2010年10月 9日 (土)

ツイッターは

ツイッターは孤独を忘れさせるツール、孤独にさせてくれないツール。

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2010年2月25日 (木)

「ものを書く上での孤独」

 自己問答のそばにある言葉。

 さて、たしかに、これとは別に、ものを書く上での孤独、というものはあります。
 それは、ものを書くということの、ほとんど本質だろうと思います。一人で考え、一人で書き、一人でその書いたものを引き受け、友達を失う。特に批評を書いていると、友達はどこにもいない、ということを感じます。それがよくて、書いているのかも知れない。でも、その一方で、だから、批評なんて、つまらない、もうやめよう、と思うこともあります。友達がいない、というのはよいのです。でも、そういう感じがともなわれるところ、批評は、つまらない、というところが、どこかにあります。

 剣さえなければ、ぐだぐだしているのに、いったん剣を渡されると、手加減ができない。これって、どう考えても貧しい。どうせ、一人だとしても、もっと違った姿の一人、孤独、がいい。(加藤典洋『何でも僕に訊いてくれ』

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2010年2月 1日 (月)

「静かな革命」

吉本 僕が思うに、鳩山由紀夫という人が、今やろうとしていることを、「そんなうまくいくか」とか言わないで、ゆっくりと静かな革命をしようとしている、と正直に捉えてあげてもいいんじゃないか、と思いますよ。それだけの能力はあると思いますし、民主党には、それだけの人材はいると思うんです。一見、革命と見えないような形でそれをやろうとしている。やり方がまずい以外には失策はないと思います。それに、とてもいい時期だと思いますから、やればいいのに、と思いますけどね。気後れすると、よりラディカルなことを言う政治党派か、保守派の大企業みたいな資本家、どちらかに偏りやすいんですけど、だけど両方に偏らない。そのあたりはうまくやっていくと思いますけどね。危惧もたくさんありますよ。あんなに善良で、気が強くない人が、そういう風に頑張れるかな、と。でも、粘り強く、自分たちの思うことを貫いてくれたら、静かなる革命が成就すると思っていますけどね。


『BRUTUS ( ブルータス ) 2010年 2/15号』


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2009年11月 1日 (日)

「たとえいくぶん薄暗かったとしても」

 青豆の言葉で心に残るひとつ。

 青豆は言った。「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」
「もしそうだとしたら、人生はけっこう薄暗い」
「かもね」
「しかし誰かを心から愛することができれば、それがどんなひどい相手であっても、あっちが自分を好きになってくれなかったとしても、少なくとも人生は地獄ではない。たとえいくぶん薄暗かったとしても」
「そういうこと」(『1Q84』

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2009年9月19日 (土)

1Q84年9月以後の空想

 10歳のときに手を握った。そのときの想いを届けることが作品の骨格だったとしたら、空気さなぎに眠る青豆が天吾にぬくもりを送ったのだから、作品としては完結していることになる。


 けれど、物語の流れからいえば、次の展開をどうしても空想してしまう。

 青豆は死なない。青豆は組織からも追われなくなる。青豆はリトル・ピープルにとって次の代理人の候補になったのだ。一方の天吾は、その代理人である天吾との関係の深さから、反リトル・ピープル・モーメントの鍵を握っているにもかかわらず、直接、手をくだされることはない。青豆と天吾は、二人の関係によって1Q84の世界の善と悪の均衡を保つようになる。

 今夜の空想。でも書いててちょっと恥ずかしくなった。

 男は言った。「彼らには君を破壊することはできない」
「どうして」と青豆は尋ねた。「なぜ彼らには私を破壊することができないの?」
「すでに特別な存在になっているからだ」
「特別な存在」と青豆は言った。「どのように特別なの?」
「君はそれをやがて発見することになるだろう」
「やがて?」
「時が来れば」
 青豆は顔をもう一度歪めた。「あなたの言っていることは理解できない」
「いずれ理解するようになる」


   『1Q84』


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2009年9月17日 (木)

『無印ニッポン』

 『無印ニッポン』はどうしても、極めて個人的な読み方になってしまう。『変革の透視図』を読んで、ここになら居場所があるかもしれないと思ってセゾン入りしながら、現場と理念の乖離感を埋めることができずにセゾンを離れ、一方では、消費社会を推進しながら消費社会批判も自然にできる月刊誌『アクロス』の分析に夢中になりながら、没入というわけにいかなかった。両方とも、ぼくのなかに謎が残ったままだ。それだから、堤清二と三浦展の対談は、一石二鳥にみえるのだ(苦笑)。

