「させていただきます」考

 「敬語の指針」での、「させていただきます」に関する解説。

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【解説1】「(お・ご)……(さ)せていただく」といった敬語の形式は,基本的には,自分側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。したがって,ア),イ)の条件をどの程度満たすかによって,「発表させていただく」など,「…(さ)せていただく」を用いた表現には,適切な場合と,余り適切だとは言えない場合とがある。

【解説2】次の①~⑤の例では,適切だと感じられる程度(許容度)が異なる。
①相手が所有している本をコピーするため,許可を求めるときの表現
「コピーを取らせていただけますか。」
②研究発表会などにおける冒頭の表現
「それでは,発表させていただきます。」
③店の休業を張り紙などで告知するときの表現
「本日,休業させていただきます。」
④結婚式における祝辞の表現
「私は,新郎と3年間同じクラスで勉強させていただいた者です。」
⑤自己紹介の表現
「私は,○○高校を卒業させていただきました。」

上記の例①の場合は,ア),イ)の条件を満たしていると考えられるため,基本的な用法に合致していると判断できる。

②の例も同様だが,ア)の条件がない場合には,やや冗長な言い方になるため,「発表いたします。」の方が簡潔に感じられるようである。

③の例は,条件を満たしていると判断すれば適切だが,②と同様に,ア)の条件がない場合には「休業いたします。」の方が良いと言えるだろう。

④の例は,ア)とイ)の両方の条件を満たしていないと感じる場合には,不適切だと判断される。⑤の例も,同様である。ただし,④については,結婚式が新郎や新婦を最大限に立てるべき場面であることを考え合わせれば許容されるという考え方もあり得る。

⑤については,「私は,卒業するのが困難だったところ,先生方の格別な御配慮によって何とか卒業させていただきました。ありがとうございました。」などという文脈であれば,必ずしも不適切だとは言えなくなる。

なお,ア),イ)の条件を実際には満たしていなくても,満たしているかのように見立てて使う用法があり,それが「…(さ)せていただく」の使用域を広げている。上記の②~⑤についても,このような用法の具体例としてとらえることもできる。その見立てをどの程度自然なものとして受け入れるかということが,その個人にとっての「…(さ)せていただく」に対する「許容度」を決めているのだと考えられる。
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ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,
イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある

 敬語表現「させていただきます」は、この二つに基準でチェックすればいいように見える。

 しかし、「今日、会社を休まさせていただきます」という表現は、2つの基準ではうまくチェックできない気がする。「会社を休ませていただく」のも、相手(上司、会社)の許可を受けて行い、そのことで休むという恩恵?を受けるように見える。

 「今日、会社を休まさせていただきます」は、「失礼を超えて、無礼な表現」と、小池清治は書いている。「休ませて」は、使役表現である。使役主は、この場合、上司に当たるが、「休ませる」と使役したはずがない。これは、殴っておいて、次に、尊敬しています、と言っているようなものだ、と。激しい叱責である。

 ところで、使役表現が見掛けだけのものではなく、実質的使役表現である場合、「(さ)せていただきます」という表現は適切なものとなります。
 「喜んで、私がやらせていただきます。」「遠慮なく、出場させていただきます。」
 これらは敬語表現上、なんの問題もありません。
 断り無しの使役表現の無礼さに気づけば乱用は避けられることでしょう。(『みんなの日本語事典―言葉の疑問・不思議に答える』

 これを見ると、「今日、会社を休まさせていただきます」も、「断りなしの使役表現」になっているのが違和感のもとになっていると思う。

 ところで、「敬語の指針」では、使役表現という言葉を使わずに説明しているのは、上の例のように、使役表現以外で使われることが多くなっている現状を受けてのことだと思われる。



 もしくは、「今日、会社を休まさせていただきます」は、

ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,
イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある

 ア)の、許可を受けているわけでもないのに、「休む」ことが前提になっており、「断り無しの使役表現」になっているのが問題であると理解すればいいだろうか。


Saseteitadaku_3

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マーケティングをひと言でいうと

 マーケティングをしている、と言うと、ときどき胡散臭そうに見られることがある。心外である(苦笑)。

 その理由の核にあるのは、売れないモノまで売れるようにする、というような消費者操作の雰囲気ではないだろうか。でもそれは、易きに流れたときに見せる一面であり、しかもいまのマーケティングは、消費者操作の無効性を組み込むようになりつつある。

