カテゴリー「19.与論砂浜」の35件の記事

2007/11/25

優しい出入り口-与論砂浜の表情

与論の砂浜をめぐる旅は一日で足りたのか?
それは甘かった。
では、二日かければ何とかなったか?
それも甘かった。

まだ、見落としている浜辺はいくつもある。
それに、写真に収めた浜辺だって、
立ち寄る程度しか接することはできなかった。

つぶさに立ち寄りたいし、
ひとつひとつを、素足の裏で感じ、座ってもみたい。
座って、海を眺めてみたい。
それに、干瀬から浜辺を眺めてもみたい。

そんなやりたいことたちは、また後日だ。

Tilazakisand














Asakisand














ひと口に与論の砂浜といっても、
その表情は単調ではなかった。

比較のために撮ったわけではないけれど、
上のティラザキ(寺崎)の砂は、
肌理が細やかで白く、
下のアーサキ(赤崎)近辺の砂は、
粒が大きく丸く赤みを帯びていた。

寺崎は、白崎かもしれないが、
ひょっとして、赤崎も、赤い砂の崎なのかもしれない
と思ったほどだ。


砂の白は神聖なものだが、
でも、感覚的には、足の裏に優しい。
砂浜は、与論島の外への出入り口だとしたら、
与論は、優しい出入り口を南の一部を除いて、
八方美人に数多持った場所だということに気づかされた。

まさに、砂の島だった。

 ○ ○ ○

とはいえ、与論島が「砂の島」ということに確信を持てたけれど、
「砂の島」が与論島の地名の由来であるかどうかに
確信が持てたわけではなかった。

たとえば、砂の印象とは別のことだけれど、
ユンヌを「砂の島」と解する場合、
「ヌ」を格助詞「の」と解しても、
他にあまり例がなく、どこか不自然な印象がぬぐえない。

それからぼくは、その同系列の地名として、
与那国の地名ドゥナンや与那国の砂浜ダンヌを
同じ地名と見なしているのだが、
与論ほどには、与那国島は「砂の島」とは言いがたく、
地勢が地名という初期原則に則っていないのではないかという
疑念が去らない。

ひょっとしたら、与論=与那国という仮説は、
奄美と八重山の地名相似に由来を求めるのがいいのかもしれない。
地名が相似する根拠は、
北から南へ移った島人が、
奄美の島々に名づけたものを八重山でつけたと解するのだ。

けれどそれは、よく描かれるように、
日琉同祖論にいう弥生期に農耕技術を携えて南下した
「日本人」がつけたものと考えているのではない。
むしろ、もっともっと以前に、北方からやってきた
「日本人」が名づけたとイメージしている。

 ※「ユンヌの語源、註」
  「大隈・奄美、八重山の地名相似説」

 ○ ○ ○

こんな風に、砂の島の想念は去らない。
またいつの日か、「砂の島」与論島を堪能する日を持ちたい。



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2007/11/24

与論砂浜三十景 34 ハニク

茶花に来ればイチョーキ長浜が撮れる。
そんな期待で、砂浜めぐりは終盤を迎えたのだが、
イチョーキは、ウフガネク(大金久)ほど長くはなく、
茶花の湾岸にはさまざまな砂浜名がついていた。