 まず、堤は「石油文明の曲がり角」として言っている。

堤◎消費社会の一つの変化というのは、車社会のパターソが変わることではないでしょう か。沿線ビジネス、つまり、土地の安いところまで行って店を作る、そのかわり駐車場は整備する、というロードサイド型の展開は、車社会を前提にしていました。多くのチェーソ店はそれで保っていたんだけれども、いまの消費者は、間に合うんだったら、近くのコンビニで間に合わせてしまう。わざわざ車で走って行って、買い物したり、食事をしたり、という生活パターンが変わってきているという感じがしてしかたないですね。車を使わないのはガソリンが高くなったからだ、というのは嘘で、実際ガソリンが下がっても傾向は変わらない。近場にあるレストランなら、それほど影響を受けないけれども、幹線道路のかなり先にあるような店は、駐車場があるからいいだろう、ということで利用客が集まってきていましたが、車社会の変質の結果として軒並み減益ですね。政府は、高速料金を下げて、車を使わせようとしていますが、車離れという現象は決定的だと思っています。それはたぶん、多くの人が、車社会の味気なさみたいなものに気がついたということではないかと思います。統計をとるとそういう数字が出るのではないでしょうか。

 以前に比べて東京では自転車が目立つようになった。自転車で通勤する人も増えている。「車社会の味気なさ」というだけでなく、自転車が格好いいという感覚も強くなっている気がする。そして「車離れ」という以上に、派遣切りの先陣を切って、剥き出しの資本主義の横行に拍車をかけたトヨタは、もう尊敬を払われる企業として浮上することはないのではないか。

三浦◎それを企業側は一番怖れているでしょうね。景気が悪いので買わない、というのなら、また景気をよくすればよいという話だけれども、人々が車がなくても暮らせる生活に変えちゃったとすると、これは深刻です。のちほど詳しくお聞きしますが、堤清二最大の功績である「無印良品」 のコンセプトは、シンプルな暮らしであり、「これがいい」ではなく、「これでいい」という一種無欲な商品を作ることですね。この金融危磯によって日本人の消費意識が、「あれがいい」、「これがいい」、「みんな欲しい」、という物欲主義から、「これでいい」、「これで十分だ」、という無印良品的価値観に急速に変わっていきそうな予感がします。

 自転車が格好いいという感覚を、三浦は「無印良品的価値観」と指し、その時代到来を指摘する。

堤◎論壇が苦境に陥った一つの原因には、読む方がしらけちゃったという面もあるでしょう。各誌が論壇ふうに問題をとりあげても、世の中は全然変わらなかった。あんなものを読んでも何の役にも立たない。それよりは、もっと軽いノリで楽しく過ごした方がいいや、と。
三浦◎それがセゾン文化の一面ですよね(笑)。
堤◎そう。だから、巨視的に見れば、セゾソ文化が論壇誌をつぶした(笑)。罪は重い。セゾン文化、パルコ文化は、本質的には、サブカルチャーのもっているカウソクー.カルチャー的な性質を備えていたんです。ただ、それがあまりにも受けちゃったもんだから、カウソクー・カルチャー的な要素が弱まって、軽いノリの方ばかりが広がったという面がある。

 ぼくは、そのカウンター・カルチャー的な要素に居場所を求めたが、拡大したのは「軽いノリ」だったので、居場所にならなかった。とも言えそうだ。

三浦◎社会の平等化が進むと消費が拡大する。それ以上に、消費が拡大することで平等化が進むという関係ですね。家電もファッショソも、消費するほど平等化が進む。私はパルコ時代に若い女性の消費を研究することが多かったですから、まさにその点を感じましたね。女性の解放については、革命なんかよりも消費の方がよほど革命的なんじゃないかとすら思いました。

 ぼくも消費による平等化を目の当たりにしたと思っている。バブル経済に居場所は無かったが、否定する気持ちにはなれなかったのは、この側面があったからだ。

堤◎(前略)昔、百貨店審議会というのがあって、呼ばれたことがある。そこに工藤昭四郎さんという都民銀行の総裁だった人がいて、わたしが何かでしゃべるの聞いて、「あれは面白い奴だ」と思っていたらしい。わたしは百貨店協会を抜けていたんですよ。百貨店協会から抜けている百貨店の責任者の意見も聞こう、ということだった。わたしはそこで、百貨店法があるのほ当然だ、と発言しました。百貨店法は中小商業者の保護に一定の役割を果たしていましたから。
 その頃、大丸さんが東京駅の八重洲口に出てきて大安売りをじゃんじゃんやっていた。はたの迷惑も考えずに安売りをやって中小の商店が潰れ、商店街がなくなるとしたら、日本の都市構造の点から問題だ。大規模店をコントロールすることも必要だ。わたしは百貨店法に賛成です、と言った。こういうことを言うもんだから、現役時代わたしは、経営者として馬鹿にされていたし、業界からつるし上げられていたんです。