 胡散臭さのもうひとつの理由は、マーケティングに該当する日本語が見当たらないからだと思う。マーケティングは広い。広告も販売促進も市場調査も商品開発もチャネル開拓も、そのどれもマーケティングであり、そのどれかのみではマーケティングの全体観に届かない。ひと言でいうことはできるだろうか。

 マーケティングは分解すると、market ing だから、市場を活性化することと言うことができる。市場活性化、だ。結局は、消費者の理解からすべては始まる、と捉えれば、消費者理解と言うこともできるかもしれない。しかし、市場活性化には、消費者不在の不安が生じるし、消費者理解には、消費者への提案というニュアンスが削がれる。

 ぼくがマーケティングの定義で、最も適切だと思っているのは、BMRだ。

マーケティングとは、環境(E)を考慮しつつ消費者のウォンツ(W)と製品・サービスのベネフィット(B)を結びつける創造的かつ総合的活動をいう。(『10年商品をつくるBMR』

 この定義は、マーケティングに欠かせない主役の二者を登場させているのが魅力だ。これに添って言えないだろうか。

 マーケティングとは何か。消費者の欲求と製品の価値を結ぶこと。
 もっとつづめると、欲求と価値を結ぶこと。欲求と価値の連繋。

 欲求価値連繋。こんな熟語じゃ分からない。消商連繋も無理がある。
 やっぱり、欲求と価値の連繋、だろうか。

 マーケティングって何?
 欲求と価値を結ぶこと。

 仮の回答としておきます。



 

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顧客接点の進化と購入、と聞かれて

 お題。「顧客接点の進化と購入」。

 思いつくこと、メモ。

与件

・EC市場の普遍化。普及率と市場規模。
・モバイルECの成長。普及率と市場規模。
・人口減少時代 2007年から
・標準世帯を単独世帯が上回る


EC、モバイルEC市場の普遍化による顧客接点の進化と購入。

1)リアル店舗代替としてのネットショッピング
・(天気が悪くて買いに行けないから)ネットで済ませる。

2)リアル店舗で探して、ネットで買う。(逆検索)
・アフィリエイト、ポイントなどの理由。

3)リサイクル消費。
・オークションにより消費者自身による価値化

4)買い場の遍在化。
・買いたい時が買う時。

ウェブコミ(ネット上のコミュニケーション)の変化

1)追い越される24時間。
・問い合わせ回答の標準原則は、24時間だが、2008年、それ以下の時間を望むようになった。顕在化はまだ先。
・eメールでの問い合わせと回答は普遍化するか? 90万/月の電話と5千/月のeメール。

2)意見(オピニオン)の充実
・アマゾンのレビューなどの消費者評価の充実
・感想(インプレッション)への期待増

ブログの特徴
・コメント     「人」コミュニケーション
・トラックバック 「記事」コミュニケーション

これらを受けた購買行動の変化

5)ブログネタ消費
・ブログのネタを目的にしたコミュニケーション消費

6)CMを凌駕する記事の出現
・もう自分たちがコンテンツをつくる時代は終わったんですね。

1.古典的モチベーションの沈下
2.個人的モチベーションの高原化
3.特定モチベーションの浮沈

個人的モチベーションの高原化。「自分へのご褒美」




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話し言葉の時代

 ブログは書き言葉では書きにくいなぁと思っています。というか、もともとマーケティング屋さんとしても、ブログは話し言葉で、と勧めてきたわけです。ところが自分自身は、話し言葉にするとぎこちなく、書き言葉で文章を凝縮するように書くと乗れる気がして、しばらく書き言葉で書いていました。

 けれどもそれも違う気がする。個人的には書きやすくなるけれど、どうも現実との呼吸がうまくできていない気がしてきます。もしかしたら問題なのは、話し言葉自体にあるのではなく、ぼくの話し言葉の書き方が、単純に書き言葉の語尾を「ですます調」に変換させただけだから、ぎこちなくなっているんじゃないかと思い始めました。で、むしろ自分でもeメールの書き方として言っているように、「話すように書く」という、書く呼吸の仕方が悪かったんじゃないかと反省して、ふたたび話し言葉で書くようにしたのでした。

 こんな問題意識を持っているところへ、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』をめくっていたら、表現転移の法則がちょっと新鮮に目に止まりました。

