2010年2月25日 (木)

「ものを書く上での孤独」

 自己問答のそばにある言葉。

 さて、たしかに、これとは別に、ものを書く上での孤独、というものはあります。
 それは、ものを書くということの、ほとんど本質だろうと思います。一人で考え、一人で書き、一人でその書いたものを引き受け、友達を失う。特に批評を書いていると、友達はどこにもいない、ということを感じます。それがよくて、書いているのかも知れない。でも、その一方で、だから、批評なんて、つまらない、もうやめよう、と思うこともあります。友達がいない、というのはよいのです。でも、そういう感じがともなわれるところ、批評は、つまらない、というところが、どこかにあります。

 剣さえなければ、ぐだぐだしているのに、いったん剣を渡されると、手加減ができない。これって、どう考えても貧しい。どうせ、一人だとしても、もっと違った姿の一人、孤独、がいい。(加藤典洋『何でも僕に訊いてくれ』

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2009年6月30日 (火)

1995.01.17-2009-06.30

 あの日、関西が揺れていた。
 今日、ぼくは、揺れているだろうか。
 思いもかけない形で幕が降りる。

 DVが解かれるのを待った妻のように、
 ぼくは肩で息をつく。

 母印を押したあとの阿Qの生を生きるのだ。

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2009年6月25日 (木)

父の命日に

昨日の父の命日に、
組織的縁切りに会い、
ふたりの友人に声をかけられる。

もちろん友人に声をかけられたことを
喜ぶべきだろう。

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2009年6月 2日 (火)

転がした自分を拾いあげる

 15年前、自分をいちど転がさなきゃダメだなと思った。

 いま、その自分を拾い上げるときが来たんじゃないか。


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2009年5月28日 (木)

食欲と素寒貧

おとつい、食欲を感じた。
これはどうしたことだろう。
ここ何年もの逃避の気分の行く先は、もっぱら食う寝るだった。
しこたま食っているのだ。
でも、おとつい感じたのは食欲だった。
久しぶりの食欲だった。
あれは何だったろう。


そして今日、ぼくは素寒貧になった。
追い詰められて、自分でそうした。
でもそうする以外、どんなやり方があったろう。
人の良さを守ると思えばいいのか。
資本主義の限界知ったりと見なせばいいのか。
だらしなさの結末なのか。
処罰意識の慣性か。
このあと、ぼくには怒りがこみ上げてくるだろうか。
いまは素寒貧になって、でも追い詰められることは去り、さっぱりした気分で、このあとのことが分からない。

ぼくは何をしたいのだろう。


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2009年4月21日 (火)

「『連帯を求めて』孤立への道を」

 加藤典洋、「『連帯を求めて』孤立への道を」。

 さて、最近の村上春樹のエルサレム賞受賞に僕もまた関心をそそられた一人です。彼はその後活字になったインタビューで、自分が1960年代の学生運動の世代であると述べ、そこにあった「理想主義」について語っています。「転換期というか、もう一度それぞれのかたちで理想主義みたいなものを取り戻す道を模索するべきなのかもしれません」(「僕はなぜエルサレムに行ったのか」「文芸春秋」2009年4月号)。どう考えれば、「理想」という言葉をしっかり手にできるのか。それがいま一番、僕にとっての切実な問いです。そのインタビューは、僕に、その頃もてはやされた言葉を思いださせます。それは、「連帯を求めて、孤立をおそれず」というのです。僕はこれまで、「孤立を求めて、連帯をおそれず」でやってきました。普通の人びととの「連帯」 こそが大事だと考え、それを第一義に考え、やってきたのです。それはいまもむろん、変わりません。しかし、これからはしばらく、「連帯を求めて、孤立をおそれず」で行く、孤立への道を進もうかと思っています。「朝日ジャーナル(週刊朝日緊急増刊)」

 これになぞらえると、ぼくはかつて、孤立を求めないのに孤立になり、であった。
 その挫折を通じて思ったのは、孤独を求めて、孤立を怖れる、であった。
 
 ぼくも、これからしばらく、「連帯を求めて、孤立をおそれず」に歩みを進められたら、とこれを読んで思った。


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2009年3月31日 (火)

待つだけ

小さな気晴らしがありすぎて、
ほんとうの想いにたどり着けない。
ひと晩で済みそうなのに、
一年経っても、近づけない。
時間が経つだけ、遠のくだけ。
交差点の人込みのなかで、
微風の音は聞けない。
いつになったら辿りつける。
いつになったら言葉は降りてくる。
じっと、待つだけ。


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2009年3月15日 (日)

「大切なものはいつだって失ったときに気付くもの」

 元ちとせの『カッシーニ』を聴きながら仕事をした。
 透明のシールドに守られているような、そんな気分でいられる。
 でも、その元が歌うのだ。

大切なものはいつだって失ったときに気付くもの
こぼれたミルクに泣いたって
青い鳥は帰らない
            「あなたがここにいてほしい」

 堪えるね。
 でも、「この世界中の罪人たちを許してほしい」と歌うこの曲は優しい。
 それは、アルバムも同じこと。
 
『カッシーニ』

Cassini_2

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2009年2月15日 (日)

池袋から新橋まで歩いた

 池袋から新橋まで歩いた。これから先、どうやって生きていくかということ、子どものことを考えながら。

 極度の方向音痴なので、深夜タクシーに乗ったときの街の映像を思い出しながら、逆に辿るように歩いてみた。ところが、根っからの方向音痴ときていて、その軌道にのるまでずいぶんまわり道をしてしまい、江戸川橋まで辿りつくのにずいぶんとかかってしまった。

 昼間、営業先のビルを探しながら、初めて訪れるみたいな感じで歩く道が、夜タクシーでは時々たどっていたことに気づいてびっくりすることが何度もあった。飯田橋近くでは、朝倉書店が巨大なビルで出版社風でなく驚いた。堀の脇ではテレビでよく見るようにジョギングをしている人が多い。ぼくは長距離を走るのは苦手だが、こうして歩くのは大好きだ。ときにジョギングをする人が、都心の空気のなかをと批判めいて言われることがある。その言い方からすれば今日のぼくも不健康ということになるが、いざ歩かなきゃならないときがあるとしたら、仕事場と家を結ぶ区域のなかである可能性が高いだろうから、ぼくのような方向音痴が体感しておくのは無駄ではないだろう。それに、東京郊外の程度の自然では、ぼくは自然とは感じないから、むしろ都心の気持ち良さを味わったほうがいい。

 都心近くのビルから左手を見ると、東京駅、ついで有楽町駅、そして新橋駅が覗けて、そうかこうやってつないがっているのかと実感することができる。食べ物も飲み物の何も口に入れず、二時間ちょっと。芝郵便局の近くに来たところで、今日の旅は終了とした。もう十数年も辿っている道のりだが、初めて点と点を線でむすぶことができた。

 で、歩きながら考えて、なんとなく方向性も見えてきた気がしている。歩きながら考えるのも悪くない。


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2009年2月10日 (火)

誘っても即答で断られない。

 誘っても即答で断られない。ただ、それだけでも嬉しいと知る。



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