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格差。どんだけぇ?でもそんなの関係ねぇ。

 ぼくたちはあらゆることが相対化される社会に生きていますが、今年の流行語も、そういった、ぼくたちのいる場所を確認させてくれました。

 こういってぼくが念頭に置いているのは、2007年に流行した「どんだけぇ?」と「でもそんなの関係ねぇ」のことです。

 たとえば、「どんだけぇ?」。これは、想定より、度合いが大きいことを確かめるときに発せられる場合もあれば、逆に、度合いが小さいと思えるとき(なんぼのもんじゃい)に言われる場合もあります。「どんだけぇ?」は差異の強調(確認)です。また、「でもそんなの関係ねぇ」は、話題になっていることや自分の状況など、相対的にやってくる事象に対して関係を切断します。ここには、切断による自己確認の仕草が見られます。

 「どんだけぇ?」も「でもそんなの関係ねぇ」も、すべてが相対化される社会のなかで、差異や関係を見つめる場所から発せられているようなのです。

 そして、相対化された社会を生きる術が、“差異の戯れ”と言われていたことがあり、現在も、大きくはそれと変わらないと思えますが、ただ、それでも少し違うと思えるのは、いまは「戯れ」が足りない。差異に遊びが欠乏している。そんな印象がやってきます。

 80年代、相対化される社会が実感的になったときのキーワードのひとつに、「関係ない」というのがありました。たしか、栗本慎一郎も、時代の気分を言い表すのに、「関係ない」を使っていたと思います。イデオロギーとしての巨大な物語が、それが基盤としていた動かしがたい現実がすでに無くなっているにもかかわらず、コミットすべき巨大な物語たることを止めないとき、「関係ない」という言葉は、相対化の自由を獲得するための言葉としてつかまれていたはずです。

 きみたちはそれと知らないようだが、実は大きな物語のなかに組み込まれているのだから気づくべきだという言い方に対して、それへのノン・コミットの意思表示として、しかし、大声ではなくつぶやくように、「関係ない」と言ったのでした。

 「でもそんなの関係ねぇ」という流行語は、80年代の「関係ない」の延長線にやってくるものだと思えます。しかし、それがつぶやかれるように言われたこととは逆に、現在は唱和する合言葉のようにあるということ。そして、「関係ない」の前に、「でも」という逆接がつくようになっていることが、ある変化を伝えています。

 80年代のそれは、もう亡霊であることが気づかれているのにやってきたので、それには、「関係ない」と、つぶやくように、言ってみれば、後方に向かって言ったのでした。しかし、今、そこにわざわざ、「でも」を入れて初めて文脈が成立するということは、「関係がある」、ありそうという文脈が生まれ、それが前方からやってきていることを指しているように見えます。

私の場合は、こんな時代に生きて、それなりに暢気に生きていますので、革命とか反逆とか、そういう重い課題には直面してはいないですが、些細な日常の出来事からも、私の生まれる前に、吉本青年が生み出した、この「関係の絶対性」という言葉は、いまだに重くのしかかってくるんですよね。
             (「関係の絶対性」という言葉をあらためて考えてみました。」

 ここで、mb101boldさんの言葉を引いてみると、ぼくたちは、「関係の絶対性」を装ってやってくる事象に対して、「どんだけぇ?」と確かめてみたり、「でもそんなの関係ねぇ」と言ったりしているのではないでしょうか?

 「関係の絶対性」、動かしがたく自他を分かつもののように立ち現れるもの。このように言えば、今日び、「格差」という言葉がそれらしい装いをしているのに気づきます。そう捉えれば、相対化社会の旗印である“差異の戯れ”から、「戯れ」が消えかかっているように感じられるのも頷けます。

 そして単にこれらの言葉を並べるだけで、2007年の時代の空気を吸えるような気がしてくるのです。

 格差。どんだけぇ? でもそんなの関係ねぇ。

 ところで、ここにいう「関係ねぇ」は、「格差社会」という物語から自分の足場を確かめようとする仕草なのかもしれません。「でも、そんなの関係ねぇ」の口調に倣って少し強弁すると、「格差社会」がほんものの「関係の絶対性」なのかどうか、それは本当には分からない。簡単には「格差社会」の物語には乗らない、乗りたくない。掛け声のようなこの流行語には、そんな抗いを見て取ることもできるかもしれません。


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コメント

「どんだけぇ?」「でもそんなの関係ねぇ。」という言葉を80年代の相対化の延長線上に見る論考は、目から鱗でした。それと、「でも」という逆接は、言われてみれば、あのギャグの仕草が、いちど打ちひしがれてグッグッと立ち上がるというところにも表現されていますね。あっ、そう言えばと思いました。「オッパッピー」というのも、物語を無効化する呪文のような。なんかそれは希望なのかもしれないと思いだしてしまいました。

投稿: mb101bold | 2007/12/07 13:53

mb101boldさん。

聞くところによると、「オッパッピー」は、ocean pacific peace の略だとか。このネタに倫理があるとしたらそれはこの個所で、つい熱くなったことへのはにかみと一緒に、ネタをゼロクリアしている感じがしますね。

おっしゃるように、「無効化の呪文」で、希望でもあると、ぼくも感じました。

mb101boldの文章には、とても触発されます。

投稿: 喜山 | 2007/12/08 15:57

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