観光はブームだったし、
特に新婚旅行のメッカにもなっていた。

だから、若い人でにぎわうことも多かった浜辺だ。
それは嫌なことではなかった。
もともとぼくの海というわけでもないのだから。

思うに、オープンなサンクチュアリだ。


今日で、祖母の百五歳の誕生日から二日経つ。

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なんくるないはへこたれない

Nankurunai

なんくるない

よしもとばなな

新潮社
2004/11/25
1,365円




ビジネス書を立て続けに読むと、心がしくしくしてくる。
読んだビジネス書のせいではなく、ビジネス書に対する
ぼくの受け皿が小さいのだ。

そういうタイミングで読んだ
よしもとばななの『なんくるない』は心に染みた。

「なんくるない」、なんとかなる、というタイトルを持つ物語の
大きな流れに身を任せるおおらかさのせいかもしれない。
沖縄をテーマにした小説だということもあると思う。

  私たちは毎日のように海に行った。飽きもせずに遠浅の珊瑚礁
 で色とりどりの魚たちの生活をのぞかせてもらった。中腰の姿勢
 でサンダルをはいたまま、海の中をどこまでも歩いていって水中
 めがねでのぞきこむと、魚たちは逃げることもなく食べ物を探し
 たり、群れ同士で出会って向きを変えたり、さっと岩陰に隠れた
 りした。その色の鮮やかさ・・・・黄色や青や赤が珊瑚の世界に
 まみれていた。(同書)

こんな導入のさりげない個所から、かさかさ乾いた心の身体が
潤っていくのを感じることができた。

『なんくるない』は、四つの掌編からなる作品集だ。
共通しているのは沖縄という舞台。
そして、おおらかな大きな力に助けられて
折った膝をふたたび伸ばして立ち上がろうとする、
そんな励ましを受け取る。

「あとがき」もいい。

  私はあくまで観光客なので、それ以外の視点で書くことはやめ
 た。これは、観光客が書いた本だ。
  沖縄は日本人にとって、あらゆる意味で大切にしなくてはいけ
 ない場所だ。
  沖縄を愛する全ての人・・・深くても軽くてもなんでも、あの
 土地に魅せられた人全てと、沖縄への感謝の気持ちを共有できた
 ら、それ以上の喜びはないと思う。(同書)

『なんくるない』によって、描かれる沖縄は更新される気がする。
よしもとは、「観光客が書いた本」としてこの作品を
提示するのだけれど、それは、現地の人が見る沖縄と
交わることのない無縁の世界なのではなく、
現地の人が見る沖縄と交点を持つ世界だ。

こうなるには沖縄が都市化する必要があった。
でも、それ以上に、沖縄の「なんくるない」の身体性は
都市化によってはへこたれない豊かさがある必要もあった。

ようやく、「沖縄」は、誰でも共有できる身体性に
なったのかもしれない。

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2005/04/26

「もしも与論島が沖縄県であったとすれば」

Genhukei_2 与論島―琉球の原風景が残る島

高橋 誠一、竹 盛窪

ナカニシヤ出版
2005/03
1,995円


 もしも与論島が沖縄県であったとすれば

「与論島 琉球の原風景が残る島」は、
この問いで最も切実になっている。
高橋はどのような意味でこの問いを発しているのか。

与論島は「第一級のリゾート観光地という名に恥じない」
美しい自然を持っている。

  ところが実は、与論島の魅力は、これにとどまらない。本書で最も
 強調したいことであるが、与論島には琉球の原風景が残されているの
 である。

この本の最大の主張は、この、与論島には琉球の原風景が残っている、
というものだ。そしてこの最大の主張をした後で、「もしも」の問い
はやってくる。

沖縄の魅力にとらわれてしまった人は、本当だけでなく離島に足を伸ばす
ことになる。石垣島、西表島、はては与那国島などを経験しながら、
「次は、この島」とめぼしをつける時に、奄美以下、与論は、
沖縄県の地図の県外になることで、選択肢から外れてしまう。

奄美も琉球、なかでも与論島は特に、琉球色が強いのに、と。
そこで、冒頭の問いはやってくる。

「もしも与論島が沖縄県であったとすれば」もっと与論島に訪れる人
が増えるのではないか、というように。

高橋はこの問いの無防備さに自覚がないわけではなく、
「もっとも、与論島=沖縄県という高橋の発言は、酔ったうえでの、
しかもあくまで余所者としての無責任な言葉であって、
もちろんのこと慎重に考える必要がある」と、
問いの軽さに注意を向けている。

それを充分に知っても、この問いは、与論島にとって切実でありうる。
それは、1609年に薩摩藩によって琉球から分断されたとき、
戦後の日本復帰のとき、そして最近では、沖永良部との町村合併のとき、
その問いは、少なからず、改めて、与論島の自意識に上ってきたはずだ。

もちろん歴史に仮定はない。この問いは無効な問いだ。
けれど、問いかけが胸に迫ってくるなら、一度、立ち止まってみたい。

「もしも与論島が沖縄県であったとすれば」

ぼくが答えるなら、こうなる。

観光地として集客はいくぶんしやすくなっただろう。
行政区分としても、自分を名乗りやすかっただろう。
そしてその分の歴史的な負荷は、現在あるのとは異なる色彩を
帯びただろう。

それだけは言えると思う。

ただ、仮定の世界の中にまどろむことはできない。
ぼくたちはやはり、この問いの向こう側へ行こう。

高橋は、「琉球の原風景が残る」ことに与論島の価値を見出した。
そしてその根拠を、方格地割の街の構成ではなく、網目状の構成に求めている。

これを立証するために野口才蔵の「南島与論島の文化」
(著者発行、非売品)の労作に力を借りた、シニグ祭で表面化する
サアクラの分析は、とても面白く、啓蒙される。

シニグ祭に、与論島の血縁、地縁集団がどのように居住域を拡張
していったかが、捉えられているからだ。

ぼくはここから、推論の域を出ないにしても、与論島にどのように
人が住み着いていったのかを部分的にイメージできる気がしてきた。

与論島の魅力を引き出そうとする高橋の労には愛情があり、
ぼくたちはそれを素直に受け取ることができる。

この受け取りの後に、どのように、ぼくたちは与論島を語ることが
できるか。ぼくにはそういう問いが残った。

いまはこう思う。与論島を、鹿児島県に依らないのはもちろん、
沖縄県にも依らず、日本にも依らず、語り始めることだ。

その先に、どんな触手をどこに伸ばすかは分らないにしても、
与論島をそれ自体から語り始めること。

いつか、その歩を打ち出したい。

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祖母の誕生日の翌日

与論島に行くとやってくる、あの、えも言われぬ感じ。
切なくなるようなとろけるような、あの感じを言葉にしたい。
これはその試みだ。

与論島に住む祖母が百五歳の誕生日を迎えた次の日の、
今日を起点に。

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