(1) ある時代の文学表現は、いつも話体文学体とのふたつを基底としてかんがえることができるし、かんがえるべきである。これは、〈書く〉ということによってうまれる表出の、表出と表現への分裂という意味を誤解しなければ、文字の成立する以前にもさかのぼってかんがえることができる。


(2) 話体の表出は、もしそれを無条件の必然としてかんがえるかぎり、文学体の方へ上昇する。話体表出を話体表出として持続するのは、意識的な思想によるほかはない。それ以外では、文学体への上昇か、話体としての風化、いいかえれば通俗小説化するほかはない。

(3) 文学体は、無条件の必然としては、より高次の文学体へと上昇する。文学体話体へむかって下降するばあいは、作家の意識的な転換であるほかはなく、この転換をうながすに足りる現実的な要因が、かれの個的な時代的な基盤のなかにあったときである。

(4) 現代において話体を風化もさせず、また文学体への自然な上昇をもおこなわずに持続している作家は、かならず現実放棄の思想をもっている。

(5) ある時代から次の時代への表出体の転移は、話体文学体との上昇や下降の複雑な交錯によって想定される言語空間のひろがりと質の転移によっておこなわれる。これは、文学体話体とが極端に張り出した幅とひろがりとしてあらわれるはあいも、話体と文学体との融和のように、あるいは区別できないまでの接近としてあらわれるばあいもある。これと対応づけられるのは言語の表現意識の水準と現実社会の総体的な要因とである。が、それがすべてではない。その他の対応は、不完全であるばかりでなく、対応させることが困難である。

(6) 表出史は現実史へ還元することができない。還元できるのは、意識の表出としての一般性であり、〈文字〉により〈書く〉という形での表現は現実への還元をゆるさない。ただ〈書く〉ということの一般性へ還元されるだけである。

(7) ある時代の表現を、はじめに次の時代へ転移させるものは、必ず文学体の表現である。これからもそうである。

 これは1965年の本でいまから43年も前になるのですが、いまの状況を説明することもできる気がします。特に(3)の、「文学体から話体」への転換は、「転換をうながすに足りる現実的な要因が、かれの個的な時代的な基盤のなかにあったときである」というくだり、いまはまさにそういう時代ではないかと思えてくるのです。

 いまの「現実的な要因」を、ぼくの反省に引き寄せると、現実と呼吸できる書き言葉をみつけていないことになるのでしょうか。だから一度、話し言葉から始めてみる必要があるということです。

 このことを養老孟司は、「漱石、鴎外、二葉亭四迷」以来の書き言葉は百年以上経っているので変化しても可笑しくなく、いまのメールやケータイは、下からの「言文一致体」の創出なのではないかと指摘したことがあります。

 ※「『バカの壁』の読まれ方と現代世界」

 こう考えると、自分のぎこちない悪戦苦闘も時代的な意味がある気がしてくるわけです。

(4) 現代において話体を風化もさせず、また文学体への自然な上昇をもおこなわずに持続している作家は、かならず現実放棄の思想をもっている。

 この言い方も面白いですね。してみると、現在はさしづめ、現実放棄の思想を持ってかろうじて生き長らえる時代なのかもしれません。




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ほっとニュースがほしい

 ほっとニュースがほしい。テレビを見たりインターネットのニュースを見たりしながら、そう思います。インターネットは読む記事を取捨選択すればいいとしたら、これは特にテレビに思うことかもしれません。

 ほっとニュースは、最新の「hot」と、ほっとするの「ほっと」の、素朴なそぼくな掛け言葉です。

 久米宏以降でしょうか。単位時間当りの読み上げる文字量が増えて、それがニュースにスピード感を与えています。それは、日常の時間感覚と合っていて、おかげでビジネスの時間速度とそれほどギャップを感じずに済んでいる面があります。

 けれど、「ほっとニュース」は、それよりは遅い速度で読み上げてほしい。あまりのんびりしていても調子が狂いますが、やはり「ほっとニュース」を見聞きするときは、日常のビジネス速度からは解放されたいのです。

 読む口調は、ソフトさを前面に出してほしい。読む口調といえば、北朝鮮のテレビ放送の、あの、芝居がかった演劇的口調を思い出します。もちろんあれではこちらはリラックスできません。とはいえ、事実を淡々と伝えることをモットーにしているような、自分の感情が読み上げるニュースにいささかでも関与するのを拒否しているような、冷たい読み方も、「ほっとニュース」には向いていません。ニュース内容への感情の関与はほのかでいい。けれど、読み上げ方には、ソフトさがほしいのです。

