父が亡くなってから、昼と夜の二回、アンマー(お袋)に電話するようになって、それがいまだに続いている。父がいた頃は、年に一度か二度、電話すればいいほうで、下手したら誕生日だって忘れてしまっているくらいの親不孝ぶりだったから、それに比べると、365倍も話していることになる、かな。
近くに弟家族はいるものの一人暮らしで、父が亡くなった後の落胆ぶりが心配で、電話するようになった。定期的にかけていると、アンマーが出かけているときにはつながらない。パラジ(親戚)の家で長居すると、それを知らないぼくは少し心配になることがあって、それをきっかけに携帯電話を持つようになった。
そういう文明の利器を持つようになると、最初、誰から着信したのかが分からず、日中、電話をかけてきては、「今、電話した?」とかいうすっとんきょーな会話も生まれたけれど、孫に教えられたり、また孫とも話がしたりしたいという気持ちが手伝って、いつの間にか、メールもするようになった。携帯電話など生涯、無縁なそぶりで、テレビでインターネットが話題になると、父と二人、「わったい(わたしたち)は化石だね」と言って笑いあっていたというが、その当人が一年も経たないうちに、携帯を持ってメールもする今どきの人になっていった。こういうの見ると、人はいかようにも変わるなぁと改めて思う。
アンマー(お袋)とは仲が悪いわけではないけれど、会うとイッコイ(喧嘩)になるのが常だった。だから、電話を頻繁にするようになってみると、案の定、イッコイになってしまう。電話したばかりに疲れて終わることも出てくる始末だった。
けれど面白いもので、定期的に続けていると、そうした会話の流れが少しずつ変化するようになってきた。ここはあまり責めちゃいけない、ここは別のところから見てあげればいい。なんかそんなこんなを続けていくうちに、根絶はできないけれど、イッコイの頻度はとても減ってきた思う。
アンマーはだいぶ元気になってきた。ぼくに、「もうそんなにしょっちゅうかけなくてもいいよ」と言ってくれることもある。我ながらそうしてもよいとも思うのだけれど、いまは止められないでいる。結局のところ、アンマーのケアのためにかけているつもりが、なんのことはない自分が寂しいからだ。恥ずかしながら、この年齢になって初めて、寂しいことの何たるかが身に沁みるようになった気がする。
それに元気になったとはいえ、泣き虫アンマーも変わらない。二階にあがったら親父のにおいがしたといっては泣き、親父が亡くなったとき、なんで通夜告別式ができるくらいでいられたんだろうと言っては泣きしている。
泣くがいいと、思う。
ガシドゥクラサリュール。
とぼくは言う。「そんな風にしか暮らせないよ」。直訳するとこんな感じだろうか。でもぼくはネガティブなつもりで言っているのではなく、もっと肯定的に、「そんな風に暮らすものだよ」と、そんなつもりで言っている。アンマーも、ガシ、と答える。本当はこのユンヌフトゥバ(与論言葉)が合っているかどうか、自信は無いのだが、最近、この言葉をよくつぶやいている。
アンマーと和解しているようなこんな会話も、アチャ(親父)の置き土産だろうか。
トオトゥドォ、アチャ。
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