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研ぎ澄まされるウォンツ

 加藤典洋が、「物欲-購買欲-購買行為」をテーマに、面白い議論を展開しています。

 ※ Q106 「物欲」は所有欲か、排泄欲か。

 購買行為の第一段階。

まず、原初的な購買の基本形。 僕は、おなかがすく。それで、部屋でものを探す。食べるものがないので、米を買おうと思って、店に行って買う。この場合には、この購買行為は、物欲がまだ、発現していません。あるいは、発現していても原初的な形にとどまっています。物欲と言うよりは、必要によって、購買行為が成り立っています。店に行く前に、お米を買いたい、という志向性が、情報によって促されている以前に、空腹という自前の「必要」によって駆動されています。 「必要-購買行為」という形。

 これを、マーケティングの言葉に置き換えれば、ニーズを満たすことが購買であった段階。
 続いて、購買行為の第二段階。

漠然とAという商品を買いたいと思って行ったのだが、その行った先が、いわば「よりどりみどり」の物欲にとっての 酒池肉林の場なので、そこで、物欲は、第二次的に駆動されてしまい、物欲にターボがかかる、という段階です。 これが、店というものの、購買行為における本質でしょう。店とはつまり、第一次的物欲を現物の「よりどりみどり」状態化を通じて、第二次物欲へと更新させる装置なのです。そこで、Aを買うつもりで店に行ったのだが、ついAのかわりに、Aダッシュを、買ってしまった、とか、Aのほかにも、BとCまで買ってしまった、などということが起こる。その場合、店は、たとえば、靴店の一軒家であるよりも、靴店と文具店と、アウトドア専門店と、洋菓子屋が、一角に集合した商店街であるほうが、その本質に叶います。ですから、店は、その本性から、集合状態をめざす。商店街が生まれ、モール、プラザ、百貨店、六本木ヒルズ、というように、集合化・重層化・巨大化していくでしょう。

 ここでは、「購買欲-物欲-購買行為」という形になります。
 これも、マーケティングの言葉に置き換えれば、購買がウォンツを満たす段階にあることを示しています。

 さらに、購買行為の第三段階。

しかし、その次の段階というものが考えられます。それは、巨大化の果てにくる、縮合化です。つまり、カタログショッピング、カタログ雑誌、というもの。それは、巨大な商店街、プラザ、ヒルズを用意して、そこに購買者を誘い、「物欲」の酒池肉林化を発現させる代わりに、メディアの形で、商品の「あれかこれか」という最終段階――上記の第二段階――での個別商品を前にしての「あれかこれか」の物欲発現を促すのです。『カタログハウス』という雑誌がありますが、あれは意外に高度な仕掛けなのですね。この段階までくると、中毒行為が生じてきます。個別の「商品」に対する「あれかこれか」の物欲がまず、喚起され、その物欲に駆動されて、それが、「購買欲」へと仕立て上げられるという逆転が、ここに新たに、生じているのです。
 これは、「物欲-購買欲-購買行為」という形になります。

 同じように、マーケティングの言葉に置き換えれば、これは、ウォンツの独立化のように見えます。モノに対する欲求が、店頭という商品集積の場での比較から離れ、個別のモノへと純化されていくのです。これは、ウォンツの純化であり、ウォンツが研ぎ澄まされることを指しています。

 言い換えてみると、モノ-モノの連鎖でウォンツが発生するのではなく、ウォンツ自体が、モノの購買へと駆動するのです。ウォンツが購買を喚起するのであり、ここへくると、購買は限りなく自己表現に近づくのでしょう。

 ぼくたちはここで、1988年の糸井重里のコピー、「ほしいものが、ほしいわ。」を思い出してもいい。




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