2008/07/06

奄美からこそ、ヤポネシアは生まれた

 奄美は、シマ(島)が主役の島嶼帯であるとしたら、島尾敏雄のヤポネシアは、島尾が奄美に住んだからこそ生まれたのだと思う。大和では個々の島が主役だという実感はもう得られない。また、沖縄にはシマ(島)が主役という原質は残っているが、那覇を核にした都市化により、奄美ほどには感じられなかっただろう。ヤポネシア・コンセプトの発生源は、奄美なのだ。

 ヤポネシアという発想は、「ネシア」が「島としての地域」という意味を持つように、島の大小に関係なく、個々の島が等しい価値を持つという視線に支えられている。この理念に最も適っているのは、奄美の島々である。そういうより、奄美がそういう島々だから、ヤポネシアは奄美で生まれたのだ。

 
 ※ユンヌヤユンヌデール
  シマが主役!奄美です。


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2008/07/05

東京のフォークソング

 ゆうべは、「奄美の家」で弟の誕生祝い。もうすっかり奄美の家の常連さんかもしれない。
 何度も通っていると、ここに来ると会える顔があるのが分かってきた。最近だと、与論に20年通って、例年通り、サンゴ祭りのときに今年も行くという勝司さんもそのおひとり。

 ゆうべの勝司さんの小噺二つ。

 ひとつ。与論で台風のあと、おじいさんに「台風、家が壊れたりするから大変すよねぇ」と話したら、おじいさん。「大工さんはどうするの。台風が来るから大工さんも仕事ができるわけだがね」。勝司さんは思う。そ、その通り。いや、負けたね。

 ふたつ。スーパーで屋久島の水を買ったときのこと。おばあさんが、「水、買うの?」、「ええ、屋久島の水」、「ほんとに屋久島の水? そこで蛇口ひねって出したんじゃないの?」。勝司さんは思う。そ、そうかも。負けた。

 いやあ、いかにもゆんぬらしい話でいちゃれました。


 それから、「マルス エイ ソル」の杉村さんとビートルズとサイモン&ガーファンクル談義もさせてもらった。杉村さん曰く。東京に住んでいるのに東京が嫌いなのは悲しい。東京人が東京を好きになるには、東京のフォークソングが必要なんだ。ぼくははっとさせられた。で、サイモン&ガーファンクルは、ニューヨークのフォークソングなんだとお聞きして、さらにびっくり。そうか、S&Gの音楽はそういう意味があったのか、と気づかされた。

 というわけで今日は、サイモン&ガーファンクルを聞き直した。いままでとは全く違った風に聞こえてくる。ぼくも、東京のフォークソングを待ちわびる気持ちだ。ますます、事態は厳しくなっているのだけれど。


 あ、主役のマイ・ブラザーは元気そうで、ひとまずほっとした。



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シマが主役!奄美です。

 奄美の島々は、シマ(島)が世界であり宇宙であるという世界認識の原型を持ってきた。だから、「奄美」という抽象は育ちにくい。強いて言うなら、シマ(島)以上の抽象を許さない地域が「奄美」なのだ。広告コピーのようにすれば、

 シマ(島)が主役!奄美です。

 である。シマ(島)が豊穣な世界を持っているから、薩摩藩の直接支配のなか、大型船の製造を禁じられ、島に封じ込められて、奄美間、対琉球の交通がままならなくなっても琉球弧の文化を失わなかったのである。また、シマ(島)が基底にあるから、「奄美」という共同性を構築する必然性を持たなかったのだ。

 これはアイヌも同じだったのではないだろうか。

 コタンが主役!アイヌです。

 こう、だろうか。


 これまで、奄美とは何か、まわらぬ舌で書いてきた。すぐに分かる共通性が見当たらないので、「真珠とガラパゴス」として、高島から低島までの幅で言おうとしたことがある。最後に笑え(「奄美、この懐かしき島々」)と思ったこともある。奄美が無価値ではないことは、「もしも奄美がなかったら」と考えると自明なことが分かった。アイデンティティの構造から、「琉球と大和の二重意識」と見なしたりもした。この二重性こそは奄美だと考えると、それは珊瑚礁をメタファー(「奄美とは珊瑚礁である」)にすることもできる。

