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消費者はなかなか生活者になれなくて

 ちなみにこの本では「消費者」という言葉を多用している(副題にも使っている)。でも、本当は「消費者」という言葉はもう古い。彼らは「消費するだけの者」ではすでにないからだ。ボクの周りでも、ちょっと感度のいい人たちは「消費者」という言葉をもう使っていない。「生活者」とか「ユーザー」とか「オーディエンス」とか呼んでいる。ただこの本では理解しやすいように敢えて「消費者」という言葉を使用しているので、その点はご了承いただきたい。
(『明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法』佐藤 尚之)
 このくだりを読んで、ああ、消費者はなかなか生活者になれなくて、と思いました。  この本自体は、消費者と生活者について書かれたものではありません。広告屋さんが広告屋さんを励ますために書いたものです。広告屋さんが広告屋さんのために書いているのだから、立場が違えばすれ違ってしまうのだけれど、それは自然なことです。むしろ、ぼくは広告屋さんの立場で書かれていても、ネット・マーケティングの本が、“この前に世界はなく、この後に世界は一変する”と、いささか誇張して次のトレンドの到来を告げるのに比べたら、よく分かるし好感を持ちました。

 バランスに配慮した広告の話。広告バランス論。それがこの話の新しさかもしれません。

◇◆◇

 ぼくの実感だと、「生活者」という言葉にリアリティがあったのは、80年代の後半、そう、あのバブルの頃でした。あの頃、消費者はたしかに消費するだけの存在ではなく、生活を主体的にデザインする人へと変わっていくようでした。ぼくはバブルの気配を身にまとうことはなかったけれど、消費者が生活者に変身しようとする時代の空気だけは吸っていた気がします。

 こういうとき、ぼくは生活者を、必需的に使わなければならない消費より、可処分できる消費者の方が大きい存在を生活者と見做しています。

 (消費者)=(選択的消費支出)/(全消費支出)<50%
 (生活者)=(選択的消費支出)/(全消費支出)≧50%

 そしてこの定義に照らしてみると、バブル崩壊以降、消費者は生活者になりきれないでいるのではないかと思ってきました。去年、調べてみたことがあるのですが、生活者度とでもいうようなこの値、2001年で43%、2006年で46%でした。実際、80年代の後半に生活者になるかにみえた消費者は、その手前で足踏みして消費者に停滞してきたように見えます。

 ただ、停滞のなか何の変化も無かったわけではありません。『明日の広告』がそれによってバランスを云々することになるように、コミュニケーションの異次元連結を果たしたインターネットが開かれたことによって、ことコミュニケーションに関する限り、ぼくたちは全く異なる世界を持つようになりました。

 そこで消費者は、言われっ放しではなく、モノ言う存在になりました。企業と消費者のコミュニケーションとして見ると、インターネットのなかでは、主役交代劇はすでに起こっています。ここから見ると、消費者はすでに生活者的だと言えるでしょう。でも、それもコミュニケーション止まり。経済の実感からすると、消費者はなかなか生活者になりきれてないのではないでしょうか。 

◇◆◇

 ところでいまは不況ではない。そういう言い方があるようです。お金は余っている、投資したい人は一杯いるのだ、と。それは確かにそうかもしれません。けれど、このことを指して、不況ではないと言うことはできません。生活者になりきれない消費者が“不況”を感じるなら、それを不況と呼びます。だから生活者になりきれない消費者が不況を脱したとき、はじめて不況ではなくなったと言えます。そのとき、消費者は晴れて生活者になるのかもしれませんね。



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» ちいさなことで、へこんだり。生活者って、そんな感じ。 [ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)]
 喜山さんのマーケティングブログ「生の声マーケティング」のエントリ「消費者は生活 [続きを読む]

受信: 2008/03/04 01:25

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