2008年3月 2日 (日)

「この人の書斎が見たい!」

 「この人の書斎が見たい!」という特集の言葉の通り、書斎が見たくて「PLAYBOY」を手にしました。

Playboycover















 表紙にあるように何人もの作家の書斎が登場するのだが、ぼくが印象に残った何人かの方。

 内田樹。

 書斎兼リビング。というか、リビングに書棚を置いているという感じ。写真で見る限りでは2メートル級の本棚が4列並んでいるだけなので、多くない。ご本人も「学者の中では僕は以上に本が少ない方ですね」とおっしゃっている。

作家や学者の悩みは一様に大量の書物をどう保存するかだ。結局は終生読みもしない本を書庫や段ボールに納めている人が多いようだが、内田さんはどうせ死ぬまで読まないなら処分しょうと決意した。

 このスタイルはこだわりがなくていいなと思った。こたつに座って本を読んでいる姿も茶目っ気を感じます。

 吉田司。

 4Bの鉛筆をカッターナイフで削る。かつ、原稿用紙の裏側を使い、1枚に400字詰め10枚くらい書くそうです。
 場所は選ばない。写真にあるのもショッピングセンターのフードコート内。

 吉本隆明。

書斎がなくても平気ですか、と最後に開くとこんな答えが返ってきた。
「それは平気です。書斎らしい書斎というのはこの建て売りに来てからだけですから。猫さんたちが仕事している ときに入ってきても全然気にならないです。テレビが点いていても別に障害には思わない。静かにそつとしないと 仕事ができないということはないです。深夜の割にはテレビもよく見ていると思いますね。引き込まれると面白くて、つい明け方になっちゃうことがよくあるんです(笑)」
      このこだわりのなさもいいなあと思う。

Photo










 青く光る活字拡大機のスクリーンと、「恥ずかしながら 一生 芸人です」という藤田まことの粋な台詞の色紙が印象に残ります。


 こうしてみると、ぼくはどうやら、書斎然とした書斎ではなく、自分の活動の手段と見なしているような、ありようの軽い、動きのある書斎が好きなようです。それはお三方の例を見る限り、解体書斎という感じでもあります。




                                                                                                            

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2007年3月24日 (土)

編集者とは何か

「批評とは竟(つい)に己の夢を懐疑的に
語ることではないのか!」(「様々なる意匠」)

平易な定義を別に要請せずにはおかない
レトリックにひっかかりはするものの、
小林秀雄は、この一節を起点に、
近代批評を、単なる感想から独立した領域に確立した。

時を隔てて、編集とは何かという問いに、
小林秀雄と同じように、
編集者でしかありえない資質から、
編集者とは何かに答え、
そのことによって、
編集とは何かに答えているのが、
見城徹の『編集者という病い』だ。

「編集者という病」は、

編集者とは、表現者の無意識を顕在化させること。

そう、言っているように思える。

 ○ ○ ○

たとえば、尾崎豊との関わり方は壮絶だ。
覚醒剤保持による逮捕後、
失意の尾崎豊に偶然、再開し、
それを契機に、資金集め、会社設立と、
尾崎の面倒の一切合財を引き受け、
復帰を支援したのは見城だった。

その恩人とも言うべき見城に対し、
復帰アルバムの成功にともなって
開始される復活ライブ・ツアーが始まると、
尾崎は言う。

「全部、来てくれ」、と。
で、リハーサル途中で、見城が帰宅しようものなら、こう言う。
「あなたとはもう仕事はできないかもしれない」。

どういうことか。

 彼が俺に突きつけてきたことって、
 その時は辛くて辛くてしょうがななくて、
 逃げたくて逃げたくてしょうがなかったことだけど、
 すごくいい試練だった。
 その試練がいまの俺の血となり肉となっていると思う。
 彼は常に人に踏絵を要求するんだから。
 それはたったひとつですよ。
 <あなたは尾崎豊ひとりだけを愛してくれますか>
 という試練を常に問うんですよ。辛いよ。
 彼の言った台詞や彼のとっている行動によって
 こっちが突然不安な感情に襲われて、
 何もできなくなることはしょっちゅうだった。
 彼が突きつけてくる踏絵はいつもその人にとっての
 ギリギリの選択だったからね。
 たったひとつ、僕だけを愛してくださいという
 単純なことから発しているにもかかわらず、
 相手の人生のすべてを問うようなことが起こるのよ。
 出発点はそれだけだけれど、
 形を変えていろんな踏絵を踏ませるわけだよね。
 彼が課してくる試練というのは、結構、
 本質を突いた人生の試練なんですよ。
 七転八倒しなければ、
 そして脂汗を流し涙を流しながらやらなければ、
 仕事は進まないということを
 俺は尾崎との関わりの日々から学んだ。
 俺はそれを、内臓で学んだね。
 そして自分が才能を信じた者との道行きを紡いでいくことは、
 死ぬほど辛いものだということを身をもって知った。
 ひとつ間違えば俺が死んでいたよ。
 尾崎という男はそういうヤツだった・・・。

