カテゴリー「16.奄美考」の74件の記事

2009/12/19

「Horizon」vol.30

 「Horizon」vol.30 が手元に届く。

 「奄美諸島・歴史入門」がある。これは豊かな達成だ。解説の他、市來美穂さんのイラストがすごくいい。

 ここからぼくの課題を受け取れば、与論の歴史入門は与論の人でやらなければならない、ということ。
 
 もうひとつは、ここにぼくが付け加えたいのは、奄美の精神史、とりわけ知りたいということでいえば、奄美の精神の考古学だ。それがなければ、ぼく自身に、奄美に触れた気がしない。


Horizon1_2

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2009/10/21

「南の島の先生 命がけの密航記」

 色んな人から教えられて、NHKの「南の島の先生 命がけの密航記」を観た。

 「南の島の先生 命がけの密航記~教え方を求めて3000キロ」

 奄美が戦後、米軍統治下に置かれたため、日本あるいは本土が彼岸と化し、獲得すべき世界と化したさまが伝えられていた。しかし、琉球から薩摩への支配者交替は単色に語られ、教育への渇望が本土復帰への流れを生んだと語られる。これは事態の矮小化とは言えないまでも、窮屈な部分的な理解には違いない。奄美が復帰に躍起になったのは、米軍統治のせいばかりではない。そのせい、はごく一部だ。この、断片的な番組化は残念なところだ。

 復帰を導いたとされた教育熱は、二ヶ月半の本土滞在と金十丸(かなとまる)での往復による二人の教師の密航に媒介される。この番組も「密航」をテーマとはしているのではあった。ここでも欲を言えば、密航、密貿易は番組でもそう言われたように、闇夜に紛れて漁船で決行されることが多かった。それは命がけの行為に違いなかったが、そこには解放感もあったこと。そして、教科書を持ち帰るといういかにもな動機だけでなく、商売のためのという動機もあった。その、密航の実相を伝えてほしかった。

 終わり近く、教師が教育の目的として、「どこへ行っても奄美出身者と言えることに尽きる」と語った。この言葉の意味を、奄美を知らない人は少し奇異に聞きこそすれ正確な意味はつかめないのではないだろうか。このひと言だけはことの真相を問わず語りに伝えていたと思う。


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2009/10/05

「奄美 の人々は薩摩の船に乗っていた場合と琉球の船に乗った場合とで服装や風体を変えていた」

 弓削政己の「冊封体制下の島民と交易」と題した講演(「南海日日新聞」2009/09/27)。

 県立奄美図書館生涯学習講座「あまみならでは学舎」は26日、6時間日の授業があり、弓削政己氏(奄美郷土研究会)が「冊封体制下の島民と交易」と題して講演した。弓削氏は漂流、漂着に着目。「奄美の人々は薩摩の船に乗っていた場合と琉球の船に乗った場合とで服装や風体を変えていた」と指摘し、薩摩側だけではない、琉球や中国との関係も視野に入れた近世奄美の歴史観構築を提唱した。

 薩摩直轄支配化において、見えない関係が見える瞬間があった。それが漂着だった。ぼくは、『奄美自立論』で見えない関係を二重の疎外という構造で考えたけれど、その内実がよく分かるのが漂着時なのだ。

 冊封体制とは中国との朝貢関係を指す。薩摩藩(鹿児島藩)は朝貢貿易の利益を確保するため、実際は直轄支配していた奄美の島々を対外的には琉球国とした。服装などを大和的にすることを禁じた。これを「琉球国之内」政策という。
 弓削氏は今回、東京大学本居宣長文庫所蔵の「文化十二年中山国大嶋漂流人一件」を奄美で初めて紹介した。史料は1815年5月、西聞切(瀬戸内町)の住民が三重県に漂着した際の記録。
 住民の呼称に「琉球領分ノ嶋人」「サツマ大嶋」「中山国(琉球)大嶋」との記述があり、当時の奄美島しょが置かれた位置が把握できる。このほか、積荷に材木や芭蕉布、鉄砲があったことが記述されている。
 弓削氏は「船は喜界島との交易の途中、漂流した」と指摘。喜界島へ砂糖樽を作るための材木を運び、農耕のための革界属を購入する。しかも、船は奄美に漂着した船だった。「(奄美側に)漂着した船を買う財力、修理して使う技術力があった」

