『海と島の思想』を辿って
『海と島の思想』 を頼りに、
琉球弧を、身体感覚に染み込ませたいと思った。
自分が実際に辿るのがいちばんに違いないのだが、
それはいつのことやら、おぼつかない。
だから、実際に島歩きをした人の記述を辿って、
琉球弧の島の息吹を追体験してみたかったのだ。
この本を辿って、おぼろげながらに琉球弧像がつかめるようだった。
○ ○ ○
ただ、正直に言えば、この本は少々、難儀だった。
はじめ、ぼくは、親近感から本書の順番ではなく、
奄美の島々から辿ってみたのだけれど、
なんとなく物足りなかった。
けれどそれは沖縄のことを書く人がしばしばそうであるように、
奄美になる途端に関心が低くなってしまうアレかと思ったが、
読み進めるうちにそうではないと分かった。
なぜだろうと考えて思ったことは、
媒介が見つからないということだった。
たとえば、ここには沖縄の神女や巫女さんの発言がよく出てくる。
富士山で他の宗教の巫女さんが、
アマミキヨという神霊が一緒に行くと言っているが
アマミキヨとは誰だろうということを、言ったりする。
その言葉が、生のまま記述されるので、
どう受け止めたらいいのか分からなかった。
憑依的な発言は信頼できないと言いたいわけではない。
ただ、それを受け取るには、どう理解すればいいのかという
媒介が必要な気がする。
これは、野本さん自身のことでもそうだった。
野本さんは霊感があるのだと思う。
随所で、たとえば、ここで塩を買ったほうがいい気がした、
というような、気配を察知する記述が出てくる。
これにしても、野本さんの感じたこと行動がそのまま、
ただ、書かれているので、どう受け止めていいのか、困った。
また、地元の資料や伝承も、そのまま記述している。
というか、それをどう受け止めるかという野本さんの考えが知りたい。
地元の資料や伝承がそのまま事実のように
受け止められているように見えるので、戸惑うのだ。
野本さんが琉球弧を渡った時期は、9.11以降の、
混迷の新しい世紀に入ってからだ。
そこで、野本さんは戦争に抗するように、
沖縄に意義を見いだしていくのだが、
どうアメリカの戦争が批判されなければならないのか、
どう沖縄は抗することができるのか、を書くのかと思いきや、
無媒介に、「生命」、「平和」が主張されるので、
ここでも、具体的な考えが知りたくなった。
こうして、媒介の言葉が読むほどにほしくなるのだった。
ぼくは、あまりにひっかかるものがないので、
島々の事実や文献を調べるようにしか読み進めることができず、
難渋した。
その意味では、ぼくはこの本のよき案内役ではなかったと思う。
これは申し訳ないことだ。
○ ○ ○
ぼくは読み進めるために、
琉球弧の地理と歴史のテキストを読んでいるのだと思うことにした。
沖縄県の人は、沖縄の歴史を学ぶことはあるのだろう。
ぼくは、与論の歴史も奄美の歴史も教わったことはない。
鹿児島県の歴史ならあるが、
それは、遠い世界のこと自分とは関係ないことのように思えた。
そのせいか、日本史でさえも、
世界史のひとつのようにしか感じることができなかった。
ぼくは、「与論島の地理と歴史」を辿りたいと思う者だ。
だから、その前段で、琉球弧のそれを読んでいる、と思うことにした。
そういう力弱い読みになってしまったことはお詫びしたい。
ここで得られた琉球弧の身体感覚を礎のひとつに、
神女の言葉と現在をつなぎ、
地霊的な琉球弧の力を表現したい。
そして、琉球弧の民俗的な理解を更新し、
それらが日本や世界に対して持つ意味を
少しずつ言葉にしていきたい。
本当は、屋久島の節もあるのだが、
黒潮の形成した琉球弧からはお隣さんだということを言い訳にして、
『海と島の思想』(野本三吉) を辿る道行きは
これにて完了とします。
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