カテゴリー「26.映画『めがね』ウォッチング」の42件の記事

2009/02/16

『めがね』の次

 「この世界のどこかにある南の海辺」というこの上ない他者像をもらった与論島は、これからそれに対応する自己像をつくってゆくのだけれど、主演の小林聡美は、もう『めがね』の次に歩みを進めたようです。

 小林聡美の癒し映画 感動のタイ作…人気作「かもめ食堂」「めがね」に続く

 監督は荻上さんではないが、スタッフは同じ。あの世界観がまた繰り広げられるんだろう。

フィンランドの食堂が舞台の「かもめ食堂」(06年)は、東京と横浜の2館だけの上映からクチコミで人気が広がり、全国公開となり、興収5億8000万円のスマッシュヒット。翌07年公開の「めがね」は鹿児島・与論島での物語で、こちらも興収5億2000万円を記録。ゆったりした雰囲気の中で描かれる人々の生き方が共感を呼んだ。

 こう見ると、『めがね』も健闘してますね。やっぱり与論人(ゆんぬんちゅ)としては、そうあってほしいと思います。

「忙しくない感じ。気持ちがスッキリして余裕ができるし、撮影の現場でもそういう雰囲気」

 『めがね』の姉妹映画と思えば、楽しみです。



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2008/05/06

奄美映画としての『めがね』

空虚と過剰

 映画『めがね』を奄美映画として受け取ることはできるだろうか。無論、この映画は奄美映画として企図されているわけではない。監督の荻上直子もそんなこと思いもしていないだろう。『めがね』は与論映画だと言うことはできる。けれどこれとて荻上がそう呼んでいるのではなく、観る側の批評の自由としてそう言うに過ぎない。むしろ作者は、調べようと思えば、舞台は与論島だと分かるが、積極的にそのことを語らないようにしていた。それでもこれが与論映画だと言えるのは、与論島の自然にある意味で全面的に依拠した作品だったことが挙げられるが、それ以上に、与論らしい事物はほとんど使われていないにもかかわらず、与論らしさが滲んだ作品だった。ぼくたちはそうであればこそ、この映画を与論映画と位置づけてみたくなるのだ。

 ただ、ぼくがここで考えたいのは、この映画は与論映画だとして、それだけでなくその延長に、『めがね』を奄美映画として受け取ることはできないかということだ。それはつまり、『めがね』で描かれていた与論らしさを、奄美らしさとして敷衍することもできるのではないかという問題意識である。

 与論らしさを奄美らしさにつなげるのは、「空虚」だ。たとえば、『めがね』では主人公が、観光地を探そうとすると、宿の主は、質問に戸惑った後、ここにはそんなものはありませんよ、と答える。ここは、何もない場所なのだ。もちろん与論島は島自体が観光地として謳われているし、観光する場所もないわけではない。ただ、映画のなかでは、何もない場所として設定されるのだが、結果的にはそれが与論らしさとして与論を知る者には受け取られた。「空虚」を媒介にして『めがね』は与論とつながるのである。

 そして、「空虚」という言葉はある意味で、奄美らしさを表現してきた。「付録」や「ぼかし」(山下欣一)は、奄美を言い当てるのに欠かせないキーワードだったが、この先に奄美が怖れたのは要するに「空虚」ではないかということだった。「自分を無価値のように感じてきた」と島尾敏雄は島人の心理を代弁したが、ここでいう「無価値」が、奄美の怖れを雄弁に物語っている。何もないということ。だが仮にきわめてネガティブな文脈でしか語られたことがなくても、近世以降、そして近代以降には顕著に、「空虚」は奄美らしさの謂いになってきたのである。ぼくたちにはそれを逆手に取る自由だってあるのだ。また、「この世界のどこかにある南の海辺」という設定は、与論もそうだが、「付録」や「ぼかし」として非在化してきた奄美にこそふさわしいのではないだろうか。

 このことは一方で、沖縄映画と比べると、ポジションがより明瞭になるかもしれない。ぼくたちは沖縄映画と言った途端、そこにトロピカルやリゾートや方言やアメリカや基地や戦争や平和といった夥しいイメージや言葉が喚起されるのに気づく。そしてそれは、奄美映画と言ったときに、その言葉が新鮮でありこそすれ、そこから想起されるイメージが何もないのとは対照的というか対極的である。沖縄映画には持て余すほどに「過剰」なイメージがあるとすれば、「空虚」は奄美映画の持ち分なのである。