 奄美をひと言で。尽きないテーマだ。



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2008/07/04

ユンヌヤユンヌデール

 奄美のことばかり書いていると、島の人から、ユンヌヤユンヌデールと言われる。

 ユンヌヤユンヌデール。

 改めて見るとおまじないの言葉みたいだが、「与論は与論である」という意味だ。こう言いたい気持ちはよく分かる。それはぼく自身の言葉でもあるからだ。

 「奄美」と言っても、それが日常的に交わされる言葉のなかで登場することはほとんどない。喜界から与論までを総称していう言葉としてぼくは使っているのだけれど、奄美が日常的に使われないのは、喜界から与論までの共同性が希薄だからだ。行政区は存在するけれど、それだって呼称は「大島郡」なのだ(そういえば、どうして奄美郡ではなくて大島郡なんだろう)、ますます「奄美」は使われない。奄美大島のことだって、「大島」と呼んでいるのだから。また、大島の人が「奄美」と言う場合も大抵は、奄美大島のことを指している。「奄美」なんて、実はないのだ。

 「奄美」と書けば、その共同性への反作用のように、「島は島だ(ユンヌヤユンヌデール)」という言葉を呼ばずにいない。そしてそれはユンヌに限ったことではなく、エラブはエラブの、トゥクはトゥクの、ユルはユルの、ウキはウキの、キキャはキキャの、ウウシマはウウシマの言い方で、「島は島だ」という言葉を引き寄せているに違いない。いや、与論はユンヌでひとまず終点と言ってよいが、与論より大きい島は、島名では大き過ぎて、シマ(集落)を最終単位にして言うはずである。

 「シマはシマだ」。そういう反作用が産まれるのはよいことだと思う。というか、それこそは奄美はだと思う。奄美は、奄美という共同性を生まなかった。しかし、島人は帰る場所を持ってきた。シマ(島)は枯渇しなかったからこそ、「シマはシマだ(島は島だ)」と言うことができる。

 「シマはシマだ(島は島だ)」。逆説的だけれど、それが基底のリアリティとしてあるのが、奄美なのだ。



 

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2008/07/03

『アイヌの世界―ヤイユーカラの森から』

 計良光範さんの『アイヌの世界』は、書名の通りアイヌの世界が、心にそっと触れるように届けられる。押し付けがましくもなく、隠れているのでもない。淡々としながらやがてしっとりと心に沁みてくるようだ。こんな風に与論のことを書けたらいいなと思った。この感じはどこからやってくるのだろう。

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 『アイヌの世界』には、99のエッセイが収められている。「春」「夏」「秋」「冬」の章があり、エッセイはそれぞれの季節のどこかに入っている。もっとも、もともとアイヌには「夏」と「冬」の概念しかなかったそうで、この春夏秋冬の区分も際立った違いは、「春夏」と「秋冬」の間にあると言ったほうがいいかもしれない。これなど、ぼくは「長い冬と短い夏」を「長い夏と短い冬」に置き換えれば、与論と同じだと思った。

 たとえば、「アイヌ文様」というエッセイ。

 冬の炉端では、男も女も手仕事に励み、その手元からは美しい文様が生み出されていきます。  アイヌ文様は木製の生活道具に彫刻されたものと、衣類などに刺しゅうされたものに分かれますが、彫刻と刺しゅう-立体と平面という特性から、デザインそのものに違いがあるのと、文様が持つ意味あいにもいくらか違いがあるようです。

(中略)

 女の人が刺しゅうして作り出していく文様は、それを身につけた人を災いや魔神(とくに病魔)から守るためのものです。
 絵や写真でアイヌの伝統的な衣装を見るとよくわかりますが、文様が入っている位置には二足のパターンがあります。襟、裾、袖口、そして背中に、大小やデザインの違いはあっても、必ず文様がほどこされています。それは、その場所が一番無防備で、魔神が侵入しやすい所なので、文様によってそれを防ぐためなのです。とくに背中は自分では見えない所ですから、文様の力でいつも守ってもらわなければなりません。背中にひときわ目立った大胆な文様が刺しゅうしてある着物が多いのはそのためです。(『アイヌの世界―ヤイユーカラの森から』(計良光範)