 こういう堤の視点は百貨店内部からも、なぜ事業成長の足かせになるようなことを言うのか、不可解に見えていたような気がする。しかし、時代がめぐってみると、古臭くすら見えた視点が新しく、重要なものとして蘇ってこないだろうか。

三浦◎(前略)そういう意味で、これまでの地方というのは、あれがいい、これがいい、それが欲しい、これも欲しいという価値観でやってきた。それで実際、道路も、空港も、ショッピソグ・セソタtも手に入れた。しかし、その結果どうなったかと言うと、地域の個性、歴史、文化などが失われた。これはネガティヴな意味で「無印」になったんですね。でもこれから、ポジティヴな意味で「無印」な地方が再評価されるだろう。たいしたものはない、都会にあるものはない、しかしそれで暮らせる、これでいい、十分だという価値観をもった地方が再評価されるのではないか。

 たぶんぼくはこういうところで、三浦の言説にのめりこめないできた。でもそれは個人的な理由で、ぼくは「地域の個性、歴史、文化」が失われていない場所から読んでいるからだと思える。ぼくが見ている場所は「無印」ではないから。ただ、三浦が別の場所で、「都市には風土性がやっと残っているが、地方には消えている」というのはよく分かる。

三浦◎無印は 「批判」なんですよね。
堤◎そう。でも、わたしがいくら説明しても、社内にきちんと浸透しなかった。「これは反体制商品です」と言っても、みんなぼーっと聞いていた(笑)。わたしは大まじめに言っていたんですが。
三浦◎わたしは、無印良品は堤さんの最大の成果だと思っています。「世界商品」になりましたし、イッセイ・ミヤケや川久保玲らのファッショソは別として、自動車とか家電のように性能のよさで売る商品ではない、新しいライフスタイルの価値を提示する商品が世界中に広がったのは珍しい例ではないかと思います。反体制とおっしゃるのは、豊かさの意味の捉え方が、アメリカ的豊かさとは逆だからでしょう。単に、シアーズをモデルにして、むだを省いて安い商品を作ったというだけではない。これは、セゾングループの特質でもありますが、いまある豊かさを疑ってしまうという、そういうところがあった。

 こんなエピソードを読むと、堤が会議で、「これからの百貨店は、リゾーム、シミュレーション、ガジェットだ」などと言うと、翌日には管理職諸君の机上に、ドゥルーズやボードリヤールの本が積まれたのを思い出す。反社会的な行動をしないようにと誓約させる企業で、「反体制商品」と言って通じるわけがないのだ。
 それにしても、「世界商品」の響きが懐かしい。

堤◎(前略)無印良品は、便利性、浪費性、そのどちらにも当てはまらないし、ファッションを追いかけたりもしません、と。では、無印良品は何を訴求したいと思っていたかと言うと、それはただ一点、消費者主権なんです。三浦さんが指摘して下さったように、ここまでは用意します、あとはあなたがご自分で好きなように使って下さい、という、そういう意味での消費者主権。「そんなの面倒くさいよ、そんなこと言われても困るよ」、という人も多いだろうから、そういう人に対しては、「とにかく、安いんですよ」、ということでこちらに取り込む(笑)。なるほど、製品にクレームをつけるといぅのも消費者主権の行使だろうけれども、それは消費者主権の一つの側面にすぎません。それだけの主権には限界がある。もちろん、「これはよくない、あれはよくない」と、クレームをつけて下さるのもけっこう。しかし、自分流にものをアレンジするというのも、これはこれで消費者主権の行使だろうと思うのです。