 「奄美は琉球ではない、大和でもない」という二重の疎外は、薩摩の琉球支配を中国に秘匿しただけでなく、薩摩の奄美直接支配を幕府に対しても秘匿したことを発生源にしている。そして漂着が、見えない関係が露呈する瞬間であったとしたら、日本国内において漂着した場合、何が起きたのかという点は非常に気になる。日本内においてこそ直接支配は露呈してはならなかったはずだから、奄美は琉球として振る舞ったはずである。

 そこで、「住民の呼称に「琉球領分ノ嶋人」「サツマ大嶋」「中山国(琉球)大嶋」との記述」のそれぞれの文脈が重要である。「琉球領分ノ嶋人」、「中山国(琉球)大嶋」は分かるが、「サツマ大嶋」はどんな文脈で語られているのか。

 さらに、沖永良部の代官が帰鹿の途中、漂流し、朝鮮に流れ着いた事例も取り上げた。船に乗っていた沖永良部の住民は大和風に名前を変え、髪も大和風にした。琉球の船に乗って漂着した場合は大和の貨幣などは海中に捨て、「琉球の船です。貢ぎ物を持っていく途中」と説明した。
 弓削氏は「冊封体制は薩摩と琉球の利益が合致した。差別と受け取られがちだが、奄美の歴史を総括する上で重要な視点」と問題損起した。

 二重否定されている存在が、その否定を隠ぺいするように強いられた。それが奄美の失語を生んだのだ、とぼくは思う。


 Nankai0927

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2009/10/04

世間は狭く、深い

 四家さんのお誘いで、media exprimo のシンポジウムに出かけた。会場で水島さんを紹介してもらう。水島さんは、インターネットの初期の時代から、活躍を耳にしていたのでお名前は存じ上げていたが、話し始めてみると、水島さんのお父上が徳之島出身だと分かって、一気に身近な人に(笑)。その場で、「奄美と沖縄をつなぐ」イベントのチラシをお渡しした。水島さんは、カルチュラル・タイフーンでご一緒した『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』の酒井さんとも交流があると知り、ますますびっくり。世間は狭く、深い。

 後半参加のため、前半は聞けていないのだが、シンポジウムは小川さんの話が興味深かった。小さな齟齬の芽を持っている人、あるいはそれに気づいていない人がそれをどう表現していくかという課題に、物語をつくるという方法で応えていた。齟齬を自覚して主張しても相手に伝わるとは限らない。でも物語だったら、共感し共有できるということだ。ぼくは奄美には、奄美のための物語が必要だと感じているから、その方法化という問題意識に惹き込まれた。研究成果を詳しく知りたいと思う。

 ハートランドビールを味わった懇親会では、沖縄出身の編集者、仲里さんを紹介される。「『情報があふれかえる社会』から『表現が編みあがる社会』へ」というフレーズの中身が気になって参加したつもりだが、琉球縁が広がるという不思議な展開で、愉しいひと時だった

 ExprimoKeitaitrail

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2009/09/26

「奄美が食い物にされている現状を県当局が見て見ぬふりをする」

 奄美の建設業者の告発により、元請けの共同企業体、JVの不正が明らかになった。

 JVが手抜き工事指示、鹿児島県が指名停止 瀬戸内・勝浦トンネル

 鹿児島県発注のトンネル建設工事に絡み、元請けの共同企業体(JV)がトンネル崩落防止用の鋼鉄柱を無断で切断、県から指名停止処分を受けていたことが24日、分かった。JV側が地元の下請け業者に切断を指示していた。

 この記事自体、あまみ便りblogの「奄振の陰」で知った。水間さんは、紙面に続く記事も引用してくれている(全文は「奄振の陰」で読んでください)。

 奄美群島の複数の建設業関係者によると、大手による「地元いじめ」は後を絶たない。
 下請け間の請負工事や資機材使用は、元請けや1次下請けがピラミッドの頂点に位置して差配。末端業者は元請けの意向として、県積算の半値ほどで請け負いを「強要」されることも多い。この差額が元請け周辺に”配分”されるという。
 また、元請けと親密な関係にある関東や関西の会社を潤わせるため、直接仕事に関わる地元業者との間にこれらの会社を割り込ませ、中間マージンを引き抜くこともある。多くの業者が「奄美に回ってくる利益はスズメの涙ほど」と嘆く。
 拒否するのは可能だが、「次に仕事がもらえない」「赤字でも人や機材を余らせるよりはまし」と、多くの業者が受け入れている。