メタフィクション

 多くを見聞していないのだけれど、奄美映画としての『めがね』を考えるときに参照するのは、たとえば高嶺剛監督の映画『ウンタマギルー』だ。『ウンタマギルー』も、映画を製作するに当たって、沖縄映画にまつわる過剰なイメージを前提としているし、荻上が奄美映画という言葉を想起することもなかっただろうのとは全く逆に、高嶺は過剰な沖縄イメージを強く自覚している。むしろ、その過剰なイメージをどう処理するのかに応えること自体が映画の意味になっているくらいである。

 思い出せば、映画『ウンタマギルー』では、アメリカ、基地、復帰問題、三線、砂糖きび、泡盛、キジムナー、方言といった沖縄的事象がふんだんに盛り込まれていた。過剰なイメージを映画の素材にしているのである。しかし、その素材はどう扱われているかといえば、たとえばキジムナーは、樹木の精霊であるという描かれ方は由緒正しいのだが、大人の男性として登場するあたり、どちらかといえば、子どものほうが合っているので違和感を持つように、これが事実であるという出し方をしていない。方言は琉球の方言なのだが、実際に使われていた以上に、台詞を全て方言化しているのが感じられる。もっとも、耳を澄ますようにしなくても、麻薬のように淫豚草が出てきたり、アメリカの高等弁務官が豚と血液交換をしたり、ウンタマギルーは空を飛ぶところになるとさすがにこれはフィクションだと分かるし、これはフィクションだとあらかじめ分かることのほうが多い。けれど、事実と架空をないまぜにして、というより、事実として受け止められているかもしれない事象を使いながら架空化していくことによって、現実なのか架空なのかがよく分からなくなってくる。現実の重力場を失っていない架空というか、ぼくたちはフィクションだと思いながらも、ではどこまでが現実かを言い当てようとすると覚束ない。そんな映像なのだ。

 映画『めがね』には、使うにしても闘うにしても、その前提となるようなイメージは何もない。では、荻上は、島の自然と事物を淡々と描いたかといえばそうではない。肌理の細やかな真っ白い砂浜と汀に寄せるさざ波と潮風と砂糖きび畑などは、島の自然に全面的に依拠していたが、携帯電話が通じなかったり、メルシー体操という架空の体操を踊ったり、物々交換をしていたりと、事実ではない要素が盛り込まれていた(もっとも島の習慣としての物々交換はあるけれど)。

 映画『めがね』でも架空化という手続きを踏むのだが、それはこんな場所があったらいいという観る者の願望に添って編み上げられていた。一方、映画『ウンタマギルー』では、観る者は居心地悪く、不安になるように架空化が施されていた。『ウンタマギルー』が「過剰」を架空化して不安にさせるとすれば、『めがね』は「空虚」を架空化して願望を喚起させていた。

「たそがれ」と「オキナワン・チルダイ」

 そのような手続きを踏むことによって作者が描きたかったものは何か。それは、映画『ウンタマギルー』では、琉球の聖なるけだるさ、オキナワン・チルダイだった。オキナワン・チルダイは、柔道の巴投げが、挑みかかる相手の力と体重をこちらの力に換えるように、沖縄に抱く観る者の過剰な先入観の力をむしろ借りて、その信憑を現実か架空か分からないところへ宙吊りにして不安定化した上で、すっと、これがオキナワなのだよと全く思いもしないイメージを差し出してくる。それは言ってみれば、運玉森の地霊のもと、人間と動物、植物の境が無くなり、それらが同一化する世界だ。そこでは、豚は人間であり、親方はニライカナイの神からヤンバルクイナになることを命じられたり、キジムナーと語らうことはできたりする。ぼくたちは過剰なイメージが架空化され映画世界にのめりこむところで、“チルダイ”、けだるさのイメージを手渡されるのだ。

 映画『めがね』で、『ウンタマギルー』のオキナワン・チルダイのような主題に当たるものは、「たそがれ」だった。さざ波や潮風や夕陽などの自然の時間の流れとシンクロすることで人が空間に溶け込むことだった。あるいはその憧れや予感の前に佇むことだった。『ウンタマギルー』が自然と分離しない時間を描こうとしていたとすれば、『めがね』は自然と分離しない空間を描こうとしていた、と言えるのかもしれない。ただ、荻上は架空のあらまほしき世界を描こうとしたのではない。与論島から感受されるものを描こうとすれば、携帯電話が通じないなど、空虚をさらに空虚化するように架空化して、自然とシンクロしやすくさせたのだと思える。