 そして、読む速度より読む口調より「ほっとニュース」で大事なのは、扱うニュースの選択です。「ほっとニュース」では、日常のほっとする出来事を多く扱います。もしくは、出来事のほっとする側面をクローズアップさせます。それがいまのニュース報道と最も異なる点です。凶悪さと不幸と事態の悪化で塗りつぶしているような今のニュース報道と全く違う印象であってほしいのです。それは、厳しい現実から目を逸らすという意味ではありません。どうしても伝えなければならない凶悪さや不幸や事態の悪化もあるでしょう。しかし、それは必要以上の時間をかけずに報道します。または、その凶悪さや不幸や事態の悪化のなかにも、ほっとする「面」、「面」がなければ「点」を見いだす努力をします。見ていて聞いていてほっとする内容にしたいのです。

 いまの社会現実は、個々人の皮膚を刺すようにあるような気がします。そして一人ひとりが孤独を抱え込んで生きている気もします。その孤独の緩和剤にテレビはうってつけです。日常の行動を邪魔せずさりとて孤独な人を放置している感じもなく、いい感じで映像と音声が流れると、テレビはとってもありがたい存在です。

 ところがいまのテレビは、ともすると、日常でささくれ立った神経をさらに傷つけるような、深刻さと早口で攻め立てられるように感じることがあります。そこに登場するのが「ほっとニュース」というわけです。「ほっとニュース」は、いまの社会の事実を伝えながら、孤独ないまの人を守るように、社会との間に見えない皮膜をつくる役割を果たします。そうでないと、めげてめげて仕方がない。そういうときもあるものです。ただでさえめげることの多い現実です。それなら、その現実を柔らかに前向きに淡々と伝えるニュース報道や番組があっていいですよね。

 と、こう考えると、インターネットのニュース報道もそうですね。グーグルのように、次々とあらゆる新聞報道が読めるのはありがたいけれど、ほっとする切り口でニュースを記事化する。そういうサービスがあってもいいですね。ほっとニュースは、心をはぐくむニュースなのです。



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「静か」というベネフィット

 「静か」というベネフィットが顕在化しています。

 ※人気は「低騒音」 家電メーカー“静かな争い” 「夜カジ族」増加に対応

 「低騒音」の生活家電。

「土日に遠出するために、金曜夜に掃除機をかける家庭も少なくない。

 という生活スタイルにも対応したものだといいます。

 ドラム式洗濯機のベネフィットにもこれがありました。「静かだから」、「早朝に」、「来客中に」、「深夜に」選択できる、というわけです。「静か」ということが、オケージョンの選択肢を増やすのが価値になっているのですね。


 そういえば、昨日は、「電車内のヘッドフォン音量、『注意する』8.9%」という「音」にまつわるニュースもありました。

 このつながりでいえば、ぼくは最近、電車内のヘッドホンよりも、新聞をめくる音が気になることがあります。通勤時、新聞をたたんで読む、読み方がありますね。あれです。あれを隣の席でやられると、とてもうるさく感じるということが、ここ何度かありました。

 これは疲れているからなのか、たまたま威勢のいい音を出すめくり方だったのか、よく分かりません。ですが、「音」に敏感になっているのかもしれないなとは思って反省したりしています。




 

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消費者はなかなか生活者になれなくて

 ちなみにこの本では「消費者」という言葉を多用している(副題にも使っている)。でも、本当は「消費者」という言葉はもう古い。彼らは「消費するだけの者」ではすでにないからだ。ボクの周りでも、ちょっと感度のいい人たちは「消費者」という言葉をもう使っていない。「生活者」とか「ユーザー」とか「オーディエンス」とか呼んでいる。ただこの本では理解しやすいように敢えて「消費者」という言葉を使用しているので、その点はご了承いただきたい。
(『明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法』佐藤 尚之)
 このくだりを読んで、ああ、消費者はなかなか生活者になれなくて、と思いました。  この本自体は、消費者と生活者について書かれたものではありません。広告屋さんが広告屋さんを励ますために書いたものです。広告屋さんが広告屋さんのために書いているのだから、立場が違えばすれ違ってしまうのだけれど、それは自然なことです。むしろ、ぼくは広告屋さんの立場で書かれていても、ネット・マーケティングの本が、“この前に世界はなく、この後に世界は一変する”と、いささか誇張して次のトレンドの到来を告げるのに比べたら、よく分かるし好感を持ちました。

