空虚と過剰
映画『めがね』を奄美映画として受け取ることはできるだろうか。無論、この映画は奄美映画として企図されているわけではない。監督の荻上直子もそんなこと思いもしていないだろう。『めがね』は与論映画だと言うことはできる。けれどこれとて荻上がそう呼んでいるのではなく、観る側の批評の自由としてそう言うに過ぎない。むしろ作者は、調べようと思えば、舞台は与論島だと分かるが、積極的にそのことを語らないようにしていた。それでもこれが与論映画だと言えるのは、与論島の自然にある意味で全面的に依拠した作品だったことが挙げられるが、それ以上に、与論らしい事物はほとんど使われていないにもかかわらず、与論らしさが滲んだ作品だった。ぼくたちはそうであればこそ、この映画を与論映画と位置づけてみたくなるのだ。
ただ、ぼくがここで考えたいのは、この映画は与論映画だとして、それだけでなくその延長に、『めがね』を奄美映画として受け取ることはできないかということだ。それはつまり、『めがね』で描かれていた与論らしさを、奄美らしさとして敷衍することもできるのではないかという問題意識である。
与論らしさを奄美らしさにつなげるのは、「空虚」だ。たとえば、『めがね』では主人公が、観光地を探そうとすると、宿の主は、質問に戸惑った後、ここにはそんなものはありませんよ、と答える。ここは、何もない場所なのだ。もちろん与論島は島自体が観光地として謳われているし、観光する場所もないわけではない。ただ、映画のなかでは、何もない場所として設定されるのだが、結果的にはそれが与論らしさとして与論を知る者には受け取られた。「空虚」を媒介にして『めがね』は与論とつながるのである。
そして、「空虚」という言葉はある意味で、奄美らしさを表現してきた。「付録」や「ぼかし」(山下欣一)は、奄美を言い当てるのに欠かせないキーワードだったが、この先に奄美が怖れたのは要するに「空虚」ではないかということだった。「自分を無価値のように感じてきた」と島尾敏雄は島人の心理を代弁したが、ここでいう「無価値」が、奄美の怖れを雄弁に物語っている。何もないということ。だが仮にきわめてネガティブな文脈でしか語られたことがなくても、近世以降、そして近代以降には顕著に、「空虚」は奄美らしさの謂いになってきたのである。ぼくたちにはそれを逆手に取る自由だってあるのだ。また、「この世界のどこかにある南の海辺」という設定は、与論もそうだが、「付録」や「ぼかし」として非在化してきた奄美にこそふさわしいのではないだろうか。
このことは一方で、沖縄映画と比べると、ポジションがより明瞭になるかもしれない。ぼくたちは沖縄映画と言った途端、そこにトロピカルやリゾートや方言やアメリカや基地や戦争や平和といった夥しいイメージや言葉が喚起されるのに気づく。そしてそれは、奄美映画と言ったときに、その言葉が新鮮でありこそすれ、そこから想起されるイメージが何もないのとは対照的というか対極的である。沖縄映画には持て余すほどに「過剰」なイメージがあるとすれば、「空虚」は奄美映画の持ち分なのである。
メタフィクション
多くを見聞していないのだけれど、奄美映画としての『めがね』を考えるときに参照するのは、たとえば高嶺剛監督の映画『ウンタマギルー』だ。『ウンタマギルー』も、映画を製作するに当たって、沖縄映画にまつわる過剰なイメージを前提としているし、荻上が奄美映画という言葉を想起することもなかっただろうのとは全く逆に、高嶺は過剰な沖縄イメージを強く自覚している。むしろ、その過剰なイメージをどう処理するのかに応えること自体が映画の意味になっているくらいである。
思い出せば、映画『ウンタマギルー』では、アメリカ、基地、復帰問題、三線、砂糖きび、泡盛、キジムナー、方言といった沖縄的事象がふんだんに盛り込まれていた。過剰なイメージを映画の素材にしているのである。しかし、その素材はどう扱われているかといえば、たとえばキジムナーは、樹木の精霊であるという描かれ方は由緒正しいのだが、大人の男性として登場するあたり、どちらかといえば、子どものほうが合っているので違和感を持つように、これが事実であるという出し方をしていない。方言は琉球の方言なのだが、実際に使われていた以上に、台詞を全て方言化しているのが感じられる。もっとも、耳を澄ますようにしなくても、麻薬のように淫豚草が出てきたり、アメリカの高等弁務官が豚と血液交換をしたり、ウンタマギルーは空を飛ぶところになるとさすがにこれはフィクションだと分かるし、これはフィクションだとあらかじめ分かることのほうが多い。けれど、事実と架空をないまぜにして、というより、事実として受け止められているかもしれない事象を使いながら架空化していくことによって、現実なのか架空なのかがよく分からなくなってくる。現実の重力場を失っていない架空というか、ぼくたちはフィクションだと思いながらも、ではどこまでが現実かを言い当てようとすると覚束ない。そんな映像なのだ。
映画『めがね』には、使うにしても闘うにしても、その前提となるようなイメージは何もない。では、荻上は、島の自然と事物を淡々と描いたかといえばそうではない。肌理の細やかな真っ白い砂浜と汀に寄せるさざ波と潮風と砂糖きび畑などは、島の自然に全面的に依拠していたが、携帯電話が通じなかったり、メルシー体操という架空の体操を踊ったり、物々交換をしていたりと、事実ではない要素が盛り込まれていた(もっとも島の習慣としての物々交換はあるけれど)。