 こんな風に易しい言葉を使った「ですます」調で、話しかけるように書かれている。それでぼくたちは、この本の世界に構えなく入っていける。実はこの本は、「毎日中学生新聞」に連載されたもので、この易しい文体は、中学生向けに書くことを意識して選択されたものだ。

 けれどこの本は、中学生向けに書かれた易しい本と言ってしまえば、それが心にそっと触れる理由になるかといえばそうではない。書き手からしたら、中学生向けであることは連載中ずっと念頭にあるわけだが、そのために選ばれた易しい文体は、別の力も生んだように見える。

 苦難の経験はそれをどのようにすれば誰かに伝えることができるのか。そんな難しいテーマにこの本は応えているように思えた。それはどうしてだろう。易しい文体で書かれているから? そう答えてみても、それは必要条件かもしれないがとても十分にならない。抑制が効いているから? そうには違いないけれど、そんな風に言って終わらせたくない。

 この本には、アイヌの受けた受難もきちんと書かれている。胸が痛むしそれが現在の問題でもあることに気づかされる。けれどこの本から浮かび上がるアイヌ像は、巨大な受難にあえぐ姿ではなく、生き生きした姿のほうなのだ。浅い書き方しかできないのだが、それはアイヌの生き生きした姿の描写に大半の紙面を使い、まるで付録のようにおしまいにいくつかアイヌの歴史を綴っていることからやってくる。そしてこの構成が、難しい問いに応える力になっているのではないだろうか。受難について書かれた量が少ないから受け止めやすいという意味ではない。魅力が伝えられた後だからなお、受難は痛ましさとしてより純粋に読み手に受け止められる。そんな感じなのだ。

 中学生向けだから易しく書く。その制約の結果、計良さんは中学生の人生経験にも伝わるように、アイヌの世界を丁寧に子どもの目線で書いていった。そして、アイヌの歴史も中学生に分かるようにと事実を淡々と記述した。それが返って、受難の大きさを自然に伝える力になった。それは相手が中学生だからというだけではなく、経験の無い人に、苦難の経験を伝えるための条件もクリアすることになった。そんなことではないかと思った。 

◇◆◇

 ここには、「自分の心を述べる」即興歌、「ヤイサマ」がひとつ挙げられている。

私の大事な恋人が
どこか遠いところへやられた
あなたは今どこにいるのか
鳥になりたい
風になりたい
風よ 憎い風よ
お前は自由な風だから
お前だけは私の恋人の
まわりをまわり
さわっても歩けるだろうが
私は人間だから
行くことができないのだ
ヤイサマネナ
仕方ない
風にでも 鳥にでもなって
とんで行ったら
恋人にさわれるだろうか
ちょっとでも姿を見れないだろうか
ヤイサマネナ
ヤイサマネナ…………

 このヤイサマは、幕末期、労働力として強制連行された恋人を奪われた女性の想いを歌ったものだという。この詩は、同じ北の大地で生まれた中島みゆきの「この空を飛べたら」を思い出させる。

空を飛ぼうなんて 悲しい話を
いつまで考えて いるのさ
あの人が突然 戻ったらなんて
いつまで考えているのさ

暗い土の上に 叩きつけられても
こりもせずに 空を見ている
凍るような声で 別れを言われても
こりもせずに信じてる 信じてる

 あぁ人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
 こんなにも こんなにも 空が恋しい

飛べる筈のない空 みんなわかっていて
今日も走ってゆく 走ってく
戻るはずのない人 私わかっていて
今日も待っている 待っている

この空を飛べたら 冷たいあの人も
やさしくなるような 気がして
この空を飛べたら 消えた何もかもが
帰ってくるようで 走るよ

 あぁ人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
 こんなにも こんなにも 空が恋しい
 あぁ人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
 こんなにも こんなにも 空が恋しい

 「この空を飛べたら」は、ヤイサマに似ている。そういうより、「この空を飛べたら」は、ヤイサマを元歌にしているのかもしれない。「この空を飛べたら」は失恋歌だが、この曲からやってくる哀しみの大きさを想うと、ヤイサマは聞いたことがなくても、「この空を飛べたら」を通じてヤイサマを聞いたような気分になることもできるのではないかと思えた。