尾崎の面倒を一切合財引き受けることで、
尾崎の信頼を得、仕事を成功させることができた。
しかしそれは逆に、
尾崎のやむにやまれなさを引き受けよ
という要求となって返ってきたのだ。

ふつうは踏絵の前で引き返す。
引き返すのが当たり前であって、
踏絵を突きつけられる者にも
踏絵を突きつける者と同じく、
背負っている自分の人生があるからだ。

けれど、見城はそうは言わない。
言わないどころか、
「七転八倒しなければ、
そして脂汗を流し涙を流しながらやらなければ、
仕事は進まないということを
俺は尾崎との関わりの日々から学んだ」と言うのだ。

そして、『編集者という病い』によれば、
それが編集者の病いであり、
それこそが編集者とは何かという回答になっている。

表現者という「病い」を背負った人間に肉薄し、
その無意識を表現として顕在化させる。
それが編集者というのだから、
その過程では、「返り血を浴びることもあるし、
擦過傷を負うこともある」。

ここまでくれば、
批評が、自分を世界の外に置き分析してみずにはおかない
資質の劇によって行われるとすれば、
編集者も、表現者の無意識に肉薄せずにはいられない
資質の劇によって担われると言えるだろう。

このことを、それこそ資質の劇として
辿ってみせたのが、編集者、見城徹の達成だった。

ここからは、編集とは何か、という問いの回答もすぐのところにある。
編集とは、表現の無意識を顕在化させること、だ。

 ○ ○ ○

見城は、尾崎について、
「軒先で傷ついた羽を休めながら小刻みに
震えている繊細な自分と、
一度切れるとどんなものにも殴りかかり食いついていく
獰猛な異物を背負った自分がいた」と書く。

ところで、『編集者という病い』では、
二つの見城徹のビジュアルを見ることができる。

一つは、表紙の帯のあって、
本を手にした途端、飛び込んでくるもので、
まるで猛禽類の形相でこちらへ突進してくる男の写真だ。

もうひとつは、見返しのプロフィールにある。
そこには、愛犬にやや体を寄せながら、
斜めにこちらを向いている気後れしたような男の写真だ。
彼の左手は右手の親指に触れていて、
もじもじしているようにすら見える。

この二つの写真は、
見城の尾崎評にそっくり重なるものだ。

尾崎だけでなく見城もまた、
「繊細な自分」と「獰猛な異物を背負った自分」
を持っている。

それなら、表現者と編集者は同一だろうか。
いや、それは紙一重で違うと言わなくてはならない。

編集者にもその振幅があるから、
表現者が理解できる。
けれど、編集者は表現者ではない。
表現者は、自分のやむにやまれなさに
向き合わざるをえない資質の者のことであり、
編集者は、自分のやむにやまれなさを、
表現者を鏡に顕在化せずにはおかない者のことだ。

『編集者という病い』によって、
「編集」は、個人の実存に引き寄せられた場所を
確保したのである。

編集者という病い

Editor1_1

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2005年12月12日 (月)

ISIS編集学校、「守」の妙(6)

お題をためては、ぎりぎりのタイミングで
いくつも回答するようなたどたどしい歩みではあったけれど、

「守」を経て、ぼくは言葉が以前より、
もっと身近になった気がしている。

身近、というのは、言葉が覚えなければならない
規範的なものであったり、
味わうべきものであったりという以外に、
それに遊び、操るというような感覚だ。

言葉を遊び、操る。

それは世界を編みかえる力のもとになってくれる。
ぼくはそのとば口の「守」でひとまず
歩みを止めているけれど、

それでも、こんな感覚を持てるようになったのは
この4ヶ月弱の最大の収穫だったろう。

感謝したい。

門下生のみなさん、師範代の平山さん、
ありがとうございました。

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2005年12月11日 (日)