ただの人

 映画『ウンタマギルー』は「過剰」を前提にしている。だから、方言も過剰に使われるし、沖縄の俳優も現れて、現実と架空を弄んでいる。一方の『めがね』は、「空虚」が前提だから、それを徹底するように、方言は登場しない。子どもたち以外、島の人もほとんど登場しない。本土の著名な俳優さんだけが登場する。

 こんなコントラストを両映画は描くのだが、「オキナワン・チルダイ」と「たそがれ」はどこかで接点を持っている。「たそがれ」は「チルダイ」を感受するための状態であるというような関係が両者にはある。それは一通りには、『ウンタマギルー』は高嶺剛という沖縄の出身者が内在的に沖縄を描こうとしているのに対し、『めがね』は旅行者の荻上直子が、旅で感受した与論(奄美)を描こうとしたという差である。

 ただ、その差は初期条件のようなもので、両映画の響きはどこかでシンクロする気がするのだ。映画『ウンタマギルー』は、オキナワン・チルダイこそは沖縄であると言っている。映画のラスト、ウンタマギルーは頭に矢を刺されたままイノー(礁湖)を彷徨うように、沖縄(人)はオキナワン・チルダイを無くし苦悩している姿が描かれるけれど、それこそは沖縄を沖縄たらしめてきたというイメージはしっかり伝わってくる。

 ところでオキナワン・チルダイとは、動物と植物と人間、精霊が等価であるような世界だ。それなら、そこでいう沖縄とは何だろう。そこまでいけば、実はそれは普遍的な概念で、沖縄は固有の差異を主張するよりは人類的な母胎に溶けてしまう。そこで仮に沖縄人とは何かとアイデンティティを問おうとすれば、むしろ、いや何者でもない。ただの人なのだという回答がやってくる気がする。

 止まったような時間のなかで、携帯も通じず、ということは、自分が役割のなかに固定化されることもなく、やがて自然と同一化する『めがね』の世界も、同じような場所にあるのではないだろうか。そこで、アイデンティティを問おうとしても、そんなことはいいじゃないですか、と登場人物に返されそうである。ここでも、人は、ただの人です、と答えるのではないだろうか。

 過剰と空虚。沖縄と奄美はこのように対極的なのだが、こうしたコントラストのなかで与論映画としての『めがね』を位置づけてみると、「空虚」、何もなさを媒介に、人をただの人に誘うという意味で、それは奄美も同じである。ここからぼくたちは、『めがね』を奄美映画として位置づけることもできるのではないだろうか。

 旅人が描いた奄美映画である『めがね』を頼りに、では奄美人として奄美人とは何かを問うてみよう。すると、琉球がやってくれば琉球人になる、もうそうではないと言われればそうではないとみなす、日本人になれと言われれば日本人になる。それはただの人という基底がありありとあるからできるのだ。そう奄美人は答えるのではないだろうか。



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2008/03/21

何もないということは、人が作ったものがないということ

 映画『めがね』のDVD発売に合わせて、フードスタイリスト飯島さんが、『めがね』で用意した料理について語っています。

スクリーンいっぱいに映し出された料理も、キャストの一人。
『めがね』DVD化記念・フードスタイリスト飯島奈美さんの“理想の宿ごはん”とは。

ロケをしたのは与論島でしたが、南の島らしい食事を強調したいわけではないから、現地で手に入らないレンコンやさやつきのそら豆は、東京から送ってもらって。

 と、こう語っているが、そういえば料理にしてもいかにもな南の島(与論)らしさは無かったけれど、それは気にならなかった。

 それとは別に与論らしさはきっちり描かれていたからだと思う。その与論らしさを、「映画『めがね』なにもないがある島の日常」というあんとに庵さんの言葉を手がかりに、「何にもないこと」と捉えてきたけれど、その何もなさというのは、「人が作ったものが何もない」というようにも言い換えられそうです。「人が作ったもの」ではない自然があふれているということ。そこで、「人が作ったもの」しかない都市で生活している人は、そんな光景を前にすると、思わず「たそがれて」しまうのでしょう。

 映画のことを久しぶりに振り返れたインタビューでした。それにしても、飯島さんはお見かけするだけで美味しいものを作りそうな雰囲気を醸し出しています。(^^)