 よく告発したと思う。そして南日本新聞はよく詳細な記事にしてくれたと思う。

 この「いじめ」にあっているとされる、建設業者すら、地元では、政治-経済の強者である。これらの記事が正確であるとしたら、内部で無力感とともに語られてきたことが、珍しく明るみになった例ではないだろうか、

 そんな滅多にないことが起こったのなら、奄振のいじめの構図にとどまるだけでなく、奄振の在り方そのものを見返す契機になってほしい。


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2009/09/16

「坦晋の日記三部作-琉球・薩摩を生きた島役人の記録」

 先田光演が、沖永良部の島役人、坦晋(たんしん)(1800-61)の残した日記などを解読したという記事。

 西郷、書の師匠は島役人!? 沖永良部島 流罪中に学ぶ

坦晋の日記は、「渡琉日記」や鹿児島に上った時の「上国日記」など3冊が現存する。先田さんは原文を解読し、5月に「坦晋の日記三部作‐琉球・薩摩を生きた島役人の記録」(A4判、66ページ)としてまとめた。

 ん~、やはりこれは読みたい。

 先田さんは「三部作」の中で、西郷が坦勁にあてた漢書の借用書2通を紹介しながら、「西郷が借りたのは、坦晋が琉球で買い求めた漢書の蔵書だった」と記す。

 また、操家に残る坦晋の書についても触れ、「肉太で力強い坦晋の書体は、西郷の書体と似ている。西郷は坦晋の書や蔵書を手本に書を学んだのではないか」と考察している。

 先田は、島の名誉を獲得するのに、何がなんでもというところがあるが、どうせやるなら、西郷隆盛の遠島は帰省だったという視点を持ち込んだら面白いと思う。あの風貌を島で見かけたら、ぼくたちはふつうに島の人だと思うのではないだろうか。


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2009/08/31

200Q年入りか

 村上春樹レトリックのもてあそびになっちゃうが、なんかゆうべから今日にかけて、2009年から200Q年になった気がする。どこか非現実的で。実質、生まれて初めての出来事だからリアリティが湧きにくいのかもしれない。


 鳩山、管、岡田を見ていると、細川を思い出す。殿様坊ちゃんの雰囲気ではなく、素人っぽさが。政権交代は、老練な玄人から素人っぽさへの移行にも見える。鳩山兄弟は象徴的かもしれない。弟の方が、老練な玄人的顔つきだ。もっとも兄は素人っぽいというより宇宙人ぽい。ただ、ゆうべの表情は人間らしかった。


 ぼくのここ数年の経験からは、ある意味で、ゲームとライフの対比のようにも見えた。長崎が象徴的だったと思う。「原爆投下はしょうがない」というゲーム感覚と、文字通り、命としてのライフ感覚と。もともとは資本主義ゲームと生活(ライフ)という意味で発想しているのだが。


 郵政民営化と脱官僚主導は、公務員存在縮小の流れとして見ると、連綿としていると言えるだろうか。


 麻生は、漢字が読めなくて英語が話せる初めて(たぶん)の総理大臣だった。石原は、漢字の読めないことを「致命的」と言った。でも、漢字が読めなくて英語が話せるのは、グローバリズムを体現していたかもしれない。


 奄美は自民か民主、ではなく、徳田、だったと思う。小沢かな、個人本位から政党本位の選択へと言っていたと思うが、奄美はまだそういうわけにいかない。誰がいいのか、が基準なのだ。奄美だけ、200Q年に入らず、2009年に止まるみたいだ。それは現実を失わないということかもしれない。あ、でもこれは言葉遊び。いけませんね。
 谷山にいる母は選挙の前日だったかな、「しまんちゅの会」に参加してきたと言っていた。政党ではなく誰に、という気持ちになるのは分からないではないと思った。