 バランスに配慮した広告の話。広告バランス論。それがこの話の新しさかもしれません。

◇◆◇

 ぼくの実感だと、「生活者」という言葉にリアリティがあったのは、80年代の後半、そう、あのバブルの頃でした。あの頃、消費者はたしかに消費するだけの存在ではなく、生活を主体的にデザインする人へと変わっていくようでした。ぼくはバブルの気配を身にまとうことはなかったけれど、消費者が生活者に変身しようとする時代の空気だけは吸っていた気がします。

 こういうとき、ぼくは生活者を、必需的に使わなければならない消費より、可処分できる消費者の方が大きい存在を生活者と見做しています。

 (消費者)=(選択的消費支出)/(全消費支出)<50%
 (生活者)=(選択的消費支出)/(全消費支出)≧50%

 そしてこの定義に照らしてみると、バブル崩壊以降、消費者は生活者になりきれないでいるのではないかと思ってきました。去年、調べてみたことがあるのですが、生活者度とでもいうようなこの値、2001年で43%、2006年で46%でした。実際、80年代の後半に生活者になるかにみえた消費者は、その手前で足踏みして消費者に停滞してきたように見えます。

 ただ、停滞のなか何の変化も無かったわけではありません。『明日の広告』がそれによってバランスを云々することになるように、コミュニケーションの異次元連結を果たしたインターネットが開かれたことによって、ことコミュニケーションに関する限り、ぼくたちは全く異なる世界を持つようになりました。

 そこで消費者は、言われっ放しではなく、モノ言う存在になりました。企業と消費者のコミュニケーションとして見ると、インターネットのなかでは、主役交代劇はすでに起こっています。ここから見ると、消費者はすでに生活者的だと言えるでしょう。でも、それもコミュニケーション止まり。経済の実感からすると、消費者はなかなか生活者になりきれてないのではないでしょうか。 

◇◆◇

 ところでいまは不況ではない。そういう言い方があるようです。お金は余っている、投資したい人は一杯いるのだ、と。それは確かにそうかもしれません。けれど、このことを指して、不況ではないと言うことはできません。生活者になりきれない消費者が“不況”を感じるなら、それを不況と呼びます。だから生活者になりきれない消費者が不況を脱したとき、はじめて不況ではなくなったと言えます。そのとき、消費者は晴れて生活者になるのかもしれませんね。



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ヒット商品のベネフィットとウォンツ(2003年)

 『日経トレンディヒット商品航海記―日本人の消費はこう変わった』をテキストにしたヒット商品のベネフィットとウォンツ。2003年。

◆2003年

1 阪神タイガース
B:今年の阪神は勝ちます。
W:阪神の優勝を観たい。

2 ヘルシア緑茶
B::体脂肪を減らすお茶です。
W:飲みながら痩せるお茶がほしい。

3 日清具多 GooTa
B:具の大きなカップ麺です。
W:本格的なカップ麺が食べたい。

4 六本木ヒルズ
B:新しい東京都心の観光地です。
W:都会のなかの都会に行きたい。

5 『踊る大捜査線THEMOVIE2』
B:人気テレビ番組の映画です。
W:リアルでユーモアもある警察映画を観たい。

6 DIGA
B:VHSだけではなくDVDも観れます。
W:新しく買ったDVDも観れるものがほしい。

7 プリウス
B:環境性能がよく走行性能もいい車です。
W:環境に優しくて走りもいい車がほしい。

8 クーリッシュ
B:飲むように食べるアイスクリームです。
W:仕事しながらアイスクリームを食べたい。

9 都市型温泉テーマパーク
B:テーマパークのような温泉施設です。
W:温泉に入りながらゆっくり遊びたい。

10 ドリエル
B:眠りにつきやすくなる薬です。
W:すんなり眠りたい。

11 綾小路きみまろ
12 メガピクセルケータイ
13 くう~
14 ワンダモーニングショット
15 二コダス
16 エアーストッキング
17 ヌープラ
18 豆乳
19 カネボウパワーリフティング
20 チョイノリ
21 トレシー洗顔クロス
22 アサヒ本生アクアフルー
23 ユニ・チャーム超立体マスク
24 『トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~』
25 薄型テレビ
26 RX-8
27 プテナロック
28 米唐番
29 ケナツシー
30 酸素グッズ