 この『めがね』DVDのパッケージもシンプルですね。TVでやっていた「朝のたそがれ」も収録されているそうです。


Dvdmegane_3

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2008/03/19

『めがね』DVDの広告 at 新橋

 今朝、新橋駅の改札を過ぎたところで、足が止まりました。

 そういえば、『めがね』のDVD発売。今日だったんですね。

Meganedvd_2













 足早に過ぎ行く人たちへ、「たそがれ」の誘い、ですね。

 あとでまた撮ってこようなんて思ってます。


 ふぅ、やっともう一枚、追加です。

Meganedvd




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2008/02/17

『めがね』がザルツゲーバー賞

 盛窪さんの「チヌマンダイ」で、『めがね』がベルリン映画祭で賞を受賞したことを知って、慌ててニュースを見てみたら、ザルツゲーバー賞、なのであった。

 ※ 『めがね』にザルツゲーバー賞 ベルリン映画祭パノラマ部門

 でも、そのザルツゲーバー賞って何?だが、ニュース報道によると、

「既存の概念にとらわれない芸術表現をした」

 とのこと。それは分かる。なにしろ、眠ってもらって成功の作品だから。(^^;)

 記事によると、「とても難しい色調をどうすれば、あのように美しく表現できるのか」なんて、コメントされているから、「既存の概念にとらわれない芸術表現」という意味は、このことかもしれない。

 それなら答えは簡単、「舞台のおかげです」と言えばいい。(^^;)?
 
 たしかに、曇り空の寺崎の浜辺と海は、柔らかな白を基調に広がっていて、独特な色の世界を展開している。浜辺と海の色彩美がもしかしたら評価されたのかもしれない。

ヨーロッパ各国をはじめイスラエルなど20カ国以上から海外配給に関する問い合わせがきている

 というから、与論島は、世界のたそがれ族の集結地になるかもですね。

 荻上監督、おめでとうございます。




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2008/01/15

『めがね』は島尾敏雄エッセイの映画化!?

 tssune3さんがブログ「Optimistic」で、こう書かれていてはっとした。

まさに、「めがね」はそれを映像化した映画と感じた。

 「それ」というのは、島尾敏雄が南島に感じる「やわらかさ」、本土の「かたさ」に対して置かれた「やわらかさ」のことだ。

 ぼくは琉球弧という言葉を使っています。それは琉球という言葉が、奄美の人、沖縄の人にかなり抵抗があるんです。ただ他に言いようがなくて、琉球そのままでもなんなので、まあ琉球孤という地理学的な言葉を援用しています。弧という字もかっこうがいいしあの発音もいいでしょう。それで琉球弧というのを使って、奄美からずっと沖縄、先島までを含めた言葉にしているのです。この琉球弧と東北が、何かいろんな点で似ています。

 政治、行政って言うのかなあ、どっちも、中央権力に与っていない地方ですね。琉球弧の方は、沖縄が小さな国家を作りましたが、でも日本全体からみると、やはり辺境で疎外されて、いつも忘れられてるという形です。東北はというと、これはいつも征伐されている。度々の蝦夷征伐とか、戊辰の役とか、そういうふうにされて来ているところが、何かとても似ているような気がしてしかたないのです。

 それとは別ですけど、ぼくは日本の中に、ある固さが感じられて、それから抜け出したいというような気がしている。どういう形だといわれると、これもちょっと困るんですけどね。ところが奄美に行ったら、本土でいやだと思っていたそういう固さがないんです。さっきも、あいまいにやわらかさなんて言いましたけども、それは何んだろうかと思ったわけです。

 簡単に日本じゃないとは言いきれない。本土には無いものであるのに、ぼくの感じではまったく日本なんですから、日本以外の何ものでもないという感じがしたわけです。まあ別にどうしても日本である必要もないんですが、感じとしてはどうしても日本です。そうすると、表面的には隠れているようにみえる、日本が持っているもう一つの面があるんじゃないかと思ったんです。で、その両をヤポネシアと呼んだわけなんです。
                                                  (「回想の想念・ヤポネシア」島尾敏雄)

 そうか。tssune3さんに言われると、なるほどと思えるところがある。
 もしそうだとしたら、映画『めがね』は、島尾敏雄のヤポネシア論、エッセイを映画化したということになる。そしてこのとき、与論は、琉球弧のある象徴を担ったということでもあるわけだ。これは愉快な連想だ。


 はっとする視点をありがとうございます。山をこよなく愛するtssune3さん。



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2008/01/12

映画『めがね』のDVDが出ます

 早いものです。
 もう、『めがね』のDVDが発売されるそうです。3月19日。

映画『めがね』DVD



 それにしても困ったものです。改めて予告編見るだけで、もう一度、あの世界に浸ってみたいと思うのですから。




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2007/12/26

映画『めがね』への接近 2007

観られる与論島

 2007年、与論島は、映像作品として観られるという経験をした。これは、与論島にとって初経験だったと思う。映像としてなら、同じく今年あった「新日本紀行」もあるが、ドキュメンタリーではなく、作品の舞台として撮られたのは初めてだった。