映画『めがね』でも架空化という手続きを踏むのだが、それはこんな場所があったらいいという観る者の願望に添って編み上げられていた。一方、映画『ウンタマギルー』では、観る者は居心地悪く、不安になるように架空化が施されていた。『ウンタマギルー』が「過剰」を架空化して不安にさせるとすれば、『めがね』は「空虚」を架空化して願望を喚起させていた。
「たそがれ」と「オキナワン・チルダイ」
そのような手続きを踏むことによって作者が描きたかったものは何か。それは、映画『ウンタマギルー』では、琉球の聖なるけだるさ、オキナワン・チルダイだった。オキナワン・チルダイは、柔道の巴投げが、挑みかかる相手の力と体重をこちらの力に換えるように、沖縄に抱く観る者の過剰な先入観の力をむしろ借りて、その信憑を現実か架空か分からないところへ宙吊りにして不安定化した上で、すっと、これがオキナワなのだよと全く思いもしないイメージを差し出してくる。それは言ってみれば、運玉森の地霊のもと、人間と動物、植物の境が無くなり、それらが同一化する世界だ。そこでは、豚は人間であり、親方はニライカナイの神からヤンバルクイナになることを命じられたり、キジムナーと語らうことはできたりする。ぼくたちは過剰なイメージが架空化され映画世界にのめりこむところで、“チルダイ”、けだるさのイメージを手渡されるのだ。
映画『めがね』で、『ウンタマギルー』のオキナワン・チルダイのような主題に当たるものは、「たそがれ」だった。さざ波や潮風や夕陽などの自然の時間の流れとシンクロすることで人が空間に溶け込むことだった。あるいはその憧れや予感の前に佇むことだった。『ウンタマギルー』が自然と分離しない時間を描こうとしていたとすれば、『めがね』は自然と分離しない空間を描こうとしていた、と言えるのかもしれない。ただ、荻上は架空のあらまほしき世界を描こうとしたのではない。与論島から感受されるものを描こうとすれば、携帯電話が通じないなど、空虚をさらに空虚化するように架空化して、自然とシンクロしやすくさせたのだと思える。
ただの人
映画『ウンタマギルー』は「過剰」を前提にしている。だから、方言も過剰に使われるし、沖縄の俳優も現れて、現実と架空を弄んでいる。一方の『めがね』は、「空虚」が前提だから、それを徹底するように、方言は登場しない。子どもたち以外、島の人もほとんど登場しない。本土の著名な俳優さんだけが登場する。
こんなコントラストを両映画は描くのだが、「オキナワン・チルダイ」と「たそがれ」はどこかで接点を持っている。「たそがれ」は「チルダイ」を感受するための状態であるというような関係が両者にはある。それは一通りには、『ウンタマギルー』は高嶺剛という沖縄の出身者が内在的に沖縄を描こうとしているのに対し、『めがね』は旅行者の荻上直子が、旅で感受した与論(奄美)を描こうとしたという差である。
ただ、その差は初期条件のようなもので、両映画の響きはどこかでシンクロする気がするのだ。映画『ウンタマギルー』は、オキナワン・チルダイこそは沖縄であると言っている。映画のラスト、ウンタマギルーは頭に矢を刺されたままイノー(礁湖)を彷徨うように、沖縄(人)はオキナワン・チルダイを無くし苦悩している姿が描かれるけれど、それこそは沖縄を沖縄たらしめてきたというイメージはしっかり伝わってくる。
ところでオキナワン・チルダイとは、動物と植物と人間、精霊が等価であるような世界だ。それなら、そこでいう沖縄とは何だろう。そこまでいけば、実はそれは普遍的な概念で、沖縄は固有の差異を主張するよりは人類的な母胎に溶けてしまう。そこで仮に沖縄人とは何かとアイデンティティを問おうとすれば、むしろ、いや何者でもない。ただの人なのだという回答がやってくる気がする。
止まったような時間のなかで、携帯も通じず、ということは、自分が役割のなかに固定化されることもなく、やがて自然と同一化する『めがね』の世界も、同じような場所にあるのではないだろうか。そこで、アイデンティティを問おうとしても、そんなことはいいじゃないですか、と登場人物に返されそうである。ここでも、人は、ただの人です、と答えるのではないだろうか。
過剰と空虚。沖縄と奄美はこのように対極的なのだが、こうしたコントラストのなかで与論映画としての『めがね』を位置づけてみると、「空虚」、何もなさを媒介に、人をただの人に誘うという意味で、それは奄美も同じである。ここからぼくたちは、『めがね』を奄美映画として位置づけることもできるのではないだろうか。
旅人が描いた奄美映画である『めがね』を頼りに、では奄美人として奄美人とは何かを問うてみよう。すると、琉球がやってくれば琉球人になる、もうそうではないと言われればそうではないとみなす、日本人になれと言われれば日本人になる。それはただの人という基底がありありとあるからできるのだ。そう奄美人は答えるのではないだろうか。
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