 商品が商品としての完成度を下げることによって生まれる消費者主権。

堤◎(前略)その点については、マルクスが『資本論』 の第一巻第一章で、本来個人的生活過程であった商品が、資本主義になってからは、単なる労働力の再生産過程でしかなくなったということを言っています。わたし流に読めば、商品は労働力一般になってしまって、個性がなくなったということです。ですから、消費過程そのものに個性を復活させることが必要だと。そういう認識が堤清二流流通論の背景にはある。こういう観点で流通産業を見ると、それはマージナル産業だ。つまり、一番端っこにあって、商品の性格が変わる場所にある産業です。ですから、そのマージナルな場所で、消費者が自分を回復しやすい、個性の過程に入りやすいものを考えて提供するのは、流通業者として立派な役割ではないか、というのがあるわけです。

 これは今に生かせるアイデアだと思う。『変革の透視図』に惹かれた理由のひとつはこの箇所だった。

堤◎当時としては希少価値があったでしょうね。
三浦◎社員も自由だった。やりたいことはやる、やりたくないことはやらない、やりたいことができないなら辞めてやる。当時はふつうの会社には、そういう空気はなかった。しかし、アルバイトも含め、セゾングループにはそういう人たちがたくさんいて、そこから作家やらなにやらが生まれていった。
堤◎保坂和志とか草谷長吉とか町田康とか、男の作家は何人もいます。女性では、作家はおそらくいなくて、編集者になった人が何人かいる。女性の場合、自己実現できたので、それで満足して、表現する必要がないのかも。

三浦◎男性の場合は、それこそ三井や三菱などの大企業ではとても雇ってもらえそうにない連中がいっぱいいた(笑)。わたしは、セゾングループがかなりの数のフリーターを吸収していたと思いますね。逆に言うと、セゾンがなくなったからフリーターが増えた(笑)。七〇年代だったら、それこそ高円寺で古着屋を始めるとか、西荻で喫茶店を始めるとかできた。八〇年代は会社の金で遊べた(笑)。九〇年代以降は遊びようがない。「生きづらさ」なんていう言葉が流行っていて気持ちが悪いですが、実際、社会に隙間がない。なので、生きづらいというのも無理はないかと。

 堤が「当時としては希少価値」と言うのは、男女が同じ仕事をして給与格差もない状態を指している。確かにそうで、当時としては感性的な自由度が高かった。ただ、女性がいま以上に男性化を強いられてもいた。それ以上にその通りだったと思いだすのは、人事の採用基準も「変な奴」になっていると思うほどだったから、三浦のいうことはよく分かる。

三浦◎「つかしん」(堤が、一九八五年、兵庫県尼崎市塚口に建設した都市郊外型施設)は、堤さんがイメージする理想の社会に近いものだったのでは。
堤◎しかし、百貨店という文化に染まってしまった人にわたしの意図は伝わりにくかった。百貨店という城下町を作ろうとするんですね。
三浦◎一種の故郷とか、共同体とか、そういうものを夢見られたのではないかと想像します。古い拘束的な共同体でもなく、近代の個人がばらばらなものでもない、非常に現代的な社会イメージをおもちだったと。
堤◎見えない共同体みたいなものを考えていましたね。規模は小さいかもしれませんが、若者たちはいろいろな場所でそういうものを作っています。たとえば、あまり有名でないシソガーソングライター。そのまわりには、一〇〇人単位の共同体ができている。それは、職場共同体や家族共同体や地域共同体とは似ても似つかない、テイストによる共同体です。

 そして話題は「つかしん」へ。『変革の透視図』以外に、セゾン入りしたかった理由は「つかしん」だった。理想の人工都市づくり。居場所を求めている気分のぼくには、身を投じるべき世界に思えた。あっという間に、環境はその試みを許さなくなっていったのではあるが。

堤◎つかしんでは、百貨店の人をトップにしたのが大きな間違いでした。テナントや業者を下に見る。村にとっては全員がテナソトだから、対等でなければならない。わたしがそう言うと、わかりました、とは言うんだけれど、実行を伴わなかった。ずっとそういうふうに生きてきたのか、取引先に対していぼることしか知らない。だから、パルコみたいにはいかなかった。パルコは、自分では商売をやらなくて、同じ資格で参加しているテナソトを大切にした。百貨店には悪い習慣があって、取引先が必ず何か付け届けをしてくるんです。付け届けをしないと、取引が減る。水戸黄門の悪代官の世界ですよ。わたしが睨みをきかせて、絶対に認めなかったので、一時は減ったんですが、わたしが辞めたらとたんに復活したらしい。通念とか環境は、大きい。一人やふたりの経営者が一時的にかっこつけたって、すぐ元に戻ってしまいますね。