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2009/08/28

『月桃夜』選評にみる「奄美」

 遠田潤子の「月桃夜」の日本ファンタジーノベル大賞受賞はとても嬉しい知らせだったが、新潮社のサイトにその選評が載っている。

 第二十一回日本ファンタジーノベル大賞 選評

 作品の中身ではなく、選考委員たちに奄美がどう捉えられているかを見たい。


 荒俣宏

ストレートなロマンに分類した『月桃夜』は、ひさびさに重厚な奇談であり、これまでまともに取り上げられなかった奄美大島の歴史と人倫を興味ぶかく語りつくす。奄美の歴史は、運命の隙間を泳ぎ渡るしたたかさを持っていた沖縄と異なり、一方的な屈従の連続だった。そのなかで愛が成就されるとしたら、どういう苦闘が生じるかを、説得力ある筆で描く。

 「これまでまともに取り上げられなかった奄美大島の歴史と人倫」というのは博学の賜物だろうか。したたかな沖縄と一方的な屈従の連続の奄美という対比も的確だ。「したたかさ」には、奄美以上の規模と本土からの距離が寄与しているのではあるが。


 井上ひさし

 評者にはという注釈がつくが、今回の白眉は、『月桃夜』(遠田潤子)だった。奄美大島のはるか沖合を、カヤックで漂流する女性の前に大鷲が現われて、いきなりこう口をきく、「俺には屍肉を喰らう趣味はない」と。なんと大胆で巧みな導入だろう。大鷲が語るのは、二百年前の奄美の悲惨な階級社会であり、最下層の少年奴隷の苛酷な毎日である。その少年が一人の少女を守りながら、他人と自分を愛することを発見し、たまたま習った囲碁を唯一の武器に、この階級社会を一気に駆け登ろうとする。いたるところ名文句で飾られた文章は歯切れよく、律動的に物語を展開してゆく。もちろんその底に膨大な勉強量が隠されているのだが、なによりも、漂流の一夜と、「この世のおわりにまた会おう」という気が遠くなりそうな未来を、一編のうちに結びつけた雄大な構想がすばらしい。これこそ値打ち物の小説だ。

 「二百年前の奄美の悲惨な階級社会であり、最下層の少年奴隷の苛酷な毎日」とうのは、評者の認識というより作品の要約として書いていると思える。


 小谷真理

ひときわぬきんでていたのは、遠田潤子『月桃夜』。なんといっても大きな魅力は、江戸末期、薩摩の圧政に苦しむ奄美大島のライフスタイルが生々しく書かれていること。禁断の恋愛小説としても読み応え充分。兄妹の愛情関係は、現代の少女マンガの蓄積をすら凌駕するかなり緻密な掘り下げ方で、圧倒的。本当の兄妹ではないので、なにをそこまで気にするのだろう、と読者は思うかもしれないが、その思いこみこそ、彼らを奄美の階級制に縛り付けているものと同等であるから、むしろ重要なのである。奄美由来の兄妹婚姻に関するフォークロアの奥深さを浮かびあがらせる配慮にも、感嘆した。

 「薩摩の圧政に苦しむ奄美大島のライフスタイル」も、作品から汲み取られたものだ。


 椎名誠

『月桃夜』は二百年前の奄美大島を舞台にした堂々たる幻想的歴史小説である。ぼくの知っているかぎり、これまでこれほど綿密にこの島を舞台にして小説が語られたことはなかったように思う。作者はてっきり奄美の人かと思ったがそうではないらしい。
 琉球(沖縄)と薩摩(九州)に挟まれて奄美は存在感の薄い島だった。文化が曖昧だった。どちらかというとおとなしく暗いイメージもあった。この小説が世にでることによって、奄美のあたらしい別な魅力がひらかれればいいな、と思う。
 椎名誠にいたって、作品評を離れ、奄美に言葉が届けられている。「存在感の薄い」「どちらかというとおとなしく暗い」奄美に「あたらしい別な魅力が」ひらかれますように。


