作品にある世界が本当なんじゃないか
以前、吉本隆明は、優れた作品は、これは俺にしか分からない、「俺のことを書いてるんじゃないか」という内閉感をもたらすと書いたことがあった。
こんど、『1Q84』を読み、現在、それは必ずしも条件ではなく、もしかして今自分が生きている世界がフィクションで、作品にある世界が本当なんじゃないか、いまある世界は本当だとしても、作品のなかの世界も交換可能なものとして存在しているんじゃないか。そういうことを感じさせるのが現在のすぐれた作品なのではないかと感じた。決して、青豆も天吾も自分のことだとは思わせないけれど、自分も青豆でありえた天吾でありえた、そこにそんなに違いはないと思わせる。そうなっているのではないかと思った。
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コメント
吉本隆明のなんと云う本ですか?
投稿: nejimaki | 2009年8月16日 (日) 21時19分
nejimakiさん
吉本はあちこちで書いているので、そう聞かれて、ちょっと慌てました。
最近ですと、『真贋』で書いています。
投稿: 喜山 | 2009年8月16日 (日) 22時22分