« 「静か」というベネフィット | トップページ | 話し言葉の時代 »

ほっとニュースがほしい

 ほっとニュースがほしい。テレビを見たりインターネットのニュースを見たりしながら、そう思います。インターネットは読む記事を取捨選択すればいいとしたら、これは特にテレビに思うことかもしれません。

 ほっとニュースは、最新の「hot」と、ほっとするの「ほっと」の、素朴なそぼくな掛け言葉です。

 久米宏以降でしょうか。単位時間当りの読み上げる文字量が増えて、それがニュースにスピード感を与えています。それは、日常の時間感覚と合っていて、おかげでビジネスの時間速度とそれほどギャップを感じずに済んでいる面があります。

 けれど、「ほっとニュース」は、それよりは遅い速度で読み上げてほしい。あまりのんびりしていても調子が狂いますが、やはり「ほっとニュース」を見聞きするときは、日常のビジネス速度からは解放されたいのです。

 読む口調は、ソフトさを前面に出してほしい。読む口調といえば、北朝鮮のテレビ放送の、あの、芝居がかった演劇的口調を思い出します。もちろんあれではこちらはリラックスできません。とはいえ、事実を淡々と伝えることをモットーにしているような、自分の感情が読み上げるニュースにいささかでも関与するのを拒否しているような、冷たい読み方も、「ほっとニュース」には向いていません。ニュース内容への感情の関与はほのかでいい。けれど、読み上げ方には、ソフトさがほしいのです。

 そして、読む速度より読む口調より「ほっとニュース」で大事なのは、扱うニュースの選択です。「ほっとニュース」では、日常のほっとする出来事を多く扱います。もしくは、出来事のほっとする側面をクローズアップさせます。それがいまのニュース報道と最も異なる点です。凶悪さと不幸と事態の悪化で塗りつぶしているような今のニュース報道と全く違う印象であってほしいのです。それは、厳しい現実から目を逸らすという意味ではありません。どうしても伝えなければならない凶悪さや不幸や事態の悪化もあるでしょう。しかし、それは必要以上の時間をかけずに報道します。または、その凶悪さや不幸や事態の悪化のなかにも、ほっとする「面」、「面」がなければ「点」を見いだす努力をします。見ていて聞いていてほっとする内容にしたいのです。

 いまの社会現実は、個々人の皮膚を刺すようにあるような気がします。そして一人ひとりが孤独を抱え込んで生きている気もします。その孤独の緩和剤にテレビはうってつけです。日常の行動を邪魔せずさりとて孤独な人を放置している感じもなく、いい感じで映像と音声が流れると、テレビはとってもありがたい存在です。

 ところがいまのテレビは、ともすると、日常でささくれ立った神経をさらに傷つけるような、深刻さと早口で攻め立てられるように感じることがあります。そこに登場するのが「ほっとニュース」というわけです。「ほっとニュース」は、いまの社会の事実を伝えながら、孤独ないまの人を守るように、社会との間に見えない皮膜をつくる役割を果たします。そうでないと、めげてめげて仕方がない。そういうときもあるものです。ただでさえめげることの多い現実です。それなら、その現実を柔らかに前向きに淡々と伝えるニュース報道や番組があっていいですよね。

 と、こう考えると、インターネットのニュース報道もそうですね。グーグルのように、次々とあらゆる新聞報道が読めるのはありがたいけれど、ほっとする切り口でニュースを記事化する。そういうサービスがあってもいいですね。ほっとニュースは、心をはぐくむニュースなのです。



|

« 「静か」というベネフィット | トップページ | 話し言葉の時代 »

2.モデルを育てる」カテゴリの記事

コメント

エントリの内容とちょっとずれるかもですが、
そんなときはNHKラジオのラジオ深夜便がいいですよ。

ゆっくりした話し方で、落ち着いて聴けます。
私はときどきリスナーですが。

昔の曲とか落語とか浪曲とか、
自分の興味以外のものがすーっと入ってくるのも
いいんですよね。

ときどき大阪放送局からの時がありますが、
それでも標準語なのがなんだか素敵な感じです。

投稿: mb101bold | 2008/03/09 23:52

mb101boldさん

あ、NHK。しかもラジオ。それは盲点でした。
そうなんですね。聞いてみます。

そういえば以前、深夜残業のあとのタクシーで聞いたことがあるかもしれません。あれだったら、たしかに落ち着きました。

コメントというよりアドバイス、ありがとうございます。

投稿: 喜山 | 2008/03/10 07:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ほっとニュースがほしい:

« 「静か」というベネフィット | トップページ | 話し言葉の時代 »