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『進化しすぎた脳』のクオリア注

 『進化しすぎた脳』から、クオリアに関わる個所だけピックアップ。

 ここでせっかくだからちょっとカッコいい言葉を覚えておこう。これは使える言葉。「覚醒感覚」。つまり、音楽を聴いて、すごく美しいと思ったり、悲しい気分になったり、リンゴを食べておいしいとか、甘酸っぱいとか、そういう生々しい感覚のことを「クオリア」と言うんだ。「クオリア」というのは多分ラテン語で「質」という意味だと思うんだけど、英語ではクオリティ(quality)の語源になっている。
 ここでいう「質」というのは、物質の<質>という意味ではなくて、ものの本質に存在するような質感の<質>。実体ではない<質>。美しいとか悲しいとか、おいしいとかまずいとか、そういうのをひっくるめて「クオリア」と言おう。つまり、僕らが世界を体験しているという実感、その感覚がクオリアだ。
 いまの話の流れからすると、「クオリア」というのは表現を選択できない。リンゴが甘酸っぱいのはもうしょうがない。「脳」がそういうふうに解釈して、「私」にそう教えているから、もう、これは仕方がない。(p.49)

 クオリア(qualia)は、クオリティ(quality)の語源であり、定性(qualitative)につながる。

「動かそう」と脳が準備を始めてから、「動かそう」というクオリアが生まれるんだ。あ、厳密にいえば、「動かそう」ではなくて「『動かそう』と自分では思っている」クオリアだ。だって、体を自分の意識でコントロールしているつもりになっているだけで、実際には違うんだから。つまり、自由意志というのはじつのところ潜在意識の奴隷にすぎないんだ。
 こんな事実から、クオリアというのは脳の活動を決めているものではなくて、脳の活動の副産物にはかならないことがわかる。「動かそう」というクオリアがまず生まれて、それで体が動いてボタンを押すのではなくて、まずは無意識で神経が活動し始めて、その無意識の神経活動が手の運動を促して「ボタンを押す」という行動を生み出すとともに、その一方でクオリア、つまり「押そう」という意識や感覚を脳に生み出しているってわけだ。(p.171)

 クオリアに対して人は受動的であること。クオリアも無意識に対して後続すること。

 その意味では、ちょっと話は飛躍するけれども、ジェームズーランゲが言った「悲しいから涙が出るんじゃない。涙が出るから悲しいんだ」という発音は半分は正しいと思う。
 〈悲しい〉というのはクオリア、つまり、ありありと感覚されるものだね。しかし〈悲しい〉というクオリアは、おそらくは単に脳の副産物、脳の活動の結果にすぎない。クオリアは僕たちの生活や心にいろどりを与えてくれているものであることは間違いないけれども、神経活動から生まれたクオリアがまた神経に作用するということはない。クオリアそのものは脳が生んだ最終産物である、という結論に行き着いた。ここら辺は抽象的な話でちょっとむずかしかったかもしれない。(p.319)

 クオリアは、ありありとした実感であるが、十全に言葉として表現されるのは難しい。


Sinkasisugitanou_2

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