 ところで、本当に重要なのは、「初」経験のことではなく、撮られたのは作品舞台としての与論島であり、架空の物語のなかに登場する、「どこかの南の島」であるという設定にもかかわらず、描かれていたのがある意味で与論島そのものであるという点だった。

 「どこかの南の島」という設定が、場所が定かでなく浮遊している現実の与論島のイメージ・ポジションに重なること。そして映像作品として描かれているものの内実が、与論島でしか味わえない与論島クオリアそのものであったこと。この二つの点から、映画『めがね』は、作品を通じて与論島そのものと出逢うという達成をしている。それは、登山口こそ違え、高嶺剛監督が、映画『ウンタマギルー』で「沖縄・琉球」に対してi行ったことと同じだと思えた。

 春以降、映画『めがね』の公開前と以降のトピックスをブログで追えたのは幸運だった。数えてみると、ぼくは、34の記事を書いている。まるで追っかけだ。

 ★ 映画『めがね』ウォッチング


 作品の公開後、この映画に寄せられる声を読むのは楽しい。
 ぼくが読んだ範囲で心に残った感想記事を、現在から過去に遡って紹介したい。


■映画/めがね(12/26)

毎朝、枕元にもたいさんが居るのはイヤだけど、あの、自転車で 迎えに来てくれたもたいさんは、女神かと思った。

 タエコの葛藤のような、なかじまさんの言葉がリアルです。
 サクラのイラストも趣があります。

■めがね与論島ロケ地の映画(12/17)

与論島に行ったことある人だったら、すぐにわかるよね。 与論しかあれへん。

 沖永良部在住のめぐみさんのコメントが、とても印象的。とてもいい。

■「めがね」のマフラー完成!(12/09)

 kokorokokoroさんは、もたいまさこさんがつけていたマフラーを、お手製で再現したわけです。すごいことです。

■映画「めがね」を観ながら思うに(11/11)

「めがね」とは、「見えないものを見えるようにするもの」ではなくって 「めがねでしか見えないものを見えるようにするもの」なのだ

 paris-rabbit-sanさんの、『めがね』の「めがね」理解が、味わい深い。

■映画「めがね」(10/24)

好きなものに自信を持っていいんだってことでした

 ナオさんの、この素直な受け取り方に心動かされます。

■映画「めがね」(10/17)

時間をフィルムに定着させるとこんな映画になるんだろう、というのが実感。 「かもめ食堂」より、より時間や空気に寄っていて、メッセージを探す煩わしさ もない(メッセージはあるのだけど、気がつかないふりをしたくなる)。

 鑑賞時の気分を、さとなおさんはよく言い当てています。

■映画…めがね…(10/11)

与論島で撮影されているので、海がすごくきれいです いかにも南のリゾートの海っぽくなくていいです

 「いかにも南のリゾートの海っぽくなくいいい」。kiyokiyoさんのこのひと言、最大の褒め言葉です。

■映画『めがね』なにもないがある島の日常(10/11)

 映画『めがね』を真っ芯で捉えた、あんとに庵さんの本質的な映画評です。

■映画「めがね」(09/21)

 めぐろのY子さんのウェブコミック?が楽しい。




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2007/11/25

『めがね』ウィスパー

与論島でも映画『めがね』が上映されることになった。
そして、映画サイドからは、
与論が舞台だと声高に言わないで欲しいといわれている、
と聞いて、なるほどと思った。

与論島上映に向けて動くべきだ、クチコミを起こせと
言ってきたことが少し恥ずかしくなった。

なるほど「どこかにある南の島」なのだから、
与論島です、と言わないほうがいい。

でもって、ここは大事なポイントだから、
映画サイドからの要請が無くなっても生かしたほうがいい。

たとえば、映画上映が終わった後に、
与論島に行ってみたら、
「ここがタエコの降りた空港です」、
「ここがメルシー体操をやっていた浜辺です」、
「ここで、梅はその日の難逃れと言ってたんです」、
「ここで、タエコはサクラさんに自転車に乗せてもらいました」
とか、いちいち案内板があったらそれこそ興ざめ、
たそがれ気分も半減してしまうだろう。