ISIS編集学校、「守」の妙(5)

また、ある文章を、「子どもに分かるように」、
「上司に説明するように」とか言い換えていくお題では、
文章が変わるということは、世界と自分の関わり方が
変わるという体験をした。

同じ内容なのに、世界への触れ方が違うだけで、
世界は、ほんの少し柔らかい表情になったり、
ぎすぎすした感じにもなる。

これは、編集によって世界を変えているのだと思う。

世界をポジティブな言葉で表現していけば、
世界はもっと明るくなる。

世界をネガティブな言葉で表現していけば、
世界はもっと暗くなる。

これは気がする、というだけでなく、
実際にそうなるのだと思う。

ぼくはマルクスの言葉からそのことを考えたことがあった。
マルクスは言う。

 人間の普遍性は、実践的にはまさに、自然が(1)直接的な
 生活手段である限りにおいて、また自然が(2)人間の生命
 活動の素材と対象と道具であるその範囲において、全自然を
 彼の非有機的肉体にするという普遍性のなかに現われる。

 自然、すなわち、それ自体が人間の肉体でない限りでの自然
 は、人間の非有機的身体である。
             (マルクス『経済学・哲学草稿』

ここから取り出したいのは、人間と世界の関係の仕方だ。

 人間は、全自然を人間の「非有機的身体」とする。
 このとき全人間は、自然の「有機的自然」となる。

このマルクスの物言いは、いかにもモノを加工する第二次産業
をベースにしたものなので、ぼくたちのいるコトを産出する
第三次産業がベースになっている世界の言葉に言い換えてみよう。

 人間は、全人工的自然を人間の「イメージ的身体」とする。
 このとき全人間は、人工的自然の「イメージ的自然」となる。

ここで、「イメージ的」という表現にはあいまいさが
つきまとうが、言わんとするのはこんなことだ。

たとえばぼくが、PCの端末から「ISIS編集学校」の
記事を書くとき、PCの端末はただの物理的な存在ではなく、
ぼくの思考を投影して文字として定着させるぼく自身の
イメージ的な「身体」になっている。

そして同時に、このときぼく自身は、画面に思考の通りに
文字を定着させるべく、しかるべき順番でキイを叩く、
PC端末のイメージ的な「自然」と化している。

と、パソコンを例に採ってきたのだけれど、
「守」のプロセスで、「編集」という行為は、

 人間は、全人工的自然を人間の「イメージ的身体」とする。
 このとき全人間は、人工的自然の「イメージ的自然」となる。

この関係式にあてはまる行為であり、
世界を変え自分も変ることを意味していると気づくのだ。

(つづく)

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2005年12月10日 (土)

ISIS編集学校、「守」の妙(4)

そして、この「編集」という工程が、
自分を知り世界を変えることにつながると思えた。

たとえば、お題6は、「たくさんのわたし」というテーマ。
これは、「私は○○な□□である」という自己紹介を
二度同じ表現は使わないという条件で量産するものだ。

ぼくはこのお題で興にのってしまい66個、出したところで、
ナルシシズムに浸っているのが恥ずかしくなり、書く手を止めた。
止めたのだけれど、そこに並んだ、66個のわたしに対して、
師範代が「ニヒル」とコメントしてくれたのだった。

そこでぼくは自分が大きなニヒリズムを抱えていることに
今更ながらに気づいたのだった。そんなこと、
思いもしなかったことで我ながらびっくりした。

これは、データを書くことで得た「自分を知る」だったと思う。

ところでぼくはこのお題を回答した後、
一生のうち一回起こるか起こらないかという出来事に出会って
自分が大きく変わるという体験をすることになった。

そして、変わる、その振り返り様に66個の回答を見たら、
自分が変わったと思う個所の表現が過去の自分として見えてきた。

いや、これは正確には逆に言わなくてはいけない。
書かれた表現が過去の自分と思えたという実感を通じて、
ぼくは自分が変わったことを知らされたのだ。

変化に気づいたのは、お題に答えることが、
自分を知ることにつながっていたからだと思う。

(つづく)