盛窪さんにいただいた砂浜地名によれば、
イチョーキの部分は、人工海浜に当たる個所だった。

人工海浜は、さすがに撮る気がしない。
残念だが、砂浜シリーズのなかにイチョーキを入れられなかった。

写真に収めたのは、ハニクだ。

Haniku



















豊かな礁湖(イノー)を受ける砂浜が
ゆったりと続いている。

一日半をかけて、後半はこれ以上を望めない
盛窪ガイドさんの案内に助けられて、
砂浜めぐりを終えることができた。

与論はひろい。
「海は広いな大きいな」、
同じように、
与論は広いな大きいな。
そんな実感が、白砂にさざ波が消え入るように、
身体に染みていった。



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2007/11/23

与論砂浜三十景 33 ハニブ

与論の砂浜めぐりは、とうとうハニブ(兼母)に辿り着いた。
ここはもう、人工施設を入れずには撮ることができない。


Hanibu



















与論島の西の端、日の入りの舞台である。
『無学日記』の池田さんにとっては、漁の舞台だった。

  三十六章 『昭和十三年 私は一人ハニブの海に行く』

  ナアーハニブから沖へ出てノーを下げティノーウするのである。
  その日は潮の流れが早かったしばらくノーを下げていると
  ミシバこブまで流れている。
  今日は魚は釣り上げることは出来そうにないと焦っているうちに
  とうとうイピヤーグチまで流されてしまった。
  その時潮はシャンシャン、ショウショウと音をたてイピャーへ向かって
  ものすごく流れているのである。

  驚いた私は島に向かって力一杯泳いだのである。
  一寸も前に進むことが出来ない、
  あっという間に遠い沖まで流されてしまった。
  その時俺は命はもう最後だと思った。
  それは兼ねてイピャーグチの沖には
  人を呑むフカがいるという話を聞いていたからである。

  私は島に向かっては全く泳ぐ事は出来ないからどうなるか 
  ヤンバルに向かって泳いだのである。
  そうするうちに少しづつ島に近づいて来る。

  フカが出て来ないかとあたりを見ながら「生懸命に泳ぐのである、
  とうとうペーハニブに近づいた。
  あまりにもイピヤーグチでイピャー向かって
  そびき出されたので自分が入った 
  ナーハニブには泳ぎ着く事は出来ず
  ペーハこブにようやく泳ぎ着く事が出来たのである。
  このよしうに潮の流れは恐ろしいものである、
  だから子供たちは人々や友達から
  話をよく聞いていなければならぬ。
  そして俺のような一人あるきの海はやってはならぬ。
  (『無学日記』池田福重)

ハニブからイヒャーグチから、
外洋に出て、ヤンバル(山原)に向かって泳ぎ、
やっとペーハニブに泳ぎ着いた。

なんとダイナミックなことか、
と、外洋に出て泳いだことのないぼくは思う。

すごいものだ。

この浜辺から海を見るとき、
そんな舞台でもあったことを忘れまいと思う。




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2007/11/22

与論砂浜三十景 32 ペーハニブ

島の西側に移り、空港にも間近い。
ここは、ほぼ直線の浜辺で、
波と植生が並行になるグラデーションが美しい。

ハニブ(兼母)の南、ペーハニブ(南兼母)だ。

Pehanibu



















ここまで来ると、洋上にはふたたび、七離れが見える。

与論島の洋上は、東西南北に見える島影は
そのままそこへの愛着を形づくってきたように見える。

西に浮かぶ七離れは、夕陽の輝きとともに思い出され、
北に行けば、兄弟島、沖永良部を臨み、
南に行けば、母なる島、あるいは時に、
対峙する島として沖縄本島を臨む。
そして、東は、はるか太平洋。
でも、東には島が見えないのではなかった。
パイパティローマやウフアガリのように、
もうひとつの島や世界を幻視してきたのだ。


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2007/11/21

与論砂浜三十景 31 フバマ(ハニブ)