 鈴木光司

カヤックで奄美の海に漕ぎ出した現代の少女に、鷲が、過去の物語を語り始める『月桃夜』の冒頭部分は、詩的で美しく、目に浮かぶ情景は印象的だ。江戸時代、薩摩藩から弾圧された奄美大島を舞台に繰り広げられる兄妹の悲劇と、現在との関わりが明確になれば、さらに完成度は増す。

 これも作品評。「現在との関わり」は別の意味でぼくたちが気にしているところだ。


 荒俣さん、椎名さんの奄美認識(奄美に対して認識があるということ)が、嬉しいですね。


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2009/07/18

距離の極大と配慮の極小

 最近は知らぬ間に始まり知らぬ間に終わっている高校野球大会だったけど、今回は昔、応援していたときのように熱くなった。徳之島が鹿実に勝ったというのだから。

 昨夏代表の鹿児島実、初戦で徳之島に敗れる 延長13回

 サヨナラのヒットを放ったのは喜山君。自分の親戚以外にこの苗字を見たことがないので、驚き。パラジなのかそうではないのか。たぶん違うんだろうけど、いいや、ここはパラジ気分で、でかしたと、記事越しに声をかけた。

 でも、よかったよかったというばかりではなかった。勝てば費用がかさむ、しかも今年は皆既日食という事情が重なった。

 悩ましい快進撃 鹿児島・喜界高、勝ったら島に帰れない

 結局、負けたから杞憂に終わるわけだけど、世界への距離が負荷としてのしかかるのは離れ島のこれまでの宿命だ。

 しかし、それだけでもない。中学総体は、日食の日をはさんで行われてしまう。

 離島選手ら観測ピンチ 鹿県中学総体、日程重なる

 これは、「奄美の家」の圓山さんも「県知事さん、お願いしますよ!」と訴えて、あまみ便りblogさんも「これだけ盛り上げといて・・・(7/22県中学総体)」と、声を挙げていた。

 記事によれば、声は届かず、「日食当日は、試合を中断して、部分日食でも体験できるように配慮したい」ということなのだが、トカラ、奄美にしてみれば、世界が果てにあるのではなく、世界がここにやってくるまたとない機会だった。総体に出る子どもたちにしてみれば、世界はここでもずれてしまう。世界への距離が極大なのに配慮は極小というのは、奄美的状況なのだ。

 本土で見る部分日食を、心のバネにしてほしいと思う。


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2009/07/17

「皆既日食への対応と奄美の可能性」

 平田隆義(奄美市長)と奥篤次(あまみ商工会長 ばしゃ山村代表)の対談(「南海日日新聞」2009/07/01)。

 (奥)石垣島へ行った時、バスの運転手さんがガイドをしていたんですね。そのガイドが非常に面白いんです。「私は話しがうまいでしょう。実はPTA会長を長年してるんです、それで話しもうまくなったんです、どうですか」って言う。みんな拍手するわけです。都会では予想も出来ないようも島の生活をそのまま話すんです。それが面白くす面白くて、バスの中の全然関係ない人たちがみんなもうげらげら笑うわけです。沖縄の島々ではそういう面白い人たちがぴんどん育っているんですね。とても大事なことです。面白おかしい文化を表現してますよね、沖縄の人たちは。しかもその人たちがリーダーなんですね。

 奄美は残念ながら面白いリーダーたちがいないわけですよ。奄美は真南目なことを言う人がリーダーになれるんですが、これは地域に合ってないんですよ、武士文化みたいなところがあってね。名瀬であった「ヤンバル交流会」でも、沖縄の首長はみんなお国自慢してずっこけているんですね。面白くておかしい。これに対し、奄美の首長のみなさんのあいさつはみんな堅くて立派なんです。対照的でした。旧名瀬市は沖縄に市の職員を送っていましたね、私は拍手喝采していました。向こうに送った人たちがリーダーになってきたら奄美は面白くなってくると息うんです。

 沖縄のリーダーは面白く、奄美のリーダーは真面目。これは実感的によく分かる。思い出せば、しかめっ面が多い。ぼくはこれは、薩摩侵略以降、薩摩武士団の「こわばりの論理」を輸入し「おおらかさの論理」を追いやった結果だと思っている。ぼくたちは、こわばってしまったのだ。それが「武士文化」などもともと無いにもかかわらず、それめく根拠である。