 こんな連想を許すのも、この本は囲いを作らず、そこに風が吹いていると感じられるからだと思う。また、表紙にある切り絵は、本のところどころにも登場して、この作品に力強い表情を加えている。人間力がやせ細ってきたのを感じたら読みたい本だ(するといつもか)。

追記
 ところでぼくは、与那国島で見た衣裳のデザインがアイヌ文様とそっくりだったのをとても興味深く思っている。あ、それから、せっかくお会いしたのに軽率な気がして、計良さんにサインをいただかず仕舞いだった。次回、ぜひにである。



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2008/07/02

「二重の疎外」、メモ

 以前、書いておいたメモ。アップロードしてなかったので、挙げておきます。

◇◆◇

 「地勢と自然と文化の同一性の親和感から琉球を向けば政治的共同性が異なると無視され、政治的共同性の同一性から薩摩を向けば地勢と自然と文化により差別される」という「二重の疎外」の表現は情念をまとっているので、それを抜き抽象度を上げよう。

 地勢と自然と文化の同一性を根拠に<琉球>を向けば
 政治的共同性の差異により疎外され、
 政治的共同性の同一性を根拠に<大和>を向けば
 地勢と自然と文化の差異により疎外される。

 ここで、<琉球>による疎外は、「無視」や「同情」として表出され、<大和(薩摩)>による疎外は、「差別」や「植民地的支配」として表出されたはずた。奄美の、琉球(沖縄)に対する断絶の強調や親和感、あるいは、大和(薩摩)に対する対立意識や、同一視あるいは支配者意識への同化など表出の態様は、それぞれの疎外のあり方への反応の態様をあらわしている。言い換えれば、現在の奄美の<琉球(沖縄)>、<大和(薩摩)>への態度の幅のなかに、疎外のあり方を推測することができる。


二重の疎外とその隠蔽は、

<大和ではない、琉球でもない。だが、大和にもなれ、琉球にもなれ>

と表現できる。

1)<大和ではない>は、反大和(薩摩)意識となって表出。反大和(薩摩)かつ親琉球(沖縄)となる場合もある。
2)<琉球でもない>は、沖縄への区別意識となって表出。
3)<大和ではない、琉球でもない>は、反薩摩かつ沖縄への区別意識となって表出
4)<大和ではない、琉球でもない。だが、大和にもなれ、琉球にもなれ>は、日本人への渇望となって表出

奄美のアイデンティティ意識は、1)~4)の幅となって現れる。

◇◆◇


 今日は弟と姪っ子の誕生日。おめでとう、かずちゃん、せんりちゃん。


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2008/07/01

ピリカのバッグ

 今日はeメールコミュニケーションのセミナーで一日立ちっ放し。足が疲れた。マネジメントスクールは代官山にあるのだけれど、いつも場違いだよなと思いつつ歩いている。でも、まわりは緑があってほっとするのだ。

 おとついは仙台だったなんて、嘘みたいだ。

ManagementschoolTopWood














 思い出してみると、去年の6月23日、ぼくは札幌への出張の最終日、アイヌ文化交流センターへ足を運び、そのまま市内のピリカ民芸店で買い物をして東京に戻った。そしてその翌日に父の危篤の報を聞いて鹿児島へ向かいそのまま父の他界を見届けた。

 そして今年、父の一年祭を終えた翌週に、今度は仙台でアイヌの歴史を直接、聞くことができた。計良さんに、ピリカのおばちゃんは近所だよと教えられて驚きながら、一年前のことを思い出した。気づいてみれば、ぼくはピリカに行ったときと同じいでたちでおり、その時買ったバッグで会場に来ていた。