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2005年12月 9日 (金)

ISIS編集学校、「守」の妙(3)

ISIS編集学校は、ただのeラーニングではなく、
コミュニケーションを味わう過程だった。

編集工学の最も基礎である「守」を体験して何を学んだか。
それは、自分を知ることに始まり世界を変えることに終わる
ことではなかったかと思う。

まず、「編集」の実感。

ぼくはマーケティングが生業で、消費者の声を収集するのだけれど、
それは消費者の声をデータとして扱うことで成り立つ。

データということは、マーケティングの根拠になるということだから、
データは言葉を足したり引いたり、変えることはできない。

もちろん、生の声は、中身に乏しいと使い物にならないから、
「具体的に教えてください」と聞き返すことはある。

けれどそれはデータの根拠を強くするためであり、
データを変えることではない。

それが基本的なデータに対する態度だ。

「守」でもこのデータを精製するのに似たプロセスはある。
たとえば最初に出会うお題1は、「コップは何に使える?」。
これは、コップを既成概念に囚われずに何に使えるか
列記していくのだけれど、マーケティングでいえば、
これは商品の「使いこなし」データと呼んでいる。

ところが、編集学校は、ここに止まらない。
ある文章を、「子どもに分かるように」、
「上司に説明するように」とか言い換えていくお題もある。

ここでは、もとのデータを加工するプロセスに入る。
これは、マーケティングのデータ範疇にはない領域であり、
ぼくはここから「編集」に入るのだと実感していった。

ひとつの言葉から他の言葉を連想したり、
その言葉を言い換えたり、位置づけたり、いじっていくのだ。

(つづく)

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2005年12月 8日 (木)

ISIS編集学校、「守」の妙(2)

ISIS編集学校の「守」に、7月17日に入門し、
11月3日に卒門するまでの4ヶ月弱、38のお題に回答した。

お題は、メーリングリスト(Web会議室)に配信されて、
それに返信するのだ。4ヶ月弱に38のお題だから、
2~3日に一度、回答することになる。

ここまで書くと、eラーニングのように見えるだろう。
事実、eラーニングには違いないのだけれど、
それだけではなかった。

それだけどころではなかった。

それは何といっても、師範代の指南である。
回答に対して、師範代はこちらの回答を深く読み込んだ上で、
指南をくださる。

それを繰り返してお題に答えきれていたらクリアとなり、
さもなくば再回答となるのだけれぢ、その的確さや速さ、
痒いところに手が届いたガイドには舌を巻いた。

ところで、再回答は不名誉なことか、と言えばさに非ず。
ぼくたちの平山師範代は、上手な回答の仕方として、
さっさと回答して、指南を受けて、再回答に持ち込めばいいと
まるで、うっかり勘違いの回答を促すかのようだった。

これがどれだけ大変かといえば、
それぞれに指南をしなければならないからだ。

指南はぼくだけならともかく、教室には全員で12名の門下生が
いるのだから、その労力たるや並々ならぬものがあるのは
お察しいただけると思う。

だから、これはeラーニングというよりは、
深い対話をしているようなコミュニケーションだった。
答えるほうは自分をオープンにしていくから、指南されながら、
次第に自分のことが分かられている感覚に襲われてくるのだった。

そうそう、コミュニケーションという意味では、
編集学校に通う?間には、「番期同門祭」「汁講」「感門之盟」
と実際に師範代や門下生と会う機会も設けられていた。

ぼくはふつつかにも、1回目のしかも夜の部にしか
参加できなかったのだけれど、そこに集う人々には、
共通のテーマに取り組んでいるある言葉と身体の
熱気があって、心地よかった。

(つづく)

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2005年12月 7日 (水)

ISIS編集学校、「守」の妙(1)

11月に4ヶ月続いたISIS編集学校「守」を卒門した。
ただ、卒門と言っても胸を張って言えるかどうかはすこぶる怪しい。

何より、締め切りを遅れても指南を欠かさない師範代の
並々ならぬ努力なしには、卒門はありえなかったし、
たぶんに大目に見てもらった結果だ。

なおかつ、この後待っている「破」「離」に進むきっかけを
ぼくはつかんでいない。「守」でひとまず、歩みを止めている。

もったいない、と思う。

ええい、せめてのつみ滅ぼし、
「守」の体験を記そう。

(つづく)

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