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マーケティングをひと言でいうと

 マーケティングをしている、と言うと、ときどき胡散臭そうに見られることがある。心外である(苦笑)。

 その理由の核にあるのは、売れないモノまで売れるようにする、というような消費者操作の雰囲気ではないだろうか。でもそれは、易きに流れたときに見せる一面であり、しかもいまのマーケティングは、消費者操作の無効性を組み込むようになりつつある。

 胡散臭さのもうひとつの理由は、マーケティングに該当する日本語が見当たらないからだと思う。マーケティングは広い。広告も販売促進も市場調査も商品開発もチャネル開拓も、そのどれもマーケティングであり、そのどれかのみではマーケティングの全体観に届かない。ひと言でいうことはできるだろうか。

 マーケティングは分解すると、market ing だから、市場を活性化することと言うことができる。市場活性化、だ。結局は、消費者の理解からすべては始まる、と捉えれば、消費者理解と言うこともできるかもしれない。しかし、市場活性化には、消費者不在の不安が生じるし、消費者理解には、消費者への提案というニュアンスが削がれる。

 ぼくがマーケティングの定義で、最も適切だと思っているのは、BMRだ。

マーケティングとは、環境(E)を考慮しつつ消費者のウォンツ(W)と製品・サービスのベネフィット(B)を結びつける創造的かつ総合的活動をいう。(『10年商品をつくるBMR』

 この定義は、マーケティングに欠かせない主役の二者を登場させているのが魅力だ。これに添って言えないだろうか。

 マーケティングとは何か。消費者の欲求と製品の価値を結ぶこと。
 もっとつづめると、欲求と価値を結ぶこと。欲求と価値の連繋。

 欲求価値連繋。こんな熟語じゃ分からない。消商連繋も無理がある。
 やっぱり、欲求と価値の連繋、だろうか。

 マーケティングって何?
 欲求と価値を結ぶこと。

 仮の回答としておきます。



 

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「お客さま学」のゆうべ

 昨日、MCEIで話をさせてもらった。テーマは、「顧客接点の進化と深化」。

 何を話そうと考えていくうち、インターネットが登場してからの十数年間を見返せば、近い未来の見通しが得られやすいのではないかと思い、1996年から2008年までの企業-消費者のコミュニケーションを一気に辿ってみた。勢い抽象的な話を含まざるを得ないのが場違いにならないか、気になったが、参加者に得るものがあったことを願うのみだ。

 本当は水口さんに聞いてほしい場だった。水口さんの思考や態度を引き継ぐことも恩返しになるだろうと思い直して、これからも恩返しを続けていこうと思う。

 最後には感謝状もいただき、びっくり。マーケターの集えるいい場だった。

Mcei


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顧客接点の進化と購入、と聞かれて

 お題。「顧客接点の進化と購入」。

 思いつくこと、メモ。

与件

・EC市場の普遍化。普及率と市場規模。
・モバイルECの成長。普及率と市場規模。
・人口減少時代 2007年から
・標準世帯を単独世帯が上回る


EC、モバイルEC市場の普遍化による顧客接点の進化と購入。

1)リアル店舗代替としてのネットショッピング
・(天気が悪くて買いに行けないから)ネットで済ませる。

2)リアル店舗で探して、ネットで買う。(逆検索)
・アフィリエイト、ポイントなどの理由。

3)リサイクル消費。
・オークションにより消費者自身による価値化

4)買い場の遍在化。
・買いたい時が買う時。

ウェブコミ(ネット上のコミュニケーション)の変化

1)追い越される24時間。
・問い合わせ回答の標準原則は、24時間だが、2008年、それ以下の時間を望むようになった。顕在化はまだ先。
・eメールでの問い合わせと回答は普遍化するか? 90万/月の電話と5千/月のeメール。

2)意見(オピニオン)の充実
・アマゾンのレビューなどの消費者評価の充実
・感想(インプレッション)への期待増

ブログの特徴
・コメント     「人」コミュニケーション
・トラックバック 「記事」コミュニケーション

これらを受けた購買行動の変化

5)ブログネタ消費
・ブログのネタを目的にしたコミュニケーション消費

6)CMを凌駕する記事の出現
・もう自分たちがコンテンツをつくる時代は終わったんですね。

1.古典的モチベーションの沈下
2.個人的モチベーションの高原化
3.特定モチベーションの浮沈

個人的モチベーションの高原化。「自分へのご褒美」




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『クオリア立国論』

『クオリア立国論』
Qualia

 人間は、無意識に感じているものを他人に語ることはできません。自分自身でさえよく把握していないのですから、それを他人に説明することは基本的にはできない。自分で意識されたものについては言葉で語れるけれど、無意識のものを言葉にすることはとても難しい。クオリアというのは無意識で感じる質感です。みんながそれぞれに無意識のなかに感じている。それを心のなかから引っ張りだして、互いの質感について話をする。つまりクオリアというのは、人と人とのコミュニケーションの基盤であるという言い方もできるわけです。

 マーケティングの世界に、インサイトという言葉があります。たとえば消費者がある製品を選ぶ。多くの製品のなかから、たったひとつの商品をチョイスする。どうしてその商品を選んだのかを聞くと、明確な理由はそこにはありません。「好きだから」「何となく気に入ったから」という曖昧な答えが返ってくる。そうした消費行動に対する理由づけをすることを「インサイトを明示化する」と言うのです。たとえば数あるコンピューターのなかからアップル社のコンピューターを選ぶ。機能的には大した差がないのに、どうしてかアップルのコンピューターをチョイスする。買った本人でさえ、その理由を明確に示すことはできない。無意識で選んだものに関しては説明のしょうがない。その無意識で感じたクオリアを明確な言葉にしていく。それがマーケティングのひとつの方法論なのです。「アップル社のコンピューターは、こういう理由で選ばれているんですよ」と明示することで、さらに消費心理にいい影響を及ぼすということです。

 ここでいうインサイトは、ウォンツ(欲求)のことだと思えばいい。強いて言えば、無意識の領域の広いウォンツと言えばいいだろうか。


 この本からヒントを受け取ると、ネット上の声は、オピニオン(意見)ではなく、インプレッション(感想)の領域が増えると、生産と消費のサイクルに好循環化を生む。


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