これが、三つ目の、もうひとつのフバマ。
ハニブ(兼母)のフバマだ。

H_fubama

















フバマは、

・宇和寺 (与論砂浜三十景 1 フバマ(宇和寺)
・古里  (与論砂浜三十景 16 フバマ(フルサトゥ)
・兼母

の三ヶ所ある。

地名はその初源、地勢名であり、
フバマは、地勢に同一性があれば、同一の地名になることの、
ささやかなサンプルを提供しているようだ。

考えてみれば、与論で最も多い砂浜名なのかもしれない。

ハニブ(兼母)のフバマも、
小さく愛らしいたたずまいだ。



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2007/11/20

与論砂浜三十景 30 トゥイシ

ナーバマの(とぼくが思っている)隣が、トゥイシになる。
ナーバマの右下に見えた影は、
この三つ連なる巨岩のものだ。

ここが境界になるのも不思議はない、
そして与論ではあまり見ない、堂々たる佇まいだ。

岩は大綱で渡してあって、
祭儀の場所を思わせる。

この三連巨岩の名を知りたい。

Tuishi


Tuishi2



















ここからは与論港が臨める。
旅情を感じる浜辺だった。

いちばん奥の立神のような岩のふもとでは、
旅の青年がウクレレの練習をしていた。
与論がいちばんいい、と言ってくれた。

 ※トライアルは「海」、リピートは「人」



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2007/11/19

与論砂浜三十景 29 ナーバマ

もうここからは供利の与論港が見える。

東に向かって撮ったこの浜を、ナーバマと読んでいいのか、
ほんとは分からない。

トゥイシ、ナーバマ、フォータイという並びのなか、
ナーバマなのかなと推測した。

Nabama



















右下の影は、立神のような巨岩のもの。
これが、次の浜辺との境界をなしているように見えた。

ナーバマは横に伸びているものの、
なんというか、らしさに欠けるような気がした。
独立した砂浜名がないように思えたのだ。
それで、撮り方も、海が入らない、
ちょっとなおざりな感じになってしまった。

後背地の土砂が崩れ気味なので、
どことなく大切にされていない印象を受けたのかもしれない。

浜辺よ、ごめんなさい、という感じである。



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2007/11/18

与論砂浜三十景 28 マンマ

ハキビナあたりから、また豊富な砂浜に出あうようになる。
マンマもそうだ。

楠語がそのまま名前になったような、
愛らしい、チュムチャサイ、名前だ。

Manma

Manma2



















絵になる浜辺。

ぼくは、他では目にしたことのない岩肌が新鮮だった。
ほんとうは人を写したくなかったのだが、
どいてもらうわけにもいかず、
失礼して撮らせてもらった。

写真に収めないわけにいかない独特な砂浜の表情がある。
でも、盛窪さんによれば、
台風で、岩がだいぶ露出してきたとのことだった。

ハキビナもマンマもどこも、
砂の島は、台風の影響で表情をつどつど変えてゆく。
砂の島は、輪郭の揺れる島でもある。




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2007/11/17

与論砂浜三十景 27 ナガサキ

ここを砂浜というのは本当はためらわれる。
砂のある岩場と言ったほうがよさそうだけれど、
砂浜の少ない南岸を通っていたので、
わずかでも「砂」を認めると、撮りたくなった。

ナガサキ、だと思う。
地名としては、砂浜名のなかで最も共通語化している。
また、ナガサキの意味も、南にやや突き出た場所にあるので、
その名の通り、長い崎なのだと思う。

Nagasaki



















ここは港の役割を果たしたようにはみえない。
風葬跡は、ありそうな雰囲気はあるが、
あるのかどうか分からない。

いつか、降りて確かめてみたい気がする。


このあたりだと、向こうに必ず、辺土を含む沖縄本島を臨める。


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2007/11/16

与論砂浜三十景 26 ハキビナ

ここに着く前に、ハミゴー、シゴー、チャドゥマイと
重要な場所を過ぎるが、
砂浜ではないので、間を開けての砂浜である。
そのハキビナは、島のなかでよく知られた浜のひとつだと思う。

民話のサービマートゥイやウプドーナタが、
沖縄にお遊びに行って帰ってくるのも、この、
ハキビナに設定されていた。

Hakibina



















また、口承で伝えられた民話にも、ハキビナは登場している。

  「ハキビナ」 の地面は、盛り立てて、田の畦を作っているのに、
  水に流されてしまって、田と田との境の畦が、
  作られなくなったということである。
  そこで、島の開発祖神は、天つ神のまします天の国へ天上りされて、
  ヨモギ革の種子、ノオダキ、マヒヤア、稲、麦、豆などの種子を
  持ち帰っておいでになって、農作業をして、
  すべての諸々の農作物の作り事を、始めたということである。
  (『与論島の生活と伝承』山田実)

この伝承は、海に洗われやすいハキビナの地形の特徴を
よく捉えていてリアルだ。

それと同時に、この民話(神話)は、
与論島にとって、稲をはじめとする「農」が、
外来ものであることを示唆しているように見える。



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