 ああ、ぼくもテナントへ「いばる」感じは馴染めなかったなあ。

堤◎日本で、労使対立が見えにくい状況が続いてきたのは、近代市場経済の中にあっては、例外的な平和状態でした。本質的な対立の契機が、契機のまま眠っていた。ところが、世界的な恐慌と言われる急速な不況の中、セーフティーネットと見えていたものが崩れた。資本対労働者という対立の構造が浮かび上がらざるをえなくなってきたのだ、と思います。ただ、資本と労働は、対立しているのが平和な状態だ、と思うんです。対立して妥協点を見つけ出せるなら、その方がいいからです。不安をもちながら、それを押し隠しているのは、不健康な平和状態、疑似平和です。

 バブル経済期以降、労働組合は労働環境を守るという意味では存在理由を無くしたように見えたことがあった。ただ、ここ数年、自身の経験を含めていえば、訴えるか弁護士を立てるかしたほうがよい状況のとき、しかし個人ですれば関係を壊し色んなものを失うと考えて、結局どうあればよいのかと考えたとき、今さらながらに労働組合の必要性に気づかされた。ぼくには、堤は経営者として公然と労働組合の導入を図っていて、ぼくには先進的に思えた。いままた、改めてそう感じる。

 しかし同時に、高邁な理念はいつも超トップダウンだったために、労働組合もどこか底が浅くならざるを得なかった気がする。

三浦◎それから先ほど、均等法について、経営者はそれを歓迎し、組合は反対すべきだ、というアイロニーを含んだ発言をなさいましたね。これは予言だったとも言えます。つまり、均等法は実際、経営者のために使われている。
堤◎女性の中には、その危険を理解していた人もいると思います。わたしは、均等法は両刃の剣であることが、すぐにわかりました。均等法で女性にも男性と平等に仕事ができる可能性が開かれました。しかし現実には、子どもを産んだらどうするか。苦しい労働条件の中で、体を壊す女性も出るだろう。可能性だけは開かれましたが、女性にとってはたいへん過酷な世の中になったんです。当時、均等法導入に反対していた女性団体もあったと記憶しています。そこではすでに、アメリカ型を選ぶか、ヨーロッパ型のワーク・シェアリソグを選ぶかが、議論されていました。結局日本はアメリカ型を選んだ、とわたしは理解しています。それがその後、女性自身の予想をはるかに超えた「男女平等参画社会」が実現し、その結果、「おひとりさまの老後」が待ち受けている。

 ぼくはほぼ男女雇用機会均等法の開始時期に社会人になっているが、均等法はワーク・シェアリソグとセットで考えるべきだったと思っている。反省を込めて。

堤◎(前略)ふつう、どんな人でも、ローカリティに支えられて、その上で個性を保っていると思うんです。そのローカリティの部分が根こそぎになって、浮遊してしまっているのが、現在の日本人ではないでしょうか。ただ、根無し草では不安だから、拠り所は求めていて、それでいきなり「日本」に飛んでしまう。
 それぞれの地域が誇りをもって暮らせば、日本全体云々などはまた別の問題。わたしは、地方の中小企業の経営者はたいしたもんだと思う。つねに先を読もうとしてきたし、生き残ろうとがんばってきた。みんなが、自分のところだけ生き残ればいい、そう思ってがんばったら、案外みんなが生き残れるかもしれない(笑)。全体をどうにかしなければ、などと、大上段に構えるから、どうしたらいいかわからなくなる。日本全体を一つの方向に持っていくなどというのは、どだい無理な話です。グローバリゼーションは、まだあまり浸透しているわけではないし、拒否反応も多い。まだ引き返せる。地方がもう一度地方になるんです。

 これは励ましとして受け取りたい。ぼくも、地方と呼べる地方を持っている。

◇◆◇

 書評とも言えない、感想の呟きを綴ってしまった。許したまえ。目下、過去の反芻期につき。


   『無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉』

Mujirushi

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2009年8月16日 (日)

作品にある世界が本当なんじゃないか

 以前、吉本隆明は、優れた作品は、これは俺にしか分からない、「俺のことを書いてるんじゃないか」という内閉感をもたらすと書いたことがあった。

 こんど、『1Q84』を読み、現在、それは必ずしも条件ではなく、もしかして今自分が生きている世界がフィクションで、作品にある世界が本当なんじゃないか、いまある世界は本当だとしても、作品のなかの世界も交換可能なものとして存在しているんじゃないか。そういうことを感じさせるのが現在のすぐれた作品なのではないかと感じた。決して、青豆も天吾も自分のことだとは思わせないけれど、自分も青豆でありえた天吾でありえた、そこにそんなに違いはないと思わせる。そうなっているのではないかと思った。