 あまり整理できないけれど、なんだか不思議なありがい縁だ。

Pilica_bag


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2008/06/30

「まつろわぬ民たちの系譜」を終えて

 29日、「まつろわぬ民たちの系譜」というサブタイトルでパネル・ディスカッションに参加した。というより、参加させてもらった。

アイヌ・奄美・沖縄-まつろわぬ民たちの系譜
Ainu, Amami, Okinawa: RE-collection Of Occupied Memories

○パネラー
・計良光範氏
(アイヌの積極的自律を目的とする「ヤイユーカラの森」運営委員長。)
・田場由美雄氏
(思想史研究家、法政大学沖縄文化研究所研究員、その他多くの肩書きを持つ。首里在住。)
・前利潔氏
(沖永良部島在住。知名町中央図書館勤務。図書出版まろうど社から第一評論集『無国籍の奄美』を現在編集中。)
・喜山荘一氏
(与論島出身。与論・奄美・琉球弧から思索するブログ「与論島クオリア」を主宰。)

 ぼくは、「まつろわぬ民」という投げかけに対して、そういうより、奄美は「失語の民」というのがふさわしいのではないかと受けて、「失語」の起点である1609年をどう受け止めるのかというテーマでレジュメにあるような話をした。

 田場さんは、「失語」を受けて、沖縄をめぐる言説は氾濫しているけれど、中身は空しくなっているのではないかとおっしゃった。一方、沖縄は国家に対しては地上戦のこと、沖縄を踏み台に平和条約を結んだことなど、謝罪を求めるけれど、受け止めてくれない、なぜ、そうしないのか分からない。沖縄の内部ではそこで、もう日本はいいからと、香港や台湾や南洋の島々など近隣の地域と交流を深めはじめている。こうした中で、基地問題などのネガティブな問題は依然として存在し、それを隠蔽するかのように「癒しの島」というポジティブな側面が語られる。ルサンチマンを梃子にした言説は終わりつつあると感じられるのと同時に、そのポジティブな側面もネガティブな側面も言葉は氾濫するけれど空疎であるのと同じように力を無くしていっている様に見える。ぼくの意訳もあるけれど、こんな沖縄の内側からの課題をまっすぐに話されていたと思う。

 ぼくは、沖縄が日本に向き合うのに疲れてしまわないようにと願いながら、脱ルサンチマンの沖縄言説のありようを考えるのが課題なのかなと思った。沖縄の内部から「沖縄は本土を癒すために存在しているのではない」という声を最近、聞くように思う。これはルサンチマンを梃子にした声だ。これをルサンチマンとして言わないとしたらどうなるのだろう。たとえば、観光客が「癒された」と感じる力を沖縄は確かに持っているのだから、本当の癒しの島を実現するために、基地撤廃の運動にコミットしてほしい、と、そう本土の人に伝えること。これは脱ルサンチマンの言説になりうるだろうか、と考えた。

 計良さんが、幕藩体制期、松前藩はアイヌの生産物を低いレートで米などと交換してアイヌを収奪したと話したとき、薩摩藩が奄美から黒糖専売を行い、やはり低いレートで米や生活用品と交換して奄美を収奪したのと同じだと知り、驚いた。だが、相違点も強烈だ。琉球は薩摩から大型船建造を禁じられ、島に封じ込められる。そして国家からは島は「点」と見なされ、移住はしないが対中国との貿易拠点やアメリカの軍事拠点として存在させられてきた。一方のアイヌの地は、「面」と見なされたのだろう。軍事拠点よりは人々が移住するのだが、その時、「無主の地」として土地を大地を奪われる。

 奄美はしばし実体が問われる。実体が希薄、もしくは無い、という意味で。しかし、実体は、いかに心細い場であるにはしても、「点」としての島が実体の可能性を担保してきた。だが、アイヌは実体を支える場を奪われたのだ。だから、「先住民族」を国家が認めるとき、そこには当然、土地の返還が伴わなければならない。それはひとつ民族としてのアイヌのためにというだけではなく、情けは人のためならず、わたしたちの中のアイヌのために、とも思った。

 前利さんは東北の地という場を意識して、島尾敏雄のヤポネシアの言説の変遷を追っていた。そのなかから、沖縄と奄美のヤポネシア受容の仕方の違いを浮き彫りにした。島尾の手を離れてヤポネシアが思想として独り歩きしたとき、沖縄にとってはそれは反国家思想の根拠となり、奄美にとっては奄美=日本の根拠になった、と。二重の疎外の文脈からいえば、<大和ではない>という規定を強いられた沖縄は、「反大和」の規定を育て、<大和ではない、琉球でもない>という規定を強いられた奄美は、「でも日本ではある」という規定に救いを求めた、といえばいいだろうか。