 実は市役所の中にも面白い、すごい人たちがいっぱいいます。その人たちを引き出し、応援してほしいですね。島の人の面白おかしさはすごい観光資源であると私は思うんです。れを引き出す何か方法ないかと思いますね。皆既日食の交通整理でも観光のお客さんたちとは面白おかしく話したりし話したりしながらやっていただきたいですね。

 そう。しかし面白い人はいっぱいいる。ぼくも、与論ガイドになればいいのにとすぐに思い浮かべる人が何人もいるが、こぞって面白い人々である。

 (奥)奄振もインフラ整備のための時限立法から、原点に返って地元の豊かさになるよう思い切って変える。例えば(整備予算の)半分が島の豊かさのために使えるのであればその方が島にとっての効果は絶大だと息うんです。航空運賃への転換も私たちは何回も育ってきましたが、法律が、県が、国が、という話で止まっていました。それが今度は動き出しました。だからやれば出来るんですよ。奄振自体も思い切って方向転換して、(企画立案も)県庁に置くのではなく大島支庁にテーブルを持ってきて支庁を中心にやるべきだと思います。それぐらいの思い切った方向転換をしないと島は良くなりませんよ。

 これも奥の発言だが、地元でも「奄振自体も思い切って方向転換して、(企画立案も)県庁に置くのではなく大島支庁にテーブルを持ってきて支庁を中心にやるべきだと思います」という声があるなら、ぜひそうしたらいいのではないかと思う。支庁の役人が誰なのかは知らないのだけれど。奄美が奄美のために企画することが大事だと思う。

-那覇-奄美間の復活という話もありますね。
(平田)商工会議所のみなさんが一生懸命やってくれていますね。JTA(日本トランスオーシャ航空)も乗り気なようですね。以前、奄美・沖縄の交流シンポジウムでも「沖縄が観光客を増やすオプションは八重山、石垣、周辺の離島だけではとてもまかないきれない。奄美がある」と理解を示していました。琉球エアーコミューターが就航した時も沖縄の人が理解を示していただいてからですが、なかなか行政区域もあって難しいところがあります。

 (奥)沖縄と合併した方がいいんじゃないですか。
 (平田)別行動したらこれがまた大変なんですぬ。だから文化とかで交流をしていく。(沖縄とは)何となく肌が合いますからね。一度、福岡から人が来て「ところで道州制の話があるけど奄美は沖縄と一緒になるんですか」と言ってきました。「いやそれはないんじゃないですか。物とエネルギーがいるんですよ」と話しておきました。やっぱり交流をどうするかがポイントになると思います。難しい話ですね。沖縄からすれば奄美もやっぱり離島ですからね。

 政治家的おとぼけ発言に思えるのだが、「(沖縄とは)何となく肌が合いますからね」の、「何となく」とは一体何何のだろう。奄美市長はこの程度の認識なのだろうか。これを読むと、道州制で奄美が沖縄(州)にならないのは、「物とエネルギー」を北から持ってこなきゃいけないからという風に聞こえるが、本当だろうか。

(奥)沖永良部と与論は沖縄文化で、沖縄の北部につながる島々ですね。観光スポットとしては同じエリアなわけです。今はもうどこもアイデア詰まりですから、・沖縄観光も島を増やすしかない。沖縄との観光交流について話し合う機会をつくり、適宜やっていただきたいと思います。私は今後やらないといかんのは交流事業だと思うんです。「出会い文化」ですから交流事業を他の地域よりも盛んにやることだと思うんです。航空会計も組んで少し補助も出して。姉妹盟約とかもどんどん進めていく島の人は人が大好きです、人が来るというのが好きですから、交流は観光の一つの柱になってくると思います。

 「沖永良部と与論は沖縄文化」というなら、それ以外の奄美は何文化なのだろうか? 奄美のリーダーなら、「沖永良部と与論は沖縄文化」などという表層理解はもう卒業してほしい。表層を見ても、沖永良部にも与論にも非沖縄的なものがあり、深層に行けば、奄美大島や喜界島だって沖縄的なものがある。こういう言い方が、奄美の内部にも疎外を生み、交流を阻害する要因であると認識してほしい。それこそ、「島の人は人が大好きです」は共通しているのだから。


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