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2009年8月13日 (木)

過剰な委縮

 「Myaku」(「死の棘」日記から(5))で知って、「現代詩手帖」の吉本隆明の発言を読んだ。

よく経済学者が解説するなかに一九一〇年代の大恐慌が出てきますけれども、その状況といまは違っていて、日本の企業とくに中小企業にとってはなんの関係もないし、影響もないというのがいまの状態だと思います。いま日本の出版業をはじめ中小企業と言われる領域の企業が縮こまっているのは、アメリカの恐慌の影響でも何でもない。これは自らを守るために事業とか職業とかでさんざん苦労している日本の中小企業のひとたちが、敗戦があきらかになったころの十年間くらいのあいだのことを顧みて考えて、それを思い出して身を縮めている。それは過剰な身の縮めかただと思います。(吉本隆明、瀬尾育生「孤立の技法」「現代詩手帖」8月号)

 実感に照らしても過剰な委縮というのはよく分かる。理由もないのに委縮してしまっているのだ。

 けれど、間接的な影響ならあると思える。本質的には関係ないはずなのに、大企業の死んだふりで中小企業が深刻な影響を被っているのが現在の状況ではないだろうか。もっと言えば、大企業の死んだふりを模倣して、ここぞとばかりに横暴さを発揮する中小企業もある。必死に死んだふりの影響を最小限にとどめようとする中小企業もある。ぼくたちはここで、正体が露骨に現われるのを目撃しているのだし、今後の選択肢を明示してもいる。

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2009年8月 2日 (日)

「大きな荷物の先まで神経が行き渡るように感じる」

 人間は、全人工的自然を人間の「像(イメージ)的身体」とし、
 全人間は、人工的自然の「像(イメージ)的自然」となる

 として表そうとしている超・自然哲学の具体例。

 だって僕たちにもあるもんね。ほら、大きな荷物を肩に担いで遊んでるとしようかな。いつもだったらすんなり通れるような狭い道を通る時、大きな荷物の先まで神経が行き渡るように感じるね(図23)。おそらく、ああいう時に慮、大きな荷物まで含めて「ひとつの体」として脳が管理してるんだろう。体の一部とみなす。その瞬間にだけ、自分の体が大きくなってるってこと。(『進化しすぎた脳』

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2009年7月21日 (火)

『吉本隆明1968』

 「団塊世代の吉本隆明体験」を書くというのが『吉本隆明1968』のモチーフ。若い世代に分かるように喩えを繰り出して解説するが、次第に我知らずのめり込み、気がつけば400ページを越えるボリュームになり、かつ中身も本格的な評論になった。それが、鹿島茂のこの本だと思う。

 転ぶ転ばないではなく、近代と封建制の社会構成の全体を捉えているどかが問題の転向論。封建性的土壌から離脱した後、その土壌への嫌悪や恥ずかしさからそこに戻れなかった芥川龍之介。フランス留学を契機に世界性を知るが、出自世界の封建的優性との葛藤が未決のまま戦争にのめり込んだ高村光太郎。抒情詩がそのまま伝統回帰の母体になってしまう。こうした転向の系譜と格闘しながら、大衆の原像の概念をつかみ、自立の思想をつかむまで。それが本書の中身であり、それに添うなら、「団塊世代の吉本隆明体験」というより、「吉本隆明の自立思想」というべきものだ。

 「団塊世代の吉本隆明体験」の当初モチーフは、あとがきに示される。

 それは、「吉本隆明はお為めごかしや偽善的なことは絶対隻口わない」という非常に単純な「倫理的な信頼感」であったと断言できます。もっと、単純に言ってしまえば、「ヨシモト、ウソつかない」ということになります。
 というのも、まだまだスターリニスト的な左翼の影響力が強かった時代に、人民だとか反貧困だとか反戦だとか絶対平和主義だとかいったご大層な大義名分を並べる人に向かって「それはウソでしょう」と遠慮なく言うことのできる勇気を持ち合わせていた人は、吉本隆明を除くとほんのわずかしかいなかったからです。

 「ヨシモト、ウソつかない」。これだと思う。

 けれど、モチーフと中身のズレは失敗だとは思わない。易しい紹介をするつもりが、つい、のめり込むのは好もしいし、おかげで批評家としての初期吉本像を振りかえることができた。


『吉本隆明1968』


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