 前利さんの発表の白眉は、日本、沖縄、奄美、アイヌについて国税、学校教育、徴兵制、参政権について比較したことだった。この一覧表をみたとき、自分のアイデンティティが近代化の過程の相違としてあらわすことができるみたいで、一瞬、やれやれと思ったが、アイヌ、沖縄、奄美を共通に語る視点が提供されてとてもよかった。それは、今回のパネル・ディスカッションの最大の収穫でもあるはずのものだ。そして前利さんによれば、共通の視点でみるとき、国家としての日本は、奄美、沖縄に対して包摂という態度で臨むが、アイヌに対しては排除の態度で臨んでいる。

 終わってみて改めて思うのは、今回のテーマの意義は、それぞれの語が等価ではないにしても、アイヌ、沖縄、奄美が同時に語られたことにあるのではないかと思えた。これは奄美内部からは決してできない土俵設定だと思う。たとえばぼくでも気後れしてできないだろう。その意味で、これは大橋さんのおかげだ。でも、それは自然になされなければならないことだ。ぼくにしても、困難の無限連鎖(あそこのほうがここよりもっと大変だ)と、なし崩し的な同一化(みんな大変なんだ)による思考停止を止めるために奄美の固有の困難を明らかにしたいと考えているのだから。

◇◆◇

 テーマがヘビー級だから雰囲気も終始ヘビー級だったかといえば、そうではない。むしろ、逆だった。
 初日、時間になってもやってこない田場前利組を気にして、大橋さんは何度か入口まで見に行っては引き返してくることを繰り返していた。で、たまたま大橋さんが再び見に席を立ったところへ田場前利組、到着。そのときの開口一番が「なんだ大橋段取りワルイナア」である。苦笑。それから、仙人の風貌の田場さんの初日のいでたちはミツヤサイダーのTシャツ一枚。寒くないですか?と肩をさすると、「なんで?」とこれまた仙人のお答えなのであった。
 
 また、お店に入るたびにビール6本、などと頼んであっという間に飲み干す南チームを見て、計良さんは、「本当によく飲みますねえ」と驚かれていた。呆れられていませんようにと祈るところです。でも、計良さんはシカのソーセージを振る舞ってくれて、これが美味しかった。お酒の肴にもとてもよかった。奄美、沖縄料理屋さんのとっておきメニューかなんかで用意しておくとすごく受けるのではないかと、また酒つながりの発想をしてしまった。

 ぼくはといえば、奄美・琉球に対する考えを人前で話すのははじめての機会だった。失語というのは自分のことではないかと笑ってしまう。もちろん発語すりゃあいいってもんではないが、潮時と受け止めたい。

 聞いてくれたみなさん、計良さん、田場さん、前利さん、大橋さん、山内さん、安西さんに感謝です。とおとぅがなし。


 あ、そうそう。「島唄館・沖縄」だっけ?違うかな?そこで、山内さんの三線と唄を堪能できました。仙台で懐かしい音が聞けるとは。波照間島出身の店主さんは、与論小唄が元唄だよねといって、「十九の春」を歌ってくれたのも嬉しい出来事でした。



 

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広告?

 六本木の街角にて。

 二つの看板広告と思って通り過ぎようとしたら、下は、人、でした。
 一瞬、リアルな絵の広告のように見えて思わず撮りました。

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 そう見えませんか? (^^;)



 

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2008/06/29

仙台雨

 仙台から戻ってきました。
 仙台メディアテークは、建築物そのものが面白くて、パネルディスカッションが始まるまでは、ひたすら写してました。

 本番の「アイヌ、沖縄、奄美-まつろわぬ民たちの系譜〈記憶の更新・再構築〉」も濃密な時間でしたが、それは追ってご報告するとして、まずはこの未来的な?空間を紹介します。

 今日の仙台は雨でした。仙台ぽくない(本当は知らないけど)、南のような大粒の雨でした。

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