いちばんいい姿を極端化してみる。
島に着くと、『めがね』の案内はどこにもない。
旅人は不安になって聞く。
「ここは、『めがね』を撮った島ですか?」。
するとそこで初めて、「はい、そうですよ」と島人は嬉しそうに答える。
「メルシー体操をやっていた浜辺はどこですか?」
「島の北の方に行って聞くといいですよ」
「犬のコージに会えますか?」
「宿を教えましょう」
以下、同様。

島内のどこでも、聞かれれば島人の誰もが、答える。
ただし、道案内はどこにもない。
すべてクチコミがガイドする。

そんな絵が、『めがね』コンテンツを生かすのには
いいのではないだろうか。

では、どこで、『めがね』の舞台は与論だとアピールするのか。
それこそ、ネットでするのである。
ネットでは、正直に積極的に言えばいい、書けばいい。

ただし、地元は、たそがれるにふさわしい場所として、
映画と地続きの場所であるように、
なるべく映画世界のままであるように保つ。

たとえば、寺崎に「めがね海岸」なんて看板でも立ったら、
映画世界からいきなり現実に連れ戻されるわけだから、
興ざめはなはだしいことは分かると思う。

だから、島のなかでは、案内は極力なくして、
島自体がささやくように、「そう、めがねの島です」
と言っているくらいがちょうどよい訴求だと思う。

そこを間違わずに、素敵な案内をしてほしいと思う。




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2007/11/01

『ウンタマギルー』と『めがね』

高嶺剛監督の1989年の映画『ウンタマギルー』と、
荻上直子監督の2007年の映画『めがね』は、
対極的な位置にある作品だ。

けれど、その質は似ているとぼくは思った。
登り口は違う。けれど頂は同じ。
いや同じと言わないまでも、とても近いと思うのだ。

その頂というのは、よい表現かどうか分からないけれど、
琉球弧の本質に当たるものと言いたい気がする。

「ウンタマギルーのけだるさ」
 「『ウンタマギルー』以後。過剰の交換」

映画『ウンタマギルー』と映画『めがね』が対極的だというのは、
沖縄と与論の起点がまるで違うことに帰せられる。

「沖縄」は、沖縄自身とは似て非なる記号化された「沖縄」の
イメージを過剰に持つ地である。

それに対して、「与論」はといえば、
与論自身が与論とは何か、自問自答できないくらいだから、
他者像としてノン・イメージなのである。

過剰な「沖縄」像と空虚な「与論」像を起点に、
そこから、その場から感受されるものは何か、を描こうとしているのが、
『ウンタマギルー』と『めがね』なのであり、
地霊的な感受を描こうとしている点において両者は共通しているのである。

高嶺監督は、わざわざ方言を使い字幕を施し、
沖縄人役に日本人俳優を起用し、ありそうでないなさそうである
あわいに浮遊する事象を散りばめて、
記号化された「沖縄」像をことごとく虚構化する方法で、
その残余に、琉球弧の感受を置いた。

それに対するようにいえば、
荻上監督は、与論を非在化し(どこかにある南の島)、
琉球的な事象を、自然と子ども以外は排して、
ありのままの自然を描くことで、
琉球弧の感受を描いてみせた。

それを『ウンタマギルー』は、「オキナワン・チルダイ」、
「琉球の聖なるけだるさ」と呼び、
『めがね』は「たそがれる」と呼んだ。

「たそがれる」は、その世界に浸りきれば、
「けだるさ」の世界にすぐに入っていく。
「けだるさ」に出会って恍惚とする、それを「たそがれる」と呼べば、
両者に橋渡しはできるはずだ。

高嶺監督が、荻上監督より徹底しているというのではない。
高嶺剛は石垣島出身。いわば沖縄の内部から描いたのに対し、
荻上直子は、旅人としての外部から描いたという
立ち位置の違いがあるに過ぎない。

それは内部からと外部からの差異に過ぎない。

しかしこれを単に、その差異に過ぎないと
身勝手に言わせるほどに、
両者が本質的なことをやろうとしてくれたということ。
言うべきなのは本当は、このことかもしれない。

かつて、沖縄と与論は、「オキナワ・ヨロン」と、
リゾートとして併記されたことがあった。
『ウンタマギルー』と『めがね』は、
映画作品化を通じた沖縄と与論の再会のようだ。

追記
こんなことを書いたのは、なんと、
『ウンタマギルー』が、動画配信されていたからだ。
ぼくはまだ観ていないが、いずれ、
18年ぶりにあの映像に触れてみるつもりだ。


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