メモ
 『踊る大捜査線』は、公務員としての警察のリアリティがあってウケていた。正義を放ったらかした大人がそこにいた。疲れが、出てきたんでしょう、きっと。そんなときはここぞとばかり阪神を応援。温泉にもつかりたい。お茶でやせるならこんなありがたいことはない。なんかそういう呟きが聞こえてきそうなヒット商品たちだ。



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ヒット商品のベネフィットとウォンツ(2002年)

 『日経トレンディヒット商品航海記―日本人の消費はこう変わった』をテキストにしたヒット商品のベネフィットとウォンツ。2002年。

◆2002年

1 ワールドカップサッカー
B:ワールドカップで日本代表を応援できます。
W:夢中になってサッカーの応援をしたい。

2 『ハリー・ポッター』
B:ベストセラーになったおとぎ話を映画で楽しめます。
W:現実を忘れて夢中になれる映画を観たい。

3 アブトロニック
B:ベルトを巻くだけでやせることができます。
W:楽してダイエットしたい。

4 ナルミヤブランド
B:同世代タレントと同じ服が着れます。
W:モーニング娘。と同じ服が着たい。

5 二コレット
B:かむだけでタバコを止めることができます。
W:手軽にタバコを止められるものがほしい。

6 ワイバアゴキパオ
B:ゴキブリを消すことができます。
W:触れずにゴキブリを退治したい。

7 ファインピックスF401
B:画質も性能も平均点以上のデジカメです。
W:リーズナブルでいま一番いいデジカメがほしい。

8 イ二シオボディークリエイター
B:香りでやせることができます。
W:気持ちよくやせられるものがほしい。

9 ヴイタロツソ
B:ラズベリーの香りでやせることができます。
W:気持ちよくやせられるものがほしい。

10 アミノサプリ
B:適度な運動をしながら飲むとやせることができます。
W:運動したら痩せるのを促してくれるものがほしい。

11 インシュリンダイエット
12 モンゴル800
13 タイムスリップグリコ
14 バイオW
15 EXILIM(エクシリム)
16 グルメテーマパーク
17 マーチ
18 eKワゴン
19 びっくらたまごアンパンマン
20 エヴァー
21 DMR-HS2
22 プラズマ・ディスプレイ・パネル(PDP)テレビ
23 讃岐うどん
24 180円スニーカー
25 マイナスイオン家電
26 低価格電動歯ブラシ
27 丸ビル
28 プロバイオテイクスヨーグルト
29 MICRO旧デジQ
30 法律番組


メモ
 3、8、9、10位は、揃ってダイエット系の商品。「やせたい」はいまどきの国民的ニーズなんですね。「お腹いっぱいになりたい」が裏返されて、「やせたい」という逆画像を生むようになったということでしょうか。


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ニーズ探索の手元化メモ

◆T(ターゲット)視点

1)RR(ロイヤル・リピーター)に聞く。
・潜在ニーズは、ロイヤル・リピーターが持っているニーズ。

◆O(オケージョン)視点

2)使いこなしからの発見
・使いこなしで消費者は感じているのに、マーケターが気づいていない顕在ニーズ。
・使いこなしで一部の消費者が感じている潜在ニーズ。

3)行動観察
・生活行動の観察によって発見される潜在ニーズ。

<文脈質問法>

◆W(ウォンツ)視点

4)W-N(ウォンツ-ニーズ)の構造化
・ウォンツを階層化し、ニーズを構造化することで、明確化する顕在・潜在ニーズ。

5)時代のN(ニーズ)の具現化
・時代の顕在ニーズ(たとえば、「自分へのご褒美」)を具現化する。

6)購買動機からの発見
・4番目の購買動機を潜在ニーズとして捉える。

<SPIN>

◆B(ベネフィット)視点

7)評価/不評価調査
・評価・不評価を顕在ニーズとして捉え、強化・改善する。

8)ヒット商品のBの転用
・他カテゴリーのヒット商品のB(ベネフィット)を潜在ニーズとして捉え、自社商品に取り込む。

<メタファー法>

◆R(R&D)視点

9)技術革新
・想定される技術革新から将来ニーズを見いだす。

◆E(環境)視点

10)環境変化
・人口や知覚の変化に伴い想定される